2008年09月16日

介子推

宮城谷昌光著
講談社文庫 714円(税別)
初版: 1998年5月(単行本は1995年6月)

 
晋の王、重耳の家臣だった介子推(介推)のお話です。宮城谷氏の小説は、どこまでが史実でどこまでが小説なのか分かりませんが。そもそも2600年以上も前の人の話なので、史実といっても創作が多く、史実と小説の分離自体がナンセンスなのかもしれません。
 
その友人石承と何人かのライバルを交えながら、素朴で誠実な介子推の人となりを描いています。暗殺と裏切りという影が常にチラついているのですが、それを策や知でなく、あくまでも誠と義で対抗していきます。
 
このあたりの筋まわしや、登場人物の清々しさが、まさに宮城谷氏といった感じでした。
 
posted by 山崎 真司 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2008年09月05日

ブギーポップは笑わない

上遠野浩平著
電撃文庫
初版: 1998年2月 
 
知人に勧められて読んでみました。読む前は口ぶりからメタフィクションっぽいものを想像いていたのですが。実際には、そうではないです。
ジャンルとしては、”少し不思議”系のSFでしょうか。ライトSF?
 
 

以下ネタバレっぽくなるかもしれません。
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ポイントは各章ごとに視点が移動することでしょうか。1つの事件を複数の視点から捉えていって、エンディン

グに向かっています。
 
スクリューの羽根をイメージしてもらって、それぞれ外から中にねじれながら(そして他の羽根とからまりながら)進んでいく。
 ただし、どの羽根も中心まではいかない、といった感じです。1章ごとのが、この羽根になっていてストーリーが進み、最後の1枚の羽根になるとスクリュー(=ストーリー)の全体を現すといった構造でしょうか。
 


ちなみに、この本を薦めてくれた人は、本を”ビジュアル的にイメージして読んでいく”タイプの人ということでしたが、私は全くそういうタイプではありません(うすうす気づいてましたが)。

この辺りが”文系読み”と”理系読み”との違いかもしれない、と読んだ後にふと思いました。
 
私もそうなのですが、私の知人(最も仲の良い人の一人)で多読家の人(大学の先輩?向こうが中学時代から知ってますが)も、読んだ後の小説の筋とかを相当忘れてる派なのです。
 
二人とも、ビジュアルイメージをきっちり持ちながら読むか、抽象的なもの(それはそういうもの)として読むかの違いなのかもしれないなー、と少し思いました。
 
posted by 山崎 真司 at 20:57| Comment(7) | TrackBack(0) | 小説

2008年09月01日

伝奇集

ホルヘ・ルイス・ボルヘス著
岩波文庫
初版: 1993年11月(原著は1941年の八岐の園と、1944年の工匠集の2編の短編集)


ボルヘスの2つの短編集をあわせたもので、メタフィクションではないのですが概念的な小説です。短編はそれぞれあるのですが、主に以下のものがモチーフになっています。

・連環(無限の概念)
・1元論と2元論
・不在

連環というのはその名の通りで、終わったように思えても元に戻ったり、そもそも無限がモチーフとなっているものです。
例えば、ある話においては最初は明確に”仕組み”がストーリー中に語られているのですが、進んでいくうちのその”仕組み”が消えてなくなっており、最後には、リアルな世界にある”仕組み”が存在するかもしれないといったことを示唆します。

また、「バベルの図書館」という秀逸な短編では、同じ本は一冊しか同じ本がないという無限の図書館(*公理*として無限を越えて存在している)について述べています。


1元論と2元論は、明確に”グノーシス派”と”新プラトン主義”という言葉があちこちにちりばめられています。様々なところで、「(全く違うものに思えるが)実はAはBなのだ」といったレトリックが多用されています。

実際に、ここでいう2元論は(デカルトでなく)わざわざ”グノーシス派”と明記されているのですが、小説の上での2元論は、小説上の”筋”(現実世界での肉体に対応)と”概念や作者の意図”(現実世界での精神に対応)といった2元論として読みました。
ただ、実際に読者からみた場合は、これらは単に”筋”という1元論として読み解くこともできるのですが。


不在については、ボルヘスの代表的なモチーフだと思います。世の中には「犬が鳴かなかった」ことが奇妙であるという事件もあるそうですが、ボルヘスも敢えて”不在”になっていることがあります。


上記のようなモチーフを元に、形而上学っぽいSF小説といったところでしょうか。解釈に悩む話もありましたが、大変楽しく読むことが出来ました。

posted by 山崎 真司 at 08:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 小説

2008年06月11日

白昼の死角

高木 彬光著
光文社文庫 1143円(税別)
初版: 2005年8月(元々は1960年)

