2009年06月07日

パイドロス

 

プラトン著
岩波文庫 600円(税別)
初版: 1967年1月


某所の読書会での課題図書だったので、再読してみました。

この本は、ソクラテスとパイドロスの対話のみからなっていて、
パイドロスとソクラテスが”恋の相手”について語るという話ですが、
これが途中から”弁論”の話に展開していきます。


”弁論”については、弁論のその対象についてよく知らなければならないことと、
魂には様々な型があり、その型にあった話し方をすると、
より説得しやすいことを述べています。


これはプラトンもの全般に言えることですが、
具体的な”恋の相手”や”弁論”についてというよりも、
物事に対してどう臨むかを感じる本です。

”大哲学”とでも呼ぶような大上段に構えたものではありませんが。
物事というのをもっと見つめるということを考えさせられる弁論と、
プラトンの巧みなストーリーテリングが光っていると思いました。

posted by 山崎 真司 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2009年05月31日

自由は進化する

ダニエル・デネット著
NTT出版 2800円(税別)
初版: 2005年6月

 


この本は、ダニエル・デネットが自由意志について延々と述べている本です。

自由意志があるかというのは哲学上の難問のひとつですが、
デネットはその自由意志に関して決定論と自由意志は両立する、ということを主張しています。

決定論というのは、古典物理学的観点(ラプラスの悪魔がいる)とでもいうべきもので、
過去の状態から未来は一意に決まるというものです。

たとえば世界をボールの動き(実際には原子やもっと細かいクォークとかの塊)と見たときに、
ボールの質量や位置や現在の運動やそれに影響を与えるすべてがわかっていたら、
次の瞬間世界がどうなるか分かるというものです。


そうすると、我々は以前の状態から次の決定が行う、
つまり自由意志(自分で考えたこと?)なんてないんじゃないか、
というのが自由意志に関するよくある見解です。


これについてさまざまな観点から自由意志と決定論の両立を、
デネットは論じてます。

ただ、この本の中ではデネットの議論は前提と結論の間に若干ギャップがあるという印象がありました。

論理の展開に読みづらいと感じながらも、
自由意志の説明をするために、擬似乱数、進化論やライフゲームなどさまざまな例を出しながら説明していく展開は非常に興味深かったです。


デネットの本を読んだのは初めてでしたが、かなり面白かったので次は解明される意識を読もうと思いました。

 


P.S.翻訳が山形浩生氏なので、解説がいつもの山形節でした...

posted by 山崎 真司 at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2009年03月12日

言語を生み出す本能(下)

スティーブン・ピンカー著
日本放送出版協会 1280円(税別)
初版: 1995年7月


上に続いて、言語が生得的であるといったことについて考察しています。

ウェルニッケ失語症(単語能力が損傷する)やブローカ失語症(文法能力が損傷する)といった例を挙げながら言語能力が、脳の部分との結びつきがあることを示しています。このことは人間の脳がコンピュータのCPUのような普遍的な思考装置でなく、専用の暗号化装置を内蔵したコンピュータのように特定機能専用のモジュールを持ったものであることを示唆します。
言語能力の獲得については、言語能力のない種が淘汰されたという進化論的観点を提示しています。この説については”日経サイエンス2009年4号”では「そこまでは言い切れない」といったニュアンスで否定しています。たしかに、「言語能力がある種が残り、それ以外が淘汰された」という言説には一定の理はありそうですが、この手の言説はほとんど否定できないものなので原因の説明としては怪しさが残ります。
また、最後の章では”心の構図”と題して言語についてと認知心理学的見地から人間の心について考察をしています。ここでは人間の生得的な特徴をベースに、人間には共通の心があるのではないか、といったことを述べています。たしかに神話の構造などのように人間には普遍的な背景がありそうであり、普遍的な心(の一部?)といったものがあるかもしれないと思いました。
 
posted by 山崎 真司 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2009年03月05日

言語を生み出す本能(上)

