2014年01月08日

私が、5回以上読み返したビジネス書4冊

2013年に読んだ本ベスト10を書こう...と思ってたのですが、ふと思って、私がこれまで5回以上は読み返しているビジネス書というのをまとめてみました。これまで500冊以上、おそらく1000冊くらいはビジネス書を読んでいると思いますが、その中で確実に5回以上読んだという本は4冊だけでした。しかも2冊は同じ著者...

意外と、納得の選書じゃないかと思います。それではどうぞ!


キャズム ジェフリー・ムーア



私が一番繰り返し読んだビジネス書がコレです。

主にハイテク産業についてですが、それ以外の様々な業界での商品の受容のプロセスをキャズム(崖)というキーワードから読み解いています。

商品というのは、最初にグーグル・グラスを発売と同時に買うようなマニアックなガジェット好きな人が買ってから、次に「流行っているらしいから買う人」。
「便利そうだから買う人」。
「みんなが持ってるから買う人」のような順に買っていきます。

この時に「普通の人」が買いはじめるまでには、超えるべき大きな溝があるといったのがこのキャズムです。

そして、このような消費者のスタイルに合わせてマーケティングをしたり、商品を考える必要があります。



プロフェッショナルの条件 P.F. ドラッカー



20代の頃に一番よく読んだ本です。
今から考えるとむしろ「経営者の条件」だけ読んでおけばいい気もしますが...

ちょうど仕事がとても忙しくて残業や土日出勤も多く、なんとかして潰れないようにする方法を探している時に読んでいました。

この本を読むと、ある種の全能感のようなものに包まれてしまい、何でも効率的に捌けてしまう気もしますので、その点は注意しないといけませんが....

ちなみに自分の仕事の仕方を記録するのが大事というのを読んで、これ以降は会社では15分単位くらいで何をしているのかの個人的なメモを取ることにしていました。

ついでに電話で何を誰と話したかのメモも全部とっていたので、会社員時代は何月何日にどの作業にどれだけ費やして、誰とどういった話をしたのかなどは基本的に全部メモってました。(ただし、会社内にいる時に限る)



経営者の条件 P.F. ドラッカー



プロフェッショナルの条件よりもオススメな本はこちら。

タイトルは経営者とありますが、実際には「ホワイトカラーの働き方入門」といった本です。

プロフェッショナルの条件と同じく、ある種の全能感に包まれてしまうという副作用がありますが、若手の(5年目くらいまでの)ビジネスマンの全てに読んでもらいたい本かなーと思います。

ドラッカーの本は抽象度が高めで、あまり具体的ではないために、読んだ人が自分なりの経験や考えを重ねあわせながら読んでいくという本が多いです。
その中ではこの本は比較的具体的でどのように自分の仕事を進めるかというのが読めばいくつかのアイデアが出てくる本だと思います。



プロフェッショナル・マネージャー ハロルド・ジェニーン



ITTという世界第二位のコングロマリット(今は聞かない言葉ですね..)のトップとして14年半に渡って増収増益を続けたというハロルド・ジェニーンによる”実践”のビジネス書です。といっても、内容はいたってシンプルな経営指南書といった所でしょうか。多少の「俺スゲー」的な話は割り引いて読まないといけないですし、時代も違うのでそのまま適用できないものもありますが、それでも実践家の書いたビジネス書としてはとても読ませるもので、また様々なトピックを網羅していると思います。

ちなみにITTはこのジェニーンが去った後に崩れ去ったわけですが、そんな歴史を後ろから読むのもまた楽しいものです。
posted by 山崎 真司 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2013年06月24日

のめりこませる技術



最近は、ストーリーテリングというものが注目されています。これは、ブログやソーシャルメディアといったマイクロメディアによって、中小企業や個人がストーリーを語りはじめたからです。実際に私の周りでも、こういったストーリーテリングに興味を持つ人が増えて来ました。

この本は、そのストーリーティングについての本です。といっても、いわゆるストーリーテリング自体の話ではありません。むしろ、そのストーリーの周りにあるものについての本です。


これは、ストーリーにはストーリー志向と設定志向という2つの軸についての話です。設定志向というのは、指輪物語やスターウォーズのように細かい世界設定があり、その中でストーリーを語っていくというもの。ストーリー志向というのは大きなストーリーラインがあり、世界でなく、ストーリーを語るというものです。


設定志向という形式では、ストーリーの中ですべてが語られるわけでなく、その一部が語られるのみです。この本では、非連続といわれます。最近のドラマ、特に2000年代以降のドラマではセルDVDのためか、このような非連続性が使われますが、それはまた別のお話。

