外山滋比古著
ちくま文庫
初版: 2007年10月(元は1981年11月の「読書の方法」(講談社現代新書)に加筆修正したもの)
私は読んでませんが、「思考の整理学」で有名な外山滋比古氏の本です。タイトル買いの一冊です。....いや、プロローグは読んでから買いましたけど。
この本では”既知を読む”ことを”アルファー読み”、そして”未知を読む”ことを”ベーター読み”と称して、”アルファー読み”と”ベーター読み”の違いと、”ベーター”読みの優位性や必要性を述べています。
以前読んだ本の中で、理解をするときに抽象度のレベルがあって、
・自分に起こったことが分かる
・ストーリーが分かる
・ストーリーがないものが分かる(数学や哲学など)
といったことが書いてあった記憶があるのですが...
この本では抽象度という軸でなくて、”既知と未知”という切り口から述べています。
本の内容をざっくり要約すると、自分がきっちり理解できる小説や、例えばスポーツ記事のような既知のことばっかり読むのでなく、自分が”分からない”ことを含むものを読む。
例えば古典や経済記事や政治記事のようなところも読みましょう、といったところでしょうか。
個人的に面白かったところとしては、”言葉”を「ごく親しい人の間柄などで持ちいられる省略の多い」限定用法と「論理的で、文法的にもいっそう整備あれたフォーマルな」精密用法というものがある。
そして、学校の授業では主に(実際には会社などのフォーマルの場では)精密用法が用いられるため、家庭などで普段から精密用法を使っている方が有利となる、ということでしょうか。
実際には、ここでいう限定用法を使うような家庭と精密用法を使うような家庭があり、また精密用法を使うような家庭の方が「悪いこと」をした時にも、どうして悪いということを説明する傾向があることなどもあります。
また同じ”ベーター読み”でも、本を読むとき時には「著者の考えや人となりから思想など」を手がかりに読んでいくといった読みと、「その表現の形式」から読んでいき「著者の個人的コンテクスト」でなく「普遍的コンテクスト」として読むといった読みがあります。
”ベーター読み”の中でも、このような解釈の軸を持たないまま未知を読んでいくという「普遍的コンテクスト」の読みといったものの必要性も述べています。
他の方の書評を読んで:
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/1514/2023/50573266私の理解では、読み方を洞窟探検にたとえると、アルファ読みは「ちゃんと入り口から入って、地図をもって、命綱を引いてもらって探検する」ようなやり方。一方、ベータ読みは「いきなり目隠しとヘッドフォンをされて洞窟の中に放り込まれ、懐中電灯一つでそこから脱出する」ようなやり方だと思います。このやり方だと、自分の全感覚を研ぎ澄ませてで洞窟の壁の様子や風の方向などを観察して、徐々に状況を理解しようとします。 一方、アルファ読みの方は、地図を持っているので、そこまで観察しません。だからこそ、見落としてしまうものがあると、そんなように思います。 ですから、余計な地図(読みにおいては先入観など)を持たずに、洞窟の様子を観察(文章を書かれているとおりによく解読)することにより、より深く文章を理解することが出来る、と、このようにも思いました。
素敵なたとえですが、先入観などを持たずに読むというのが果たしていいのか、悪いのか分からない気もしてます。単独のテクストを読むという上では、既知のことの方がよく読めるとは思うのですが...
一方で、(今)読めないもの読んでいくということでなければ、既知の領域が広がっていかないということでは理解できるのですが...
それでも、目隠しとヘッドフォンをされて洞窟の中に放り込まれたような読みこそが、神経を尖らせるということに異論はないですが。
http://archive.mag2.com/0000247693/20071204084824000.html?start=60
ベータ読みの訓練方法は幾通りか載っていますが、
その前後が、なぜかかなりクドいのがこの本の特徴です。
それはなぜかというと、この訓練方法、かなり前時代的なのです。
著者もそれを分かっていて、こんなことを書いています。
このすごくよくまとまってるブログですね。たしかにこの本では前時代的なことが書かれています。
外山氏も書かれているのですが、私は「杉田玄白」よりマシと思いながら読むことがあります、そういうボトムラインと比べると、最近の読書環境は相当マシだと思うのですが...
posted by 山崎 真司 at 07:48|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
その他、一般