 
いわゆる悪漢小説(ピカレスク小説)というジャンルの本でしょうか?実は、ピカレスク小説といったジャンルは小学校〜中学校の頃に読んだ”クラッシャー・ジョウ”シリーズと”クレイジー・リー”シリーズといった今は無き朝日ソノラマ文庫でしか読んだ記憶がありません...
悪漢小説といってもこの小説は海賊や怪盗の話でなく、詐欺師の話です。実話がベースになったもので、舞台は戦後直後の日本です。


詐欺師といっても、詐欺的行為も含めてともかくお金を稼ごうという男の話で、通常の企業がある枠(ルール)の中で行っていることを、ルール無用でお金儲けに走ったある企業の話と読むことができます。

実際に読むと、悪漢小説といっても、相手の心理を丁寧に読みながら、また法律の網の目の範囲から上手く抜け出さないように(実際には抜け出しているのですが、上手くつかまらないようにギリギリのラインで)慎重に詐欺を働くのは読んでいて爽快で(いいのか?)800ページ以上ある小説なのですが、あっという間に読んでしまいました。
 
posted by 山崎 真司 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2008年05月06日

ミューズ

赤坂真理著
講談社文庫 467円(税別)
初版: 2005年6月(文庫版 単行本は2000年3月)

この本は、男性としてどのように読めばいいのでしょうか?
現代の女性が抱える悩み。上の世代では男女差別といった社会と戦っていたものが、戦うべき対象がなくなってきている。逆に、現代の若い世代では過剰消費と戦っている(実際には勝ち目がないので、戦いでなく蝕まれている)のでしょうか?


主人公はモデルをしている高校生で、かなり年の離れた矯正歯科医に性的にも惹かれています。歯の矯正は雑誌などで見る「**がカワイイ」という自らの肉体も買うという消費者という立場、一方で(割がいいので)モデルやテレクラでバイトするという性の被消費者という立場、の間で揺れていると考えられます。

読みながら、消費者として何が欲しいのかという問いと共に、同じだけ(女性性という性的な意味での)被消費者に向けられる眼差しということを考えてしまいました。


この本の中では、過剰なまでの母親の影響と、同じようにまったく希薄な父親の影響、そして年上の歯科医の憧れということで、父性への憧れが描かれています。ここでの父性とは、”与える者”としての母性に対して、”制限をする者”ではないか、と考えています。例えば消費を与えるのでなくて、義務を与えるといった機能です。

現代の一緒に遊んでくれる”話の分かる、やさしい”お父さんは父性として機能していないのではないか、ということを考えてしまいました。


同じ赤坂真理の”モテたい理由”の書評はこちら

posted by 山崎 真司 at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2008年03月22日

かもめのジョナサン

リチャード・バック著
新潮文庫 476円
初版: 1977年5月

内容:
アメリカで1970年出版され、1972年にベストセラーになった「かもめのジョナサン」です。名前は有名で知っていたのですが、意外と最近の小説でした。

内容はカメモのジョナサン・リビングストンが、飛ぶことの歓びを求めて、他のカモメの群れから離れ、そしてまた群れに戻るという話です。


感想:
よくビジネス書で参照されているので読んでみました。読む前は、いわゆる「最初のペンギン」の物語か、「新しいチーズを探すネズミ」といった種類の物語と思っていたのですが...若干違いました。ビジネス書的な本というよりも、もう少し哲学的な感じの本でした。

イメージとして、速度の限界に挑戦する、夢を追う、人を導く、夢を託す、といった本でしょうか?
あまりうまい感想は書けませんが、さくっと読めて、なんとなく不思議な読後感がある本でした。ただ、騒ぐほどの本かどうかは微妙ですが...
 
 
蛇足ですが、”かもめのジョナサン”と聞くと、”スタートレック エンタープライズ”の”ジョナサン・アーチャー”と、トラック野郎シリーズでキンキン演じる寡の”ジョナサン”しか頭に浮かびません...
posted by 山崎 真司 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2008年02月03日

石田三成

童門 冬二著
学陽書房 840円(税別)
初版: 2007年12月

内容:
私が歴史小説家として最も好きな童門 冬二の本です。この本は元々は別の出版社から1996年に単行本で出版されていたものです。内容はいわゆる歴史小説なのですが、よくある歴史小説のような「石田三成 全人生」といった本という感じでなく、いくつかのポイントを取り上げて、石田三成とはどういう人だったのか、というのを童門氏の解釈から書いてます。


