2009年09月17日

天才!

マルコム・グラッドウェル著
講談社 1700円(税別)
初版: 2009年5月

 


「天才!」とありますが。原題は”Outlier”(外れ値)です。内容としてはタイトルのように”天才”や”才能に恵まれる環境”についての本です。 全体的に”天才”というテーマはありますが、若干統一感がないのが残念です。また、グラッドウェルは、”ブリンク”や”ティッピング・ポイント”のようにキャッチーな命名が上手いですが、今回の”アウトライアー”はいまいちだと思いました。


本題としては、天才は作られるものか、天才として生まれるものか、という点について、努力や環境を含めて天才は作られるものであるという視点で語れています。

非常に高いIQを持つ人でも成功するとは限らないという話や、1万時間の練習をすることである種の才能が開花するといった話などが書かれていますが。


時代(戦争や技術の谷間の世代では成功)や環境(自分の権利を主張する文化の人は成功しやすい、我慢強い文化の人は成功しやすい)といった話は興味深かったです。


ただし、この本は”天才”や”才能”に必要な要素の確認にはなりますが、この本を読んでもあまり気づきはないかと思いました。うーん、グラッドウェルの新刊ということで期待もしていただけに残念でした。

posted by 山崎 真司 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月07日

ニッポンの思想

佐々木敦著
講談社現代新書 800円(税別)
初版: 2009年7月

 


この本は80年代のいわゆるニューアカブームから2000年代(ゼロ年代)にかけて、日本の現代思想を概説した本です。

浅田彰、中沢新一、蓮見重彦、柄谷行人といった人たちから東浩紀までの現代思想の人たちの思想を解説しています。


ただ、私にとっては、1,2冊しか本を読んだことない著者や読んだこともない著者たちも多く、そのまま現代思想の跡を追うといった読み方は出来ませんでした。


一方、読みながら思ったのは「現代思想とは何か」ということです。

 
これが正解なのか分かりませんが、私の解釈としては、「(ポップなものを中心とした)現代の事象を、一般に普及していない(主に海外の)思想や学問などを通じて解説すること」でしょうか。逆に「現代の事象を解説することで、学問などを解説する」ともいえます。


本来は現代思想という軸でこれを読み解くのが正しいのですが、せっかくだから、これをビジネス書という軸の上で解釈してみます。


(これ以下は書評でもなんでもないです...)


ビジネス書というものを”現代思想”という軸で考えると、主に3つの種類の本があります。

1.外部の思想や学問を使ってビジネスを解説した、新しい考え方を解説したもの
2.その分野でのこれまでの考えを進めたり、より深くしたもの
3.優しく言い換えただけのどこかの焼き直しや、自分の体験談や成功事例をまとめたもの

といったところでしょうか。


 

このうち、1が”現代思想”的なものです。


ちなみにビジネス書というものが、未知の状況においての選択を行う際の予測の精度を高めるためのものである、と考えると、

 

1.は様々な場面に応用できる新しい予測のための方法やシステムやフレームワークを提供します。
2.は特定の場面に適用できる、予測の精度をさらに高めるためのシステムやフレームワークを提供します。
3.については新しいものを主張していないか、検証が抜けているものです。適用の範囲によっては、予測の精度を高めることができるかもしれません。

 
となります。残念ながら1.に分類されるような”現代思想”的なビジネス書はあまり多くありません。


私の認識では、このような著者としては、「天才!」や「急に売れ始めるにはワケがある(ティッピングポイント)」で知られるマルコム・グラッドウェルが代表でしょうか。

また、コンピュータテクノロジに若干偏りますが、「ロングテール」や「フリー」で知られるクリス・アンダーソンと「フラット化する世界」や「グリーン革命」で知られるトーマス・フリードマンがいます。
「まぐれ」や「ブラック・スワン」のナシーム・タレブもここに含まれそうです。引き出しの広さという視点では微妙かもしれませんが...
 