スティーブン・ピンカー著
日本放送出版協会 1280円(税別)
初版: 1995年6月

言語が生得的なものかどうか、「思考は言語(母国語)に依存する」といったことについて考察しています。一般向けの著書なので、例文が英語(そして例文に絡んだ翻訳が微妙)なことを別にすれば非常に読みやすく書かれています。


基本的にはチョムスキーの生成文法を軸に、生得的に普遍的な文法解析能力(これが人間の言語本能)というものがあることを述べています。この根拠としては、言語を持たない民族・部族がひとつもないことと、ある年齢までは言語の学習速度が非常に速いことを挙げています。また、言語に関連する遺伝子があることも発見されており、これもある点では生得的に文法解析能力があることを示しているかもしれません。


この本を読んだ感想ですが。私はこれまでは、言語というものを考える上では語用論的立場(言葉の意味でなく、その言葉が他者に与える影響)から意味(というか他者との関係性)を捉えるといったことをこれまでしてました。つまり、生成文法というのはあくまで文法を解析するツールと考えていました(チョムスキーが気に食わないというのもありますが)。しかし、この本のように最近の認知心理学的な事例を交えながら生成文法について述べられると、それもアリかもしれないというように思いはじめました。実際にどのようにして、この文法解析能力を獲得するかということについては下巻で述べられていますが...

他の方の書評を読んで:
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070506/1178464060

20世紀後半の人文系は、多様性と文化相対主義をそのスローガンのように使っていたところがあるけれど、一方で人類というのはそれを可能とする普遍性もまた共有している。
要するに、生物の一種として人類を見る立場に立つと、人類は他の生き物とは異なる非常にユニークな存在である一方で、人類の内部での差異というのはそれほど際立っていないということだ。
この本の内容は同時に、言語哲学や文化論の自然化を促そうともしているように思う。


まさにこちらの方が書いているように、多様性と相対主義(記号論的相対主義?)の信奉者だったわけですが、この本のように認知心理学的視点から見ていくと、人間の普遍的な構造も分かっていきそうです。今後はこれらの認知心理学的な視点だけでなく、脳科学の進歩や遺伝子の解析などからも多大な進歩がありそうですが...

posted by 山崎 真司 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 哲学、人生論

2009年02月06日

MiND

ジョン・R・サール著
朝日出版社 1800円(税別)
初版: 2006年3月

 
言語行為で有名なサールによる、心身問題に対する入門書です。心身問題というのは、長年にわたって問い続けられていた「心はどこにあるのか」という問題です。サールはすっかり言語学者(言語哲学者)と思っていたのですが、心身問題に絡んでいたのですね...
そういえば、”サールの中国語の部屋”というのは聞いたことあったのですが、このサールだったんですね。


ちなみに「心はどこにあるか?」という問題は、直感的には身体の上にはないのですが(心が脳の上にあるという認識はない)、デカルト以降は「身体と心は別もの」(二元論)という認識が一般的だったと思います、一方最近は認知心理学や脳科学の進歩もあり、「脳の上に心がある」(唯物論)というのが一般的な考え方でしょうか。


この本は心身問題についての入門書と同時に概説書であり、サールがそれぞれについて多少のコメントをしながら心身問題について語っています。ただし、心身問題についての正解がかいてある本ではありません。

この本では心身問題について、二元論、唯物論、自由意志、無意識、知覚、といった観点から考察しています。


これを読んだ感想としては、心身問題については3人称的な自己(唯物論的な自己)と、1人称的な自己(意識)とのギャップが説明されておらず、これをどれだけ今後の脳科学で説明をしていけるか、その残ったギャップを、どれだけ哲学でより高い精度で埋められるかが問題だと思いました。


また、この本の主題から若干離れますが、やはり現代科学における脳科学の影響です。少し前は、認知心理学の影響が非常に大きいと思ってますが、ここ数年は脳科学が本当に広い分野に影響を与えていると改めて思いました。

posted by 山崎 真司 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2009年02月05日

自省録

マルクス・アウレリウス・アントニヌス著
岩波文庫 700円(税別)
初版: 1956年10月


原著は...本という体裁ではなく、有名なローマの五賢帝の最後の一人、哲人皇帝とも言われるマルクス・アウレリウス(121-180)の書いたメモです。ですので、この本も本というよりも、断章といったもので、長くても1ページ程度の文章、主に5行〜10行程度の自分へのメモといったものです。まさか1800年以上たってから、印刷されて読まれるとは思ってもいなかったでしょう。