また、このような設定による非連続な物語は、ストーリーの間を消費者に食べさせるものです。ストーリーの間を消費者に提供して相互に作り上げたり、もしくはそのような隙間自体を見せることが今風でしょうか。

また、以前は物語は小説や映画などでのみ語られますが、最近はAR(代替現実)、ゲームやウェブサイトなどが、物語が語れます。ただし、これについてもメディアミックスということが行われます。日本では、以前から様々なメディアミックスが行われていますので、多くの人には馴染みがあるでしょう。例えば、こちらの本などはメディアミックスという視点からラノベを分析した素晴らしい本があります。




また、”のめりこませる技術”はストーリーだけでなく、タイトル通りにのめりこませる技術についての本でもあります。最近はゲーミフィケーションというものが流行っていますが、何が人をのめりこませるのか、という点ではゲーミフィケーションと同じモチーフを語っているとも言えます。

たとえば、マリオカートというマリオのゲームがありますが、このマリオカートとバイオハザードではのめり込み度が違います。ゲームの抽象度がこれには影響していそうですが、それ以外にもゲーム世界とのインタラクションの度合いなどもありそうです。

このような世界とのインタラクションという点では、ゲームは有効なツールです。さらに、最近はコンピュータのリソースも多いので、細かいインタラクションも容易になり、CGなどもかなりリアルに作ることができます。


この本は、ゲームフィケーションにも、ソーシャルメディアによる顧客とのインタラクションにも、どちらに興味がある人にもオススメの一冊に仕上がっているように読めました。
posted by 山崎 真司 at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2013年03月20日

幸せな未来は「ゲーム」が創る



わたしは、大学時代はもっぱらゲームとコンピュータいじりの日々を送ってました。といっても、私はアーケードの対戦ゲーム專門で、ゲームセンターで対戦したり、大会に出たり、遠征と称して他の地域にいって対戦したりといったことをしていました。その時には「極めぐせ」や「物事を学習するプロセス」を学んだと思います。「なぜ、なぜを繰り返せ」とか、「同じミスをするな」とか、「ひたすら記録しろ」といった習慣はこのゲームで身につけました。


しかし、そんな約20年前と今ではゲームもすっかり様変わりしています。話題のソーシャルゲームは別にして、MMO(Massive Multiplayer Online 大規模多人数同時参加型ゲーム)といわれるゲームが今の主流でしょう。その上の話が、この本”幸せな未来は「ゲーム」が創る”です。

私もMMOは一切やったことないのですが、たとえばワールド・オブ・ウォークラフトでプレヤーの総プレイ時間はこの本執筆時点(2011年)で593万年です。単純に考えれば、1日12時間のフルタイムワークを約12万人が100年やっているだけの作業時間になります。これだけの時間があれば、機械を使わないでもピラミッドを10個作った上で、現代の哲学を一変させてから、ゴールドバッハ予想を解決するかもしれません。

この本では、まず幸せという縦糸でゲームを読み解きます。たしかに、ゲームが与える「興奮状態」や「他人とのつながり」からくる満足感といったもの、そしてたとえ負けても「楽しい」と思わせる幸福感がゲームにはあります。他人とのつながりという点ではMMOのプレイヤーはギルドと言われるチームを作って他のプレイヤーと協調し、またゲームの攻略やコツなどの資料を他のプレイヤー達と一緒にwikiのような仕組みを使ってデータベース化したりといった能力があり、「他人とのつながり」から幸福感を得ることが上手そうです。


また、様々なシリアスゲームを紹介しています。このシリアスゲームというのは、ゲームを実社会に応用するというものです。例えば、「ロストジュールズ」(”エネルギーを減らす”の意)というゲームは、現実の電力消費を減らすことがゲームになっています。


また、「ワールド・ウィズアウト・オイル」というゲームは石油危機がはじまったらどうするかというストーリーを作って、その対処をみんなで考えるゲームです。


これらのシリアスゲームは、実際の問題解決案を出すだけでなく、参加者の目を社会の問題に向けさせ、そして自分たちに出来ることがあるという自己効力感を与えるといった効果もあります。


ゲーム脳とかいっている人がいましたが、むしろこれからはゲーム脳なしではいられない時代なのかもしれません。みんなで選んだ政治家が問題を解決するのか?それとも、ボトムアップで解決策を出していくのか?現実解は1つだけな気がします。


