プラトン著
岩波文庫 560円(税別)
初版: 1952年10月
原著は2300-2400年くらい前の本でしょうか?原題はシュンポシオンでシンポジウムの語源だそうです(Wikiより)。
ここでエロスを”万人向けのもの”(パンデモス)と”天上のもの”(ウラニオス)に分けたり、失われた自分の半身を求めるといった演説が行われます。
それにしても、愛についてというテーマのせいか、この演説はそのまま今でも当てはまる普遍性があります。
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プラトン著
岩波文庫 560円(税別)
初版: 1952年10月
原著は2300-2400年くらい前の本でしょうか?原題はシュンポシオンでシンポジウムの語源だそうです(Wikiより)。
それにしても、愛についてというテーマのせいか、この演説はそのまま今でも当てはまる普遍性があります。
筒井賢治著
講談社選書メヂエ 1500円(税別)
初版: 2004年10月
”グノーシス”というのは「認識」、「知識」を意味するギリシア語です。
創造神を含めてこの世を蔑視して、この世の上にある上位世界(そして外部にある至高神)を信奉するといった宗教です。この世界認識を持ってるのが”グノーシス”です。
1.至高神=創造神は、自らが造った人類を罪から救うべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。
2.至高神は、低劣な創造神が造った人類から、その中に取り残されている自分と同質の要素を救い出すべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。
3.至高神は、自らとは縁もゆかりもない低劣な創造神が造った、自らとは縁もゆかりもない人類を、純粋な愛のゆえに、低劣な創造神の支配下から救い出して自分のもとに受け入れようとした。そのために至高神は自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。
ちなみに注意事項としてはグノーシス系の文脈ではプトレマイオスという名前が出てきますが、あの天文学者のプトレマイオスとは同時代でも別人です。
これまでキリスト教は、漸進的に進化していると漠然と思っていたのですが、こうやって読むと、異端という対照があって、正統派が深化したのでしょうか。やはり、思想というのは対立軸があってこそ深まるということでしょうか。
他人の書評を読んで:
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004060.html
正統派のキリスト教では人間は知恵の果実を食べたから楽園から追放されたことになっている。グノーシスでは逆に知恵の果実を食べて覚醒することで上位世界へ帰還することを薦めているように思えた。グノーシス研究上、重要な古文書ナグ・ハマディ写本には、プラトンの「国家」も収録されているそうだ。理性重視のギリシア哲学やプラトン思想に影響を受けていることが強く感じられる。
たしかにこの本を読んでいると、ナグ・ハマディ写本とかに興味でてきます。そして、このグノーシスも(そして一方で正統派キリスト教も)プラトン思想の影響を強く受けているという印象はあります。私の解釈では、理性重視、というよりも、理想重視、でしょうか。グノーシスは今の基準からすると、理性というよりも、理想論、でしょうか。もちろん、理想論というのは世界の理想でなく、ある人の理想論なんですが。
ちなみにマルキオンはもともとは船主だったということです。ストア派のゼノンも元々は船乗りだったはずです。やはり、海の上で星を見上げていると人は哲学者になってしまうのでしょうか...
ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル著
岩波文庫
初版: 1994年8月
では、ヘーゲルはこの歴史哲学講義で何を言おうとしていたのでしょうか。ちなみに、この歴史哲学講義は、まさに講義ノートですので、当時の大学(今の大学と違って本当にエリートの集まりだったはずです)で教えていたもので、それを踏まえて読む必要があります。
どうでしょうか?私はかなり違和感を感じてしまいました(それが、”今”の差から来るものかもしれませんが)。
では、現在の日本人がこの歴史哲学講義より”今”を読む時は、どのように読むべきでしょうか?
