2012年12月05日

メイカーズ 21世紀の産業革命が始まる



今、あちこちで流行っている本ですね。ロング・テール、フリーのクリス・アンダーソンの新作です。



この本は、マイクロメーカーとでもいうように各個人が物を作りやすくなるという現象について書いたものです。実際にソフトは、10年前、20年前よりも一人でかなりのものが作りやすくなっています。これは様々なコンポーネントが手に入るようになったためです。

そして、この流れはハードにも次は来るというのがクリス・アンダーソンの主張で、実際にクリス・アンダーソンは実際に自動操縦式ヘリコプターを売る会社を作っています。

これにはいくつかの背景があります。

1.工作機器のコストダウンが進むこと
個人用の3DプリンタやCNC(コンピュータ制御)の工作機器が、趣味の人にでも手の届くくらいになってきました。そして、これらの精度もどんどん上がってきています。

2.ウェブがいろいろなものをつなげるようになった
ウェブのおかげで、中国に外注したり、もしくは世界各国に外注することも簡単になってきました。逆に非常にニッチなニーズでも、ウェブを使って集客できるようになってきました。

3.ソフトだけでなくハードもコミュニティで作れるように
ソフトと同様に、様々なコミュニティで作られつつあります。例えばガラス製品を作るならば、がんばって技術に習熟しないといけません。しかし、3D CADを使って設計し、3Dプリンタがモノを作るならば、他人が設計したものの上に自分の設計を載せていくことができます。つまり、製造をコンピュータ化することで、巨人の肩の上に乗ることができるようになるのです。


この1と2は、時間が進むとどんどんと向上していきます。まだ日本ではメイカーズのようなミニ製造業というのはまだほとんどありませんが、ロング・テールやフリーがコンピュータとネットワーク能力の向上が背景として可能になったように、コンピュータ制御可能な工具の性能向上が、メイカーズを推し進めていくのは確実に起こりそうです。

posted by 山崎 真司 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年11月27日

アイデンティティ経済学



”レモン市場”で知られるノーベル経済学者のジョージ・アカロフと、その弟子で現在はデューク大学教授のレイチェル・クラントンが、アイデンティティという視点を経済に導入しようという本です。

ジョージ・アカロフの本は”アニマルスピリット”以来でしたが、このアイデンティティ経済学も前著と同様に、経済学の効用関数に入れるべき非合理的なもの(少なくとも以前の理論では)に関するものです。


人間が判断をする時の効用関数を、
効用関数f(x)= 従来の関数 + アイデンティティ関数
としましょう、というのが主な主張です。


非常にシンプルな主張ですが、たしかに説得力があります。例えば、海兵隊員が命をかけて戦場に向かうという時には、どのような判断をしていると考えればいいのでしょうか?

また、17歳の悪ぶった高校生がタバコを吸うことは合理的ではなさそうですが、このようなアイデンティティ関数を考慮して、不良グループの行動規範という効用を考えれば理解できます。


この本は本来は経済学の本ですが、理論はそれほど厳密ではありません。むしろ社会学の本を多く引用して、”語り”によってアイデンティティを浮き上がらせているという印象です。

「あるグループ内の行動規範(コード)が行動に影響を与えています」というと非常にシンプルな主張です。こういった視点はあまり持ってなかったので、行動のインセンティブ構造を理解する時に、グループの行動規範とイングループ・アウトグループということを考慮するということは参考になりました。逆に、この点さえ抑えておけば、本としては冗長かな、という気もします。
posted by 山崎 真司 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2012年11月26日

なぜ科学を語ってすれ違うのか



ソーカル事件という有名な事件があります。これは適当な内容(ほぼ無内容)の擬似論文が現代思想の査読付き論文に載った後で、「あれはデタラメだったし、無内容だ」ということをバラしたというものです。



このソーカル事件は、衒学的な言葉で読者を惑わすような現代思想を批判し、またその査読の体系を批判したものです。このソーカル事件の後に、ソーカルとブリクモンは「知の欺瞞」という本を出版し、そのような現代思想家のおかしさと、そしてまた相対主義批判をしています。