著者のジェイン・マクゴニガルのTEDトークはこちらです。

posted by 山崎 真司 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2013年01月05日

天才を考察する




サブタイトルは”「生まれか育ちか」論の嘘と本当”というものです。生まれか育ちか(nature or nurture)というモチーフは、ダーウィン以降の大きなテーマです。

ざっくり言うと、最近のトレンドは「生まれの影響が意外と大きいよね」というものだと思いますが、天才関連の本では「育ちだよね」という内容がクローズアップされてきています。マルコム・グラッドウェルの”天才”を嚆矢として、マシュー・サイドの”非才”といった良著が日本語訳されています。また、未訳の本を読んでいても、大きくは「育ちだよね」といったものが多い印象です。そういえばサッカーでも、クライフもロナウジーニョもサッカー場で育っていますし、ここ数年でバロンドール候補のトップ3に残るメッシやイニエスタといった選手も子供の頃からプロチームの下部組織で育ち、寮に住んでサッカー漬けの生活をしてきています。



この本でもモーツァルトやベートーヴェンといった天才の逸話が出てきます。といっても天才は非常にシンプルに作られています。つまり、音楽家の父親に子供の頃から徹底的に訓練をさせられるというものです。グラッドウェルの本で有名になった「1万時間」を、適切な
方法で訓練するというもので天才が産まれるのです。

ちなみに天才が凡人になるプロセスがあります。これは、子供の頃に徹底的な練習をすると「子供には思えない技術を持った」天才とされます。これはあくまでも「子供にしては」という条件がついた天才です。このレベルを超えてさらに高いレベルで訓練をしていくことが出来るかというのが、本物の天才になれるかどうかの分かれ目です。また、多くの技能や競技において、最初のうち(つまり子供レベルで)は模倣で上手くやれれば十分ですが、その後に、独創性が求められたりします。例えば、非常に写実的な絵を描ければ子供の頃は天才と呼ばれますが、それだけではピカソやモネやポロックのような絵を描くには不十分なのです。


この本は、”天才”や”非才”といった本に比べると、”生まれか育ちか”という視点から”天才”を考察した本で、なんとなくマット・リドレーの本のような印象を持つ本です。ちょっと軽めの本で読みやすいので、子供の小さいお母さんにぜひ読んでもらいたい本です:-D
posted by 山崎 真司 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年12月26日

新しい市場のつくり方


昨朝は栄で開催した朝活@NGOさんに参加しました。課題本は三宅秀道さんの”新しい市場のつくり方”でした。「イノベーションに関する全ての本はイノベーションのジレンマへの長い注釈である」ということができますが、まさにこの本もそのような系譜の下にあります。




商品開発では、多くの場合に技術始動になりがちです。例えば車の開発時に、もっと速い車やもっと燃費のいい車を開発するという方向になってしまいます。そうでなく、新しい市場を創りだすべきというのが本書の主張です。

もちろん、誰でも出来れば新しい市場の方がいいと思っています。しかし、多くのメーカーは、既存の製品のリファインに終始しています。それではどうすればいいのでしょうか?


この本は文化人類学的アプローチと呼ぶのが適切でしょうか、なんとなくレヴィ・ストロースの本を思い出す事例ベースの本です。中小企業も含めた様々な事例を通して、ある種の市場の作り方を書き出しています。大量のデータから理論的なフレームワークを書き出すといったアメリカの経営学者が書くような本でなく、いくつかある手持ちの事例から事例を出して、理論を浮かび上がらせています。

例えば、ゴムのオムツカバーを作っていたフットマーク社が、夏の売上を補うために水泳帽を作った時、学校教育で水泳帽をかぶることで、プールの上からどこに生徒がいるか見やすく、また学年やクラス別に色を分けることで管理が容易になるというストーリーを教育機関側に売り込むことで、それまで存在しなかった水泳帽という市場を創りだすことに成功しました。

この本はこのようなエピソードをもとに定性的に市場を創るということを述べた本ですが、かなり面白い本でした。ストーリーを元に書いた本でも、実務家が自分の経験を語った本とは一線を画していて読み応えがあります。ただし、イノベーションのジレンマへの注釈にすぎないという気もしましたが。
posted by 山崎 真司 at 19:49| Comment(2) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年12月05日

メイカーズ 21世紀の産業革命が始まる



今、あちこちで流行っている本ですね。ロング・テール、フリーのクリス・アンダーソンの新作です。



この本は、マイクロメーカーとでもいうように各個人が物を作りやすくなるという現象について書いたものです。実際にソフトは、10年前、20年前よりも一人でかなりのものが作りやすくなっています。これは様々なコンポーネントが手に入るようになったためです。