プラトン・クセノポン著
講談社学術文庫 880円(税別)
初版: 1998年2月
ソクラテスは「死を免れるより、卑劣さを免れる方がはるかに難しい」といった主張をしていて、これは印象に残っていたのですが。
むしろ、「だってきみたちにはずっと前から分かっていたのではないかね。ぼくが生まれたその瞬間から、自然によって、ぼくに死刑が宣告されていたのだということがね」といった死へ向かう立場が”弁明”のポイントでしょうか。
そもそも、”生”と”死”はどちらがよいものなのか分からないのですが、もし”死”の方が”善”だとしたら、知人や友人に悔やまれながら”自殺”をしたソクラテスは本当に幸せだったのではないか、と思いました。
ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル著
岩波文庫
初版: 1994年6月
この本では、序論と第一部の東洋世界が収められていますが、序論ではヘーゲルの歴史観が述べられます。なお、この本での歴史は哲学的な意味での歴史となっています。
この本を読んでいると、ヘーゲルが文化(思想?)というものがどうあるべきと考えているかは非常に分かりますが、そこに至る過程は一切説明がなく所与のものとして記述されています。また全体的に、ある摂理の元で歴史が進んでいること(基本的に正しい方向へ進んでいる)という思想が強く、またドイツ(プロイセン?)を強く肯定しているという背景が見え隠れする感が少し鼻につきますが...
ナシーム・ニコラス・タレブ著
ダイアモンド社 2000円(税別)
初版: 2008年1月
タイトルは「まぐれ」ですが、何がまぐれと言っているのでしょうか?
全部です。
いや、ほとんど全部です。いや、多くの事柄のかなりの部分といったところでしょうか。
この本のポイントは3つでしょうか。まず、1つめは人間はある結果に対して運の要素をあまり考慮せず、何かの原因を探してしまう傾向の指摘でしょうか。
2つめには、稀にしかないことを無視してしまうことです。例えば、ある国の国債がアメリカの国債よりも金利が2%高いとします。これはアメリカの国債が債務返済不能にならないと仮定すれば、もう一方が簡単に計算すれば100/2 = 50で50年に一度債務返済不能になってしまう確率があるならばあまりいい国債と言えません。一方で50年に一度債務返済不能になる確率はあるでしょうか?
3つめですが、確率的に歴史を眺めるといった視点です。この本はサブタイトルが「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」となっていて著者は投資家なんですが、この著者の投資哲学から来た概念でしょうか。
この確率的に歴史を眺めるというのは起こらなかった歴史も考慮するということです。投資の世界において、例えば上がる確率が90%、下がる確率が10%といった場合でも、上がる場合の金額の期待値と下がる場合の金額の期待値を考慮しないといけないです。そして結果を見てパフォーマンスを評価するときでも、結果として上がったこと(もしくは下がったこと)のみで評価するのでなく、起こらなかったもう一つの可能性も考慮して判断を評価しないといけないということです。
実際に、人間はあることが起こるとその結果のみに注目してしまいますが、実際には判断の正当性を評価して、それは起こらなかった歴史を考慮しないといけないです(そうしないと、例えば90%の確率で10円あがり、10%の確率で100円下がるようなものの売買について、買う方がベターという判断になりがちです)。実際に、日常でもこのような起こらなかった歴史について考えながら、行動を判断するというのはとても刺激的な経験となります。
とにかく、この本は私が読んだ中では今年のダントツ一位の本でした。
他の方の書評を読んで:
http://blog.livedoor.jp/sioyakioh/archives/455734.html
ただ、そういう人間と付き合いのある方はこの本を読むことを特に勧める。
その人の真の実力を測る判断材料のひとつとして。
副題にあるように、人は「運を実力と勘違いしやすい」のだ。
無論、最も読むことを勧めるのは運用やトレーディングに従事しているその人自身なのだが。汝自身を知れ、とはこのことである。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50992418.html
本書のメインディッシュは、カール・ポパーの半焼主義、失礼、反証主義 である。それが科学者の言葉ではなく、金融屋の言葉で書いたその部分こそ、出師の表なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20080211
佐伯胖編
東京大学出版会 2400円(税別)
初版: 1985年11月
コレクション認知科学の2巻です。このシリーズの他のものは全て書かれたものだったのですが、この本は”理解とは何か?”というシンポジウムでの5人の講演を起こしたものです。
具体的に最も興味深かったのは、「赤ちゃんは相手の立場に立って考えることができるのか」という実験です。これは、赤ちゃんに、例えばAさんが小さな箱にりんごを入れておき、Aさんがいない間にBさんが小さな箱のりんごを中くらいの箱にりんごを移して、Aさんが戻ってきて中くらいの箱(小さな箱)からりんごと出す、といったことをしてその反応から赤ちゃんがAさんが何を見えているのかを理解しているかを確認するといった実験です。
このような実験心理学的なアプローチはいいのですが、それ以外の”理解”は心理学だけでなく、哲学、言語学、脳科学といった要素があり、非常に難しい分野とは分かっていたのですが...