基本的にはストア哲学という考え方で、セネカなどの本と全く同じ思想で貫かれています。

ポイントとしては、
・正しく生きること(他人との関係でなく、自分自身として正しく生きる)
・生というのはかりそめのものである

といったところでしょうか?特に他者へ何かを求めるということよりも、自分自身から正しく生きるといったことを重視しています。これは、自分に厳しいと見るか、他者に何も期待しない寂しさとみるかは人によるかもしれません。


また、文章の節々に、哲学者への憧れといったものが書いてあります。マルクス・アウレリウスはローマ皇帝だったのですが、本当は哲学者になりたかったようで、ことあるごとに「哲学者への道は諦めるんだ」と自分に言い聞かせています。他にも、自分への言い聞かせがあちこちにちりばめてあります。哲人皇帝と言われたローマ皇帝がどのように苦しみながら生きたかを伺い知ることもできるという点でも、ある種の実践哲学書として読める本かと思いました。

posted by 山崎 真司 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2008年12月12日

ベーコン

石井栄一著
清水書院 893円(税込?)
初版: 1977年10月

 
タイトルの通り、ベーコンの解説本です。このベーコンは中世イギリスの哲学者フランシス・ベーコンで、錬金術などの研究で有名なロジャー・ベーコンではありません。かなり嘘っぽいですが、一部ではシェークスピアの中の人とも言われています。また、同姓同名の画家がいますが、当然違います。
 
ベーコンが何をやった人なのか知りませんでしたが、この本を読んだポイントとしては”帰納法”の重視と”イドラ”でしょうか。


帰納法については経験を重視したということです。この本からベーコンの思想の帰納法については読み取れませんでしたが、ほぼ同時代人にガリレイ(ベーコンの3歳下)、ケプラー(ベーコンの10歳下)という背景を考慮して読むことができます。それまでのアリストテレスを軸としていた科学が、現代科学に進んでいく過程の哲学者として読むのが適当でしょうか。


イドラというのは、”幻像”とも訳されていて、真の実像に対する移ろいやすい影で、真理の認識の前に立ちはだかるもの、とあります。

イドラには4つのイドラがあり
1.種族のイドラ
2.洞窟のイドラ
3.市場のイドラ
4.劇場のイドラ
です。

それぞれを軽く見ると
種族のイドラは人間性によるもので、
1−1.人間の知力は実際以上の秩序や等しさを、諸事情の間に見てしまう。
1−2.ある考えを持つと、反対の事例を無視し見逃す傾向がある。

洞窟のイドラは個人によるもので、
2−1.自分の好きなもの、関心のあるものへの愛着から物を見てしまう。
2−2.知性の方向性が人によって違う。差異を見る人や、類似点を見る人がいる。全体を大きく見る人、細かく見る人、それぞれ得手、不得手がある。

市場のイドラは、言語と事物の名称によるもので、
3−1.議論が言語上のものになり、本質から外れたりする。
3−2.言語の定義や言葉の限界が不明である。

劇場のイドラは、学説などの明確なもので、
4.各種の学問とされるが誤ったものにより、物事を誤る。

といったこれらのある種のレンズの歪みにより真実を見誤ることです。


帰納法といいこのイドラといい、ベーコンの思想は、近現代の一般的な科学観と非常に近いものがあると感じました。

posted by 山崎 真司 at 23:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2008年12月06日

開かれた社会 開かれた宇宙

カール・ポパー フランツ・クロイツァー著
未来社 2000円(税別)
初版: 1992年9月


1979年に行われたクロイツァーのポパーに対してのインタビュー集です。元々は3回に分けられてテレビで放送されたもので、サブタイトルが「哲学者のライフワークについての対話」となっています。

