クレイトン・クリステンセン、マイケル・ホーン、カーティス・ジョンソン著
翔泳社 2200円(税込)
初版: 2008年11月
イノベーション関係の著作で知られるクレイトン・クリステンセンの新作です。
こちらのホームページを見て、思わず買ってしまいました。
この本はアメリカの教育界に関する提言と今後の予測をしている本なのですが、ビジネス書的な話を加えながら書かれており教育界についてよく知らなくともそのまま読める本でした。
また、ザ・チョイスを読んだ時も思ったのですが、ある種のフレームワークの適用というものは、ビジネスだろうが他のジャンルにだろうが適用できるということでしょうか。
この本では破壊的イノベーションというものを軸に教育を読み解いています。
破壊的イノベーションというのは、内部でなく外部から起こるもので(内部者は基本的に、システムを破壊するメリットがないですので)、無消費層(≒ないよりマシという視点で、これまで使ってなかったものを消費する層)をターゲットにしたところから起こります。
たとえば、出た当時のパソコン(当時はマイコンと呼んでましたが)はミニコンと比べると性能ははるかに劣りますが、価格も十分に安く、それがやがてミニコンの市場を破壊しました。
このような破壊的イノベーションが、現在教育の場で起ころうとしていることを読み解いています。
これは教育費への予算不足と、一方でIT技術の進化に教師がついていっていないことやITが生徒ごとの教育を支援できることがこのような破壊的イノベーションを起こしえます。
たとえばビデオ授業があれば、いわゆるロングテールっぽくニッチな授業を受講することができます。
中学教師の授業より、大学の先生が話すのを聞くほうが有効な場面は多いとは思いますし。
テストという評価軸を考慮しなければ学校で習うこと(暗記すること?)が、社会に出てからどう活かすかということを考えると、教育というのは改善する余地がたしかに多いと思います。
ただし、このようなイノベーションも、”勉強ができる”ことで官僚になった人や、その官僚が選んだ人間がある意味内部からイノベーションを起こせるかというと起こせないといった構造になっています。
実際にクリステンセンの読みでは、このようなIT技術の進化による破壊的イノベーションは起こる予兆がすでにあり、アメリカでは2012年くらいからオンライン授業というのが普及しはじめると書いています。この波は、同様に日本でも起こるはずです。
他の方の書評を読んで:
http://ameblo.jp/lifeislovely/entry-10170966868.html
ある意味これは、破壊的イノベーションを学ぶための、イノベーションへの解とは別の、優れた方法の一つにもなっている。
最も印象に残ったのは、「多くの教育研究(そして経営研究)を、相関関係を見出すにとどまっていて、因果関係を分析できていない(だから使えない!)」という一節。
おお。言い切ってるwww
相関関係と因果関係についての分析・分離というのは、社会学者の大きなテーマでしょうか。
クリステンセンは、教育界への疑問を相関関係と因果関係の誤読というところからスタートさせて、イノベーションというツールを使ってソリューションを読み解いており、このストーリーはなかなか刺激的でした。
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2008/11/post-d205.html
クリステンセンと言えば、ご存知の通りイノベーション研究の第一人者。著書『イノベーションのジレンマ』を繰り返し読まれた方も多いでしょう。
その彼が教育問題に関する本を書いた、しかも「破壊的イノベーション」の考え方を使って、と聞けばビックリされるのではないでしょうか。
僕も最初は「イノベーションの理論で教育問題を考えられるのか?」と懐疑的だったのですが、結論から言うと、本書は「破壊的イノベーション理論」の非常に優れた応用例になっていると思います。
私も小林さんと同様で、(教育の)素人がおいおい、とか少し思ってたのですが、ここまでスッポリはまるとは。
そして、これを読むと、まったく同様のことが日本でも起こる気がします...
http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/e/0b00378584ad5aa62bf68457cbb5bfb5
生徒中心の教室で学習を個別化するにはコンピューターを活用するしかない!という80年代初頭のCAIのうたい文句をベースに、「ユーザー生成コンテンツの制作を支援するプラットフォームの出現」というコンシュマー・ジェネレイテッド・メディアなスパイスを効かせ、「オンラインコースが高校の全履修課程の25%のシェアを獲得するのは2014年頃」という大胆な予想までしています。そういえば、以前(ぼくは小〜中学生でしたが)CAIというキーワードがもてはやされていて、コンピュータでみんな学習するようになる、なんてことを夢見てた時代がありました。
これも、AV機器とコンピュータの統合化などのインフラとしてのコンピュータの性能のアップが背景にあって、今ならばクリステンセンがいうような世界がきても不思議ではないと思ってしまいます...
もしかして、私が夢をみがちなコンピュータ屋だからかもしれませんが...
posted by 山崎 真司 at 23:36|
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