長谷川宏著
講談社現代新書 700円(税別)
初版: 1997年5月
以前、ある知人に「山崎さんって、全然哲学とか読まないんですね」といったことを言われて驚いたことがあります。実は、その後でその知人が挙げたいくつかの著者については私は全く哲学者と思ってなかったのがあり、一方で自分は哲学っぽいものを読んだりもしてると思ってたけど、たしかにそれらが哲学なのかどうか分からなかったからです。
もちろんどれが”哲学”でどれが”哲学”でないか、といった定義には興味がありませんが、考えることは意味があるでしょう。
明らかに哲学者としてみなされるであろう人が何人かいるでしょうか。
・ソクラテス
・デカルト
・カント
・ヘーゲル
この中では、ヘーゲルが一番手ごわそうなイメージがあります。ありますよね?
あれ?ないですか??私のイメージでは、弁証法といった手法には興味をありながら、ヘーゲルの哲学”体系”は難解に違いないと思ってました...
また、ヘーゲルが”美学講義”という本を出していたのは知っていたのですが、かなり興味が出てきました。
・古典芸術の彫刻では、主観的な内面と外形とがぴったり即応し、外形が内面を過不足なく形象化し、内面と離れて勝手な動きをすることがなかった。
・醜くゆがんだ外形をあえて造形することによって内面の真理に至ろうとするところに、精神の深さと強さがあると考えた。
生田久美子著
東京大学出版会 2400円(税別)
初版: 1987年9月
先日読んだからだ:認識の原点及び比喩と理解と同様にコレクション認知科学の第6巻となります。
この本は西洋的な学習と東洋的な学習を、心身二元論と心身一元論から読み解いた本であり、著者は「知識とは何か」というところから当初は組み立てたということですが、実際には「教育とは何か」を考えさせられた本でした。
日本の伝統芸能では、”見て覚える”という学習スタイルを取っていますが、西洋的にはピアノのバイエルのように系統立った学習プロセスがあったりします。また、学習においては、簡単な曲から順に難しい曲に移るといったことがありますが、日本の伝統芸能的な学習ではそのような段階性はありません。
また、学習においては、外形的な”形”から、その意味も踏まえた”型”を習得して、その後に”間”を覚えます。この”間”というのは、”型”と”型”との間にある無のことです。例えばビリヤードでいえば、フォームやストロークでなく、待ち方や試合中の心の置き方などになるでしょうか。
この本のテーマはこのような”学習”が、失われているということでしょうか。
背景にはデカルト以降の心身二元論と、心は身体より上という前提があります。たしかに心というのはなんとなくすぐに変えられそうだし、例えばスイング理論さえしっかりしていれば(つまり頭でさえ分かっていれば)すぐにゴルフできるという前提も学習者にとってとても魅力的ではあります。
もし、完璧なスイング理論と高い身体能力があっても、実際にはゴルフの”形”は得られても、”型”や”間”の習得はできません。一方、実際の模倣を通した学習では、”形”だけでなく、それ以外のことを同時に学習することができます。これは実際には模倣だけでなく、模倣を通じて、その意味を問うということを繰り返すからです(逆にそれをしない人はそこまで)。
このような理論重視は教育においてもいえます。例えば、農業について学習する際に農作物の育て方といった理科の授業と、農家の生活という社会の授業をやることで、予め規定したポイントとなる”知識”を学習することはできますが、実際に畑で作物を育てることをすると、教師が規定していた”知識”以外のことを学習することができます。
このように教育から、”間”のような深い部分までを学習する機会が失われたということは明示的には述べていませんが。たしかに、「わざ」の学習という視点から突き詰めると、現代の効率化というものは多くの学習機会を捨ててしまったんだな、と思わざると得ませんでした。
山梨 正明著
東京大学出版 2400円(税別)
初版: 1988年3月
比喩について考えたことありますか?私はありません。
この本は、認知心理学的に比喩を捉えた本かなと思って読んでみたのですが、むしろ言語学の本です。
・君はぼくの太陽だ
・彼女は母親のようだ
のようにそれぞれ文脈がなくとも意味が分かる比喩と意味が文脈に依存する比喩といった使い方や、
・硬い音色
・あまい声
のような、別の感覚(触覚や味覚を聴覚表現に使ってる)の表現で意味を補足するといった使い方などを分類・分析しています。
これまで、比喩というものについて考えたことはなかったのですが、比喩というのは言語体系(ラング)からなる文で表現できる意味空間を、比喩を使うことによってそれぞれの単語からなる原義的な意味とは違う意味空間を指し示すことができるということでそしょうか?