そして、この流れはハードにも次は来るというのがクリス・アンダーソンの主張で、実際にクリス・アンダーソンは実際に自動操縦式ヘリコプターを売る会社を作っています。

これにはいくつかの背景があります。

1.工作機器のコストダウンが進むこと
個人用の3DプリンタやCNC(コンピュータ制御)の工作機器が、趣味の人にでも手の届くくらいになってきました。そして、これらの精度もどんどん上がってきています。

2.ウェブがいろいろなものをつなげるようになった
ウェブのおかげで、中国に外注したり、もしくは世界各国に外注することも簡単になってきました。逆に非常にニッチなニーズでも、ウェブを使って集客できるようになってきました。

3.ソフトだけでなくハードもコミュニティで作れるように
ソフトと同様に、様々なコミュニティで作られつつあります。例えばガラス製品を作るならば、がんばって技術に習熟しないといけません。しかし、3D CADを使って設計し、3Dプリンタがモノを作るならば、他人が設計したものの上に自分の設計を載せていくことができます。つまり、製造をコンピュータ化することで、巨人の肩の上に乗ることができるようになるのです。


この1と2は、時間が進むとどんどんと向上していきます。まだ日本ではメイカーズのようなミニ製造業というのはまだほとんどありませんが、ロング・テールやフリーがコンピュータとネットワーク能力の向上が背景として可能になったように、コンピュータ制御可能な工具の性能向上が、メイカーズを推し進めていくのは確実に起こりそうです。

posted by 山崎 真司 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年11月24日

レクサスとオリーブの木



”フラット化する世界”や”グリーン革命”で有名なトーマス・フリードマンの出世作です。そういえば、最近また”かつての超大国アメリカ”という新作も出ましたね。こちらは購入しましたが、未読です。




この”レクサスとオリーブの木”というのは1999年の作品で、ここから”フラット化する世界”へつながる背景が書かれているというものです。ここでのレクサスはグローバル化の象徴、オリーブの木は伝統的なローカルの象徴です。

この本では、「あらゆる国が”黄金の拘束服”を着てグローバル化に進まなければならない」ということが繰り返し語られます。そして、このグローバル化の行末には「勝者総取り」のような世界が待っているが、我々にはそれを止める術がないということを述べています。

この背景としては、冷戦時代には米ソ2大国がドミノ理論という1つの国が共産主義(資本主義)になればそこから近隣諸国が次々と共産主義になっていくという理論の下に、様々な国を援助していたものが、現在はそのような経済の”ゲタ”(やある種の囲い込み)がなくなってしまい自由な競争になってしまったからというものです。

この本はこのような”黄金の拘束服”を着てグローバル化の波に乗るためには、ある程度の条件が必要ということを述べています。それは、社長や官僚が横領などをしないということや、インサイダー取引が行われていないということがないと、海外からの投資が逃げてしまうということです。先進国の次は東南アジア諸国の第2グループが賃金の安さなどを活かして急速にトップへ近づいてくると考えられていますが、例えば東南アジアの多くの国では外国人には値段をふっかけるということは現在も行われています。このようなリテラシーは最終的には海外からの投資を最大化しないということはありそうなことです。


この本は今から13年前の本ですが、この本で語られていることは現在進行形で進んでいます。そこから急速にフラット化しているのかというとそれほどではないと思うのですが、それでもこの本の射程はまだまだ有効だと思います。


もし、フラット化する世界を読んでない方がいらっしゃれば是非とも読んで下さい。そして、わたしたちは6年後の世界に住んでいるのです...




ワークシフトはとても興奮させられる一冊でした。特にサラリーマンの方はこちらも是非どうぞ。

posted by 山崎 真司 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年10月29日

なぜビジネス書は間違うのか




ハロー効果という言葉があります。このハローというのは「こんにちは」じゃなくて、「後光」という意味です。何かの影響で他もよく見える(もしくは悪く見える)というものです。人気のある有名人がCMに出てくると、その商品の好感度も一緒に上がってしまうというものや、サッカーのトップレベルの選手はサッカー技術だけでなく、人格的にもトップレベルだと思い込んでしまったりというものです。

この本はサブタイトルが「ハロー効果という妄想」とありますが、まさにこのハロー効果が企業を分析したり、そこから何かを学ぼうとする時の罠になるということを述べています。