 
 
”本物の現代思想家”は日本にもいますが、”ビジネス書の現代思想家”があまりいないのは残念でなりません。
 
他分野の専門家や、海外のビジネス思想を輸入するようなビジネス思想家(そして著者)がもっといれば、もっとビジネス書も楽しめるのですが....
posted by 山崎 真司 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月06日

論争と「詭弁」

香西秀信著
丸善ライブラリー 720円(税別)
初版: 1999年7月

 

 
 

レトリックに関して多数の著作がある香西氏の本です。
この本では「プラトンの”パイドロス”」、「ローマのレトリック教室」、「フロイス、ロレンソと日乗上人の議論」、「リチャード・ウェイトリーとヒュームについて」といった4つのテーマを元にレトリックを解説しています。


タイトルから想像されるような詭弁の本ではなく議論術についての本ですが、残念ながら香西氏の他の著作のような切れ味がないというのが正直な印象です。


うーん残念。


唯一、よかったところは「フロイス、ロレンソと日乗上人の議論」です。
議論の手法として、あくまでも自分からは答えず質問に徹する立場に固執することと、想定問答という概念でしょうか。思わず、特定内容についての想定問答集を作ってみました。

posted by 山崎 真司 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月04日

世界は「べき乗則」で動く

マーク・ブキャナン著
ハヤカワ文庫NF 840円(税別)
初版: 2009年8月

 

 
 
今年読んだ中で最高の一冊でした。
 
元々は「歴史の方程式 −科学は大事件を予知できるか」という名前で単行本になっていたものですが、改題して文庫になったものです。
著者のマーク・ブキャナンは元”ネイチャー”、”ニュー・サイエンティスト”の編集者で、いわゆるサイエンスライターです。
他に「複雑な世界、単純な法則」、「人は原子、世界は物理法則で動く」といった共に複雑系の本があり、他の著作と同様にこの本も複雑系の本で、物理現象をモチーフにして歴史の見方を説明したものです。


これは相関関係が強いシステムの因果関係と、臨界状態というキーワードから様々な事象の説明を読み解いています。

 
この本のたとえでは、ランダムに砂粒を落とすという例を挙げています。砂粒を落とすことをしていると、次第に砂山ができていきます。さらにこの砂山に砂を落としていくと、いつか砂山が崩れるということが起こります。
 
この砂山が崩れる場合に、どれくらいの規模で山が崩れるかとその頻度はべき乗則にしたがっているということです。べき乗則にしたがっているとどうなるかというと、

1.特異点がないということなので、砂山が崩れる代表的な大きさがないということ。
2.どこが大きく砂山が崩れるかという傾向がないため、実際に砂山が大きく崩れそうというのが分からず、崩れはじめてからどのくらいの規模で崩れるか分かる。
3.最初のうちはあまり崩れないが一定以上の時間が経ってからは、どこも砂山が崩れる直前である。

ということになります。


実際に砂山のアナロジーと同様にべき乗則に従うであろう場所は多く、この本で述べているような歴史物理学という歴史観はアリだと思います。

これは歴史学というものを科学的に見ることができる可能性があります。


たしかに、「たまたま銃撃が当たったら」、「ある将軍が馬に蹴られなければ」、「ある教皇がハト派だったら」、歴史はまったく変わっていたはずです。

この歴史物理学的史観は、このように歴史が大きく(もしくはある一定確率で小さく)動くことは必然であるということを示します。そして、このような歴史の動き自体は必然だが、その大きさは結果からしか分からないということになります。


対数(ログ)について知らないと読むのが難しいと思いますが、逆に対数の概念を知っていれば非常に読みやすい本です。

posted by 山崎 真司 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年08月30日

詐欺師入門

デヴィッド・W・モラー著
光文社 1800円(税別)
初版: 1999年9月

 

 
 
原題は"The Big Con"です。ビッグ・コンというのは大掛かりな仕掛けで大金を狙う詐欺のことです。原著は1940年の本で、”スティング”のネタ本とあります。
ビッグ・コンというのは”おとり”が捕まえた”カモ”を、特定の場所(架空の賭場や取引所など)に連れて行き、そこで複数人での大がかりな仕掛けで詐欺を働きます。