また、比喩について考えてみると、その言語学的な側面だけでなく、比喩を使うことで相手が理解していない概念や技術を漠然と理解させることができるという面も興味がでてきました。ただ、この本では、そのような学習においての比喩表現についてはあまり触れられていません。
佐々木 正人著
東京大学出版 2400円
初版: 1987年11月
認知と体というのは密接な関係があり、人間の認知には体が必要ということは言われています。
イマニエル・カント著
綜合社発行 1300円(税別)
初版: 2007年11月(原著は1795年)
倫理学は難しいですか?
この本は帯には「16歳からの平和論」とあり、思わず買ってしまいました。
カントというのはあまり馴染みがないのですが、イメージ的にはもっとカチっとした分析をしていくのですが、この本はむしろ熱い想いをそのままぶつけたといった感じでしょうか。たしかに宣伝文句通り”16歳”でも分かる本です。
V・E・フランクル著
みすず書房 600円(1971年当時)
初版: 1961年3月
内容:
心理学者であり、フロイト、アドラーの流れを汲むフランクルが、ユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に連れられ、奇跡的に生還した際のことを記述したもので、1947年刊行の本です。
感想:
フランクルの本というのは、彼の著作である『「生きる意味」を求めて』と『意味への意思』を読んだことがあったのですが、最も有名なこの本は読んだことがなかったので、読んでみました。
他人の書評を読んで:
http://www.1book-day.com/blog/2004/06/17/200211.html
●この本を読んでから、食事がおいしく感じるようになりました。食事が食べられるというのはなんと幸せなんだろうと思えるのです。
http://polylogos.org/books/frankl9.html
改めて読んでみると、「何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。言い人は帰ってこなかった、と」(5)という事実と、生き延びる意志をもちつづけることのあいだの曲芸のような営みのうちで、生者と死者が決まることがよくわかる。
http://ameblo.jp/tohshindai/entry-10073050203.html
悲しみの涙なのか、感動の涙なのか。
栗原 隆著
NHK出版 1000円(税別)
初版: 2004年9月
内容:
ヘーゲル初心者向けの本で、ヘーゲル哲学の特徴と弁証法の説明を中心にしています。
・ヘーゲルにおける体系とは何か。
・弁証法とは?。
・循環とは?