例えば、業績がいい会社は、「就職したいランキング」で上位に入るし、株価がいいというのは当たり前ですが、それだけでなく「社会に貢献してる会社」ランキングでも、「働きやすい会社」ランキングでも上位に来ます。まるで、ベストジーニスト賞が、ジーンズが似合うかどうかでなくて、その時活躍してた芸能人に与えられるのと同様です。

これまでの活躍する芸能人を調査して、そこから芸能人として活躍する条件を調査する時に。活躍した芸能人はベストジーニスト賞を取っているから、「ジーパンが似合うようになることが芸能人として活躍する条件だ」というのは間違っていることは明らかでしょう。


また、企業の単体の業績を考える場合には、後付で様々なことをいうことができます。例えば中心となる事業と新しい事業のバランスについては、

中心事業をメインとして上手くいった場合: 「本来の会社の軸がブレず、集中した」
中心事業をメインとして上手くイカなかった場合: 「古い価値観にとらわれて、新しいことにチャレンジできなかった」
新しい事業にチャレンジして上手くいった場合: 「常に時代をリードするような新しい事業を創出した」
新しい事業にチャレンジして上手くいかなかった場合: 「本業を忘れて、会社のあるべき姿から離れてしまった」

と適当なことをいうことができます。さらに、「顧客志向」という言葉を添えておけば、どの場合も、成功と失敗をそれっぽく語ることができます。

つまり、ビジネス書では、批評サイドから見ると「顧客を見る」「顧客視点」というのは、強力なキーワードということですね。後から見た業績のみで、「顧客」を切り口にいうことができます(売上が上がっている=顧客を理解しているから当たり前ですね)

また、この本では、「戦略」と「実行」についても分析をしています。『「戦略」は正しかったが、「実行」ができていなかった』というのは、CEOを更迭する場合の良い言い方になります。「戦略」と違って「実行」ができていなかったというのは、抜本的な改革も必要とされません。何しろ「実行」はあやふやですから。


ビジネスにおいては、外部環境や運の要因が大きいのは明らかですし、ブックオフの100円コーナーに行けば、死屍累々のIT企業やその他の企業の成功法則にあふれています。トム・ピーターズの「エクセレント・カンパニー」やジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」で取り上げられた企業がその後にも同様にエクセレントでもビジョナリーでもないというのは有名です(そして、ほぼ同様にすべての企業とビジネス書が間違っている)

一方で、私たちはそれらの本を楽しく読むことができます。これはストーリーの罠と言えるかもしれません。「ストーリーを消費者に食わせる」ことで相手の思考を麻痺させるというのは頻繁に行われていますが、まさに私たちは「第5水準のリーダーシップ」や「リーンスタートアップ」という成功のストーリーを欲しているだけなのかもしれません。


ちなみに、この本で語っていた世界観は自分の感覚に近かったのです。「エクセレント・カンパニー」や「ビジョナリー・カンパニー」に対する批判は今更という感じです。しかし、このようなハロー効果はたしかに厳然とあり、ビジネス書を読むのはストーリーを味わうというやはり趣味にすぎない想いをさらに強くしました。結局、狼男を撃つ銀の弾丸などは存在しないということですよね。

posted by 山崎 真司 at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2012年03月08日

ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる



この本はマイミクの方のご厚意でいただいた本です。この御恩は、その方でなく別の方にお返しさせていただく予定です。これを機に持っていたけど使っていないPSPを別のマイミクさんにプレゼントしました。また、本のプレゼントも考えています。今回は本を4冊いただいたので最低8冊の本をどなたかに贈ろうと思っております。詳細は少々お待ち下さい。このように贈り物の連鎖が起こるといいですね。


さて、この”ブーメラン”は映画化された”マネー・ボール”や”世紀の空売り”で知られるマイケル・ルイスの新刊です。ちなみにブーメランというのは、サブプライムローンに端を発する金融問題が世界中をグルグル回ってヨーロッパ(ギリシアやアイスランドなど)に行き、そしてそれがアメリカに帰ってくるというものです。

この本の前作にあたる”世紀の空売り”は、サブプライムローンに気づきリーマンショックで大儲けした人たちのストーリーではらはらしながら読んでいきました。一方、こちらは現在という固定された時間で、アイスランド、ギリシア、ドイツなど様々な地域でのショックを語られるというものです。前作が、ハリウッド的な爽快感をある種もつ小説とするならば、今回は様々な地域での悲劇を描いたノンフィクションといった趣です。