※量子力学や相対性理論を使って、自分たちの理論の正当性を示したり、高尚なもののように見せるということは、現代思想に限らず今でも行われていて、一部業界では常套手段になってますね。最近では(本物でない)心理学業界などで、神経科学のキーワードを散りばめることで、凄そうに思わせるという手段も流行ってます。


この「なぜ科学を語ってすれ違うのか」は、この「知の欺瞞」の延長として、科学における社会構成主義との戦いについての本です。社会構成主義というのは、知識というものが特定の社会によるものという考え方です。例えば「牛を殺すのは悪いこと」という命題については、社会によっては真にも偽にもなるでしょう。一方で、「一般相対性理論は正しい」という命題については、社会によって真にも偽にもなると考える人もいますが、社会や人の考え方に関わらず正しいと考えている人もいます(私は後者)

もちろん、「一般相対性理論が正しい」というのは暫定的なもので、これが修正される可能性はあります。このような理論の修正や訂正や棄却についても様々な考え方があります。これは科学哲学といわれる分野の話になり、トーマス・クーンのパラダイム論や、ポパーの反証主義といった言葉は有名で、この本でも取り扱われています。

#ちなみにクーンの「科学革命の構造」は”Googleが選ぶ20世紀の名著100選”の第一位にも選ばれるほどの人気っぷりです。



この本は科学はどのように理解されているか、それに対してどのような反論があるかを様々な科学哲学の考え方を紹介しながら述べており、社会構成主義者と科学者の戦いの戦場を描き、同時に科学哲学の入門書になっています。

私の考え方では例えば「水はH2Oである」ことは疑い得ないのですが、これも現代の科学の枠組みがそのような臆見(ドクサ)を生み出しただけであるという考え方もあります。ただ1つの科学でなく、たくさんある理論体系から1つ(今の科学)を選び出したという考え方にはとても違和感を感じるのですが、そう思わない人との議論の際の論点の整理に程よい本だと思います。


科学については、その体系自体についても、また”科学は善であるか”といったことについても、人と話す機会はしばしばあります。自分の立場の整理にも、他人との議論の整理にもオススメの一冊です。

posted by 山崎 真司 at 10:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2012年11月24日

レクサスとオリーブの木



”フラット化する世界”や”グリーン革命”で有名なトーマス・フリードマンの出世作です。そういえば、最近また”かつての超大国アメリカ”という新作も出ましたね。こちらは購入しましたが、未読です。




この”レクサスとオリーブの木”というのは1999年の作品で、ここから”フラット化する世界”へつながる背景が書かれているというものです。ここでのレクサスはグローバル化の象徴、オリーブの木は伝統的なローカルの象徴です。

この本では、「あらゆる国が”黄金の拘束服”を着てグローバル化に進まなければならない」ということが繰り返し語られます。そして、このグローバル化の行末には「勝者総取り」のような世界が待っているが、我々にはそれを止める術がないということを述べています。

この背景としては、冷戦時代には米ソ2大国がドミノ理論という1つの国が共産主義(資本主義)になればそこから近隣諸国が次々と共産主義になっていくという理論の下に、様々な国を援助していたものが、現在はそのような経済の”ゲタ”(やある種の囲い込み)がなくなってしまい自由な競争になってしまったからというものです。

この本はこのような”黄金の拘束服”を着てグローバル化の波に乗るためには、ある程度の条件が必要ということを述べています。それは、社長や官僚が横領などをしないということや、インサイダー取引が行われていないということがないと、海外からの投資が逃げてしまうということです。先進国の次は東南アジア諸国の第2グループが賃金の安さなどを活かして急速にトップへ近づいてくると考えられていますが、例えば東南アジアの多くの国では外国人には値段をふっかけるということは現在も行われています。このようなリテラシーは最終的には海外からの投資を最大化しないということはありそうなことです。


この本は今から13年前の本ですが、この本で語られていることは現在進行形で進んでいます。そこから急速にフラット化しているのかというとそれほどではないと思うのですが、それでもこの本の射程はまだまだ有効だと思います。


もし、フラット化する世界を読んでない方がいらっしゃれば是非とも読んで下さい。そして、わたしたちは6年後の世界に住んでいるのです...