感想:
弁証法という言葉はよく聞いていたのですが、いったいどういうものか分からなかったので弁証法についてなるべく平易に説明されている本を探して買ってきました。
弁証法について簡単に述べると、
また、循環というのは、Aの成立を前提とした上でAが成立するような論理的展開です。「だって私は正しいんだから、私が正しい」のような理論でしょうか?もちろん、Aが成り立つことを前提として、Aを証明している段階で、論理的には循環は無意味です。
つまり、弁証法にしろ、循環にしろ、悟性的に認識しているようなある問題や事象について、より深く検討するためのツールであるということが言えると思います。
他人の書評を読んで:
http://dogu.no-ip.org/archives/catlist/000702.php
直球でかつキレイに書評として本をまとめていらっしゃって、自分が書いた文章が軽く恥ずかしくなりました。
ウィリアム・パウンドストーン著
青土社 2800円(税別)
初版: 2004年10月
内容:
原著は1988年のもので、タイトルの通り、各種のパラドックスを集めて解説しています。ゼノンの逆説(有名なアキレスと亀の話)などの逆説の話から始まって、囚人のジレンマなどのゲーム理論や計算量(NP完全)や暗号の話なども含んでいます。ただし、ゲーム理論や計算量の話をするのでなく、あくまでもいろいろなパラドックスの説明という範囲で行っています。
感想:
哲学書のそばにおいてあったので、なんとなく買ったのですが....面白いです。
他人の書評を読んで:
と、これまでは感想までしか書いてなかったのですが、これからは感想を書いた後に他人の書評を読んで自分の読みの甘さを反省しようと思うことにしました。
http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/parad-tz.htm
概ね思っていたことと近いです。私もニューカムの逆説(全知の人がいるとして、ゲームで不利になってしまうことがある)というのは衝撃でした。もちろん、全体的にパラドックス自体が知的パズルという楽しさがあるので、そういうワクワク感は全編を通してあったと思いますが。
http://have-a.tea-nifty.com/kiyomine/2004/12/__1.html
「パラドックスを解りやすく紹介するという命題こそがパラドックスなのだ。」
というのが素敵でした。パラドックスの本はむかーしちょっと読んだ程度ですが、ゲーム理論や計算量について分かりやすく書かれた本って読んだことなかったです...
ショウペンハウエル著
岩波書店 400円(税別)
初版: 1952年10月
内容:
元々は1851年著の作品で、以下の5篇からなっています。
・我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて
・現存在の虚無性に関する教説によせる補遺
・世界の苦悩に関する教説によせる補遺
・自殺について
・生きんとする意思の肯定と否定に関する教説によせる補遺
感想:
「道は開ける」を読んだ流れで、セネカの「人生の短さについて」と共に読み始めたのですが...難しかったです。知らない言葉がいっぱいあります。現存在とか、まったくイメージできてません。そして、カントについても全く不勉強でして...
ちなみに、続いて「意志と表象としての世界」を読もうと思ったのですが....立ち読みしたら難しかったので、スルーです。むーーん X_X)
セネカ著
岩波書店 600円(税別)
初版: 1980年11月著
内容:
紀元前4頃〜紀元後65のローマ人であり、ストア哲学者のセネカの書いた短編集です。「人生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な人生について」の3篇です。
感想:
カーネギーの「道は開ける」を読んだ流れで読んでみました。ほぼ同時にショーペンハウエルの「自殺について」を読み始めたのですが、こちらの方がかなり読みやすかったです。
「自分の追従(ついしょう)によって自分が滅びるよりも、他人の追従によって滅びる方が多いと判断してはならない」...人生の主人公は自分、このテーゼは文句なく受け入れられます。そして、現在の状況は全て自分の判断の結果だというのも分かっています。でも、他人からどう思われるかを気にしていっぱいミスしています....いかほどー。
「賢者には万事が望み通りになるのではなく、考えどおりになるのである」...死ということと、絶望をベースに考えた場合には、人生で起こることはほとんど想定内に収まるはずです。そして、いろんな不運に対しても心を揺らさずに生きていけるはず...
デール・カーネギー著
創元社 1600円(税別)
初版: (新装版)1999年9月
内容:
元々は1944年にアメリカで発刊された”How to stop worrying and start living.”の翻訳です。著者は「人を動かす」とこの本で有名なデール・カーネギーです。原題の直訳としては、「悩むのをやめて、生きるための方法」といったところでしょうか?
・悩みとはどういうものか
・悩まないための方法
・批判を気にしないための方法や、不眠症に悩まないための方法などの個別のいわゆるTips的なトピックといった内容が、デール・カーネギーが実際に集めたいろんな人の話を織り交ぜながら書かれています。
感想:
カーネギーの「人を動かす」は好きで何度も読んでいたのですが、こちらの本は有名な本だとは知っていたのですが、ずっとスルーしてました。タイトル的にナポレオン・ヒルの本みたいな「信じればなんとかなるなる〜」といった内容と思い込んでいたのです。
・悩まない方法
1.状況について最悪の事態を予測する
2.その状況を受け入れる覚悟をする
3.最悪の状況を少しでも好転させるために時間とエネルギーを集中する