感想:
石田三成といえば、一般的にはそれほど人気がないけど、武将ファンや戦国マニアはかなりの人気を誇る武将...でしょうか?某ホームページの人気ランキングで、大谷吉継が一位で二位が石田三成だったのを見て笑ってしまったことがあります:-)

この小説では有名な挿話もほとんど軽くスルーか、それ自体語られておらず、全体の流れもポイントのみピックアップして語られています。(例えば関が原の合戦についてほとんど何も書いてない)
小説としては...この歴史小説らしくないスタイル(有名なイベントをベースに話を組み立てていない)ことへの違和感ばかり感じてしまいました。これは、歴史小説なのか、エッセイ集なのか...
 
posted by 山崎 真司 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2007年12月26日

マリア様がみてる キラキラまわる

今野 緒雪著
集英社コバルト文庫 438円(税別)
初版: 2008年1月

感想:
コバルト文庫の人気シリーズ”マリア様がみてる”の最新刊です。全巻で無事、瞳子と姉妹(スール)になった祐巳が、祥子様と遊園地に行く...という話です。

ちなみに、”キラキラまわる”というタイトルは、

キラキラ→思い出
まわる→世代交代

ということを意味しているかと思いましたが...ちょっと違うようですね。
内容は若干ネタバレもあるので、未読の方はここまでで...

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・黄薔薇について..
私は自他共に認める(?)黄薔薇派なわけですが、今回は由乃がちゃんと暴れてくれていい具合でした。まぁ、予定調和的な暴れっぷりなんですが...それはこのお話自体が予定調和的なもので出来ているので仕方ないですよね?令ちゃんがあんまりいじめられていなかったのが残念でした。


・白薔薇について..
話のツッコミが甘いような、乃梨子の心理描写のツッコミが甘いような...


・紅薔薇について....
うーん。


結局、今回は主軸としては由乃さんと、蔦子さんのお話だったということでしょうか。ちなみに、個人的に大きく気になった点は以下の2点

・菜々のことが有馬菜々でなくて、菜々とか菜々ちゃんと書かれると違和感がある件
...たぶん、どっかの二次創作の読みすぎです...反省します...

・P.185の挿絵の可南子さんが激しくかわいい件
もう駄目です。ノックアウトです。マリみて史上最大の盛り上がりでしたよ、マジで。


他人の書評を読んで:
http://himihimi.mo-blog.jp/blog/2007/12/post_c035.html
「その分可南子に出番が出たんだから(←実は可南子ファン)ツンデレ語通訳ナイス。乃梨子よりいい関係築けそうな木がするんだけどなぁ、あの二人。ほんと、いい子に育ったよ、可南子は。キャラ帽にポップコーンの可南子はもう、かわいくてかわいくて。」

いやー、もう、そうですよ、これ。全く同感。今回の巻は可南子回ですか?ですよね?(←さっき由乃と蔦子さんとか書いてたけど...)
 
 
posted by 山崎 真司 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2007年10月27日

生きる歓び

保坂 和志著
新潮文庫 362円(税別)
初版: 文庫版 2002年9月

内容:
保坂和志の小説です。作家に拾われた瀕死の子猫が「生きる」というお話の、「生きる歓び」という表題作と、田中小実昌(こみまさ)氏の追悼作である、「小実昌さんのこと」の二作が載った短編集です。

感想:
保坂氏のことは全く知らなかったのですが、なんとなくここのページ http://bm.que.ne.jp/ に載っていて気になって買ってみました。

読み始めると、1行目からいきなり引き込まれました。ちなみに「生きる歓び」の1文目は、こうはじまります
「去年は一月二月三月に雪がドカドカたくさん降って、家の北側の屋根に積った雪が隣りの庭に落ちて、南天や紫陽花の枝を折ったり曲げたりして謝りつづけていたが、今年は雪が降らずに余計な気づかいをしないですんだが...以下略
という感じで、一文が1.5ページも続きます。もう、ここでいきなりグイグイきちゃいました。「生きる歓び」は墓参りの途中で死にそうになった子猫を拾ってくるという、ミニマリズム的な小説ですが、どうにも小説という感じがなく、非常に違和感を感じます。


そして、「小実昌さんのこと」は文字通りで、田中小実昌氏との思い出を綴ったものですが、どうにも小説という感じがしません。たしかに”小実昌さん”と保坂氏のつながりを1シーンごとに切り取った小説と読み取れなくもないのですが、やはり小説という感じがしません。

あとがきを読むとたしかに小説とも解釈できるのですが、このあとがきも含めて、非常に興味深い小説だな、と思いました
 そういえば、小説なんて読むのは、「マリア様がみてる」とSF小説を除くとめちゃくちゃ久々です。1年半ぶりくらい?
posted by 山崎 真司 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説