ワークシフトはとても興奮させられる一冊でした。特にサラリーマンの方はこちらも是非どうぞ。

posted by 山崎 真司 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年10月29日

なぜビジネス書は間違うのか




ハロー効果という言葉があります。このハローというのは「こんにちは」じゃなくて、「後光」という意味です。何かの影響で他もよく見える(もしくは悪く見える)というものです。人気のある有名人がCMに出てくると、その商品の好感度も一緒に上がってしまうというものや、サッカーのトップレベルの選手はサッカー技術だけでなく、人格的にもトップレベルだと思い込んでしまったりというものです。

この本はサブタイトルが「ハロー効果という妄想」とありますが、まさにこのハロー効果が企業を分析したり、そこから何かを学ぼうとする時の罠になるということを述べています。

例えば、業績がいい会社は、「就職したいランキング」で上位に入るし、株価がいいというのは当たり前ですが、それだけでなく「社会に貢献してる会社」ランキングでも、「働きやすい会社」ランキングでも上位に来ます。まるで、ベストジーニスト賞が、ジーンズが似合うかどうかでなくて、その時活躍してた芸能人に与えられるのと同様です。

これまでの活躍する芸能人を調査して、そこから芸能人として活躍する条件を調査する時に。活躍した芸能人はベストジーニスト賞を取っているから、「ジーパンが似合うようになることが芸能人として活躍する条件だ」というのは間違っていることは明らかでしょう。


また、企業の単体の業績を考える場合には、後付で様々なことをいうことができます。例えば中心となる事業と新しい事業のバランスについては、

中心事業をメインとして上手くいった場合: 「本来の会社の軸がブレず、集中した」
中心事業をメインとして上手くイカなかった場合: 「古い価値観にとらわれて、新しいことにチャレンジできなかった」
新しい事業にチャレンジして上手くいった場合: 「常に時代をリードするような新しい事業を創出した」
新しい事業にチャレンジして上手くいかなかった場合: 「本業を忘れて、会社のあるべき姿から離れてしまった」

と適当なことをいうことができます。さらに、「顧客志向」という言葉を添えておけば、どの場合も、成功と失敗をそれっぽく語ることができます。

つまり、ビジネス書では、批評サイドから見ると「顧客を見る」「顧客視点」というのは、強力なキーワードということですね。後から見た業績のみで、「顧客」を切り口にいうことができます(売上が上がっている=顧客を理解しているから当たり前ですね)

また、この本では、「戦略」と「実行」についても分析をしています。『「戦略」は正しかったが、「実行」ができていなかった』というのは、CEOを更迭する場合の良い言い方になります。「戦略」と違って「実行」ができていなかったというのは、抜本的な改革も必要とされません。何しろ「実行」はあやふやですから。


ビジネスにおいては、外部環境や運の要因が大きいのは明らかですし、ブックオフの100円コーナーに行けば、死屍累々のIT企業やその他の企業の成功法則にあふれています。トム・ピーターズの「エクセレント・カンパニー」やジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」で取り上げられた企業がその後にも同様にエクセレントでもビジョナリーでもないというのは有名です(そして、ほぼ同様にすべての企業とビジネス書が間違っている)

一方で、私たちはそれらの本を楽しく読むことができます。これはストーリーの罠と言えるかもしれません。「ストーリーを消費者に食わせる」ことで相手の思考を麻痺させるというのは頻繁に行われていますが、まさに私たちは「第5水準のリーダーシップ」や「リーンスタートアップ」という成功のストーリーを欲しているだけなのかもしれません。


ちなみに、この本で語っていた世界観は自分の感覚に近かったのです。「エクセレント・カンパニー」や「ビジョナリー・カンパニー」に対する批判は今更という感じです。しかし、このようなハロー効果はたしかに厳然とあり、ビジネス書を読むのはストーリーを味わうというやはり趣味にすぎない想いをさらに強くしました。結局、狼男を撃つ銀の弾丸などは存在しないということですよね。

posted by 山崎 真司 at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書