訳者解説にも出てくる言葉ですが、この本を読むと「すべての幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である」という言葉が思い浮かびます。

・もともと財政の報告で虚偽の報告をしていた上に、国民の多くは税金は払わず、公務員がそれぞれ自分の私利私欲を目指しているギリシア
・全員がバブルに踊ったが、最大の問題は銀行の負債を国が抱えることにしたアイスランド
・国の生産力はユーロ圏随一だが、投資先を見る目がなくサブプライムローン問題の負債を一気に抱えた地方銀行のあるドイツ
・公務員の年金問題が噴出したアメリカの地方都市

それぞれがそれぞれの不幸を抱えています。

個人的には、アイスランドの銀行の問題は、国は関係無いだろとか思うのですが(IMFの影響?)、それ以外のほとんどがある種の必然性を持って現在の不幸になっています。


ところでドイツはギリシアのためにどこまでの財政支出をすべきなんでしょうか?ドイツ国民は、ギリシア国民にお金を「恵んであげる」必要があるのでしょうか?必要があるならどのくらい?


先進国はサブサハラ(サハラ以南のアフリカの貧困地域)に対して人道的な観点から財政を支出すべき、と私は信じていますが、「ドイツがギリシアのために財政支出すべき」かと問われると「おそらくノー」と答えます。そうはいっても、通貨の安定という人質を取られた状態なので、多少は「恵まざるを得ない」という状況になっています。


ちなみに、この本が、世紀の空売りのような爽快感がないため面白くない一方で、マイケル・ルイスの他の本と決定的に違うのは最後の章の「あなたの中の内なるギリシア」と題したアメリカの地方都市について書かれた部分です。

ドイツとギリシアの関係は、アメリカの中の(そして日本の)主要都市と地方都市の関係とも言えます。先進国では経済成長が落ち込んできており、大きな成長を前提に設計れたシステムには問題が現れています。これは公務員の年金問題などの隠れコスト(実際には隠れているんでなくて、大騒ぎされないように隠している)の問題です。企業の場合は、倒産という分かりやすい形で清算されるのですが、地方都市は基本的に精算できません。

やっぱり、この問題はアメリカだけの問題じゃないですよね。以前にふるさと創生資金で云々とか言って浮かれていた人たちはどこにいったのでしょうか?きっと日本では、この問題が世代間格差となって、大きな問題になってくるのでしょう。そして日本もアメリカも、各人が自分の利益を最大に追求するという民主主義の行き着く先にいるということでしょうか?


私個人は、今の世の中は昔よりも良いものであると確信しています。なんだかんだ問題はあっても、第二次大戦前の状況よりも良いし、冷戦下よりも幸せになっていると思います。一方で、まだまだ十分でない、とも思っています。未来をイメージしない思考停止の先にある”今すぐそこにある危機”がこのブーメランの中では述べられていると思いました。


余談ですが、この本を贈ってくれた人は、ドッグイヤー(本の端を折るアレ)を下につける派でした。僕は上につける派だったので、ちょうど二人分のドッグイヤーを意識しながら再読するつもりです。
posted by 山崎 真司 at 16:16| Comment(2) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書

2011年10月13日

リーダーシップは教えられる

リーダーシップは教えられる (HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS)
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タイトル通りの本です。しかし、内容は意外にも(?)リーダーシップ論の本ではなく、リーダーシップの教え方の本です。

この本では、ケース・イン・ポイントという方法を使っての、リーダーシップ教授法の説明をしています。ケース・イン・ポイントは、ケーススタディの一種とも考えれます。ただし、ここで用いられるケースは、指導者があらかじめ用意したものでなく、参加者の一人の自身の過去のケースです。これはリーダーシップという普遍的な問題だから出来るのでしょうか。また、海外の大学院では、受講生が様々な職業を経験しているというのも関係しているでしょう。


この本では実際にケース・イン・ポイントの授業の例から説明しています。そのため、雰囲気は分かりますが、実際にはどのようにしてリーダーシップを教えるかやリーダーシップが何かをこの本から読み取るのは難しいです。

たしかにケース・イン・ポイントという手法はおもしろいですし、いくつかおもしろい点はありましたが、全体としてはよく分からないというのが正直な感想です。ある授業の風景や、インタビューしか書いていませんので。なお、このような教授法もやはり、海外ならではの豊富なTA(ティーチングアシスタント)の力があってこそ、だろうな、と思いました。
posted by 山崎 真司 at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、ビジネス書