 
内容は、クロイツァーがポパー哲学やその周辺に詳しいのか、ポパー哲学を俯瞰するような内容となっています。反帰納主義について、ポパーの世界1,2,3について、反証主義、ダーウィニズム的な世界観や、決定論について、といったことについて、話しています。それぞれについては2,3ページ程度の分量で、また、クロイツァーのリードも非常に巧みなせいか、サクサク読めました...
ただし、内容についてはポパーの他の本を読んでいたから理解できたものの、この本では全体に説明が少なすぎて非常に理解しづらくなっており、本当に俯瞰だけとなってしまいました。この点が少し残念です。やはりテレビ向けということでしょうか。


他人の書評を読んで:
みつかりませんでした。。。そんなにマニアックではないと思ったのですが。


 

posted by 山崎 真司 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2008年11月24日

確定性の世界

カール・ポパー著
信山文庫 680円(税別)
初版: 1998年3月(単行本は1995年、原著は1990年)

 
ポパーの2つの講演「因果性についての二つの新見解」と「知識の進化論に向けて」とアーンスト・ゴンブリックの講演「ポパーと私」が掲載されています。ポパーの2つの講演はそれぞれページ数はあまり多くなく、また一般向けの講演なので比較的読みやすいのでポパー入門にはいい本と思いました。もちろん、実際に読むには理解するために根性が必要かもしれませんが(ただし、それが心地よい?)。
ポパーについては科学哲学者といわれ、反証可能性や世界1・2・3といった分類を行っています。


「因果性についての二つの新見解」ではハイゼンベルグの不確定性原理の因果関係観から、確定性(propensity)の場という概念を提案しています。これは、A→Bというニュートン力学的な確定的な因果関係観から、AからBの間に様々な確率的な状態を経てBが成立するという因果関係観を示しています。ハイゼンベルグの不確定性原理が「世界が決定論的でない」ことを表わしているかどうかは分かりませんが、因果関係*観*としては、このような確率の場を考えるというのは有効だと思います。


「知識の進化論に向けて」では、「知識というのは帰納によって学習されるものではない」という主張が述べられています。これは、たくさんの事象があってそれで物事の背景を学習する、というのでなく、実際にはある事象があった時に、「(暗黙的にしろ)ある仮説を持っていてその仮説の否定→新しい仮説の提案という繰り返し」によって学習をするという知識観になります。

例えば、「花が太陽の方向を向くと有利」という仮説を持った植物と、「花が太陽の方向を向かないと有利」という仮説を持った植物の2つの植物がそれぞれあった場合に、いくつかの世代を経て、結果として「花が太陽の方向を向かないと有利」仮説は棄却され、「花が太陽の方向を向くと有利」仮説が残ります。これがひまわりの進化の背景という知識観となります。


この本は2つの講演ということで、「因果関係とは何か」、「知識とは何か」といったことの考察になっていますが、何気なく考えていることの様々なベースにまえ踏む込んで深く考察するということはあまりないと思います。その点でも非常に刺激的な一冊でした。


 

posted by 山崎 真司 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論

2008年11月20日

饗宴

プラトン著
岩波文庫 560円(税別)
初版: 1952年10月


原著は2300-2400年くらい前の本でしょうか?原題はシュンポシオンでシンポジウムの語源だそうです(Wikiより)。

話は、アガトンの家でソクラテスや他の客が愛の神(エロス)を讃えるという物語です。ここでそれぞれが愛の神を讃えるのですが、基本的には「愛」についての演説です。
ここでエロスを”万人向けのもの”(パンデモス)と”天上のもの”(ウラニオス)に分けたり、失われた自分の半身を求めるといった演説が行われます。


それにしても、愛についてというテーマのせいか、この演説はそのまま今でも当てはまる普遍性があります。

「なぜなら、僕だってつねづね、愛に関することのほかは、なんにもわかっていないと主張しているほどだから、(以下略)」とソクラテスが言うだけのことはあって、いつもの無知の知といった対話編と大きく趣が異なります(弁明もですが)。
 
posted by 山崎 真司 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論