この本をビジネス書として読むならば、2点の違和感について言及しなければならないです。


まず、一点目としては、ビジネスの進化についてです。

この本を読んでいくと、ショート・コン(ちょっとした詐欺)からビッグ・コンへ、そしてビッグ・コン内での詐欺の進化・巧妙化といったものを読むことができます。これは一見すると、ビジネスの直線的進化として読み取れてしまい、この理想的なビジネス進化観には実際とのギャップを感じます。
ただし、これは著者が言語学者であり、この本もビッグ・コンの歴史を後ろから見たものであるということを考えると(聞き出した相手が詐欺師だとすると失敗をいちいち説明していないと思われる)、このような書かれ方をするのも仕方ないと思います。


もう一点は、すべてをコントロールできるという万能観です。

ビッグ・コンは一店舗を一時的に作成し、また一回の詐欺に一ヶ月以上かけることもあるような大掛かりなものです。帯にあるように”ただ一人の観客のために上演される現実と見紛うほど綿密な演劇”なのです。
しかし、実際にこのような大掛かりなことをしようとすると、非常に何度も調整が必要となります。この本からは、このような調整はなくそもそもの予定通りにいったかのように書かれています。リアルなビジネスを念頭に置くと、このような調整の記述の不在に違和感を感じます。
 


このような詐欺は現在は行われいない(はず)ですが、このような詐欺のポイントは「詐欺自体は不正行為を行うと持ちかけていること」です。

ビッグ・コンでは、競馬やボクシングの八百長や株の仕手などを題材に大儲けできるといってその種銭を用意させる、というのが基本的な形です。
つまり詐欺にひっかかるのは非合法だけど確実に儲かるというエサに食いつくことが必要なのです。なにやら、福本伸行の漫画っぽいですが...
 


逆にこれがビッグ・コンにひっかからないポイントなのです。

posted by 山崎 真司 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年08月09日

イノベーション 悪意なき嘘

名和小太郎著
岩波書店 1100円(税別)
初版: 2007年1月

 

 


タイトルの通り”イノベーション”礼賛に対して待ったをかける本です。


一つの観点としては現在技術から一足飛びをする”イノベーション”に対して、現在技術の”ファイン・チューン”とでも言うべき品質管理・保守も大事ではないか、という点です。


次に、”イノベーション”は市場原理からなるので、”部分最適”となってしまうという点です。
背景として、技術の細分化(ハードウェアとソフトウェアが同一だったものが細分化し、製品が小さくモジュール化していること)が考えられます。
また、製品が小さくなるに従って(またオープン化や”フリー”な世界になっているので)作成者も、国家単位→企業単位→個人単位と小さくなってきていて、これも”部分最適”を進めています。

このように”細かい技術要素”と市場原理により”部分最適”に走っていくことがあります。


もちろん、”ファイン・チューン”が”イノベーション”よりも常に価値があるわけではないですし、”部分最適”でなく”全体最適”を目指すために市場原理の逆を行くべきであるとは思いませんが、手放しに”イノベーション”礼賛するのでなく、一度思考することが大事だということです。

様々なものがソフトベースになってきていて世界が小さくなってきている今、"部分最適”に惑わされないデザインが必要なんでしょうか?


以前、エジソン時代の電気自動車を見たときに車の現在との差異に驚いた記憶がありますが、しかしコンピュータについては10年前のものでも性能だけでなく応用も含めて文字通り桁違いの差があります。

そういえば”進化”という言葉が一般的には”前向き”に進んでいくことをイメージしますが、実際にはある環境への”適応”です。現在の技術が進歩しているとして、かつてないまでの速度で広範に進歩しているのが現状だと認識すると、たしかに進化の方向を御する必要がある時期にきているのかもしれません。


他の方の書評より:

http://ameblo.jp/hustler/entry-10030229259.html


1.新しい技術の導入によって、社会に危害をおよぼすことが、だれからも補足されない、不特定多数の一員によっても可能になった。この技術の偏在性にどう対応すべきなのか。性善説に与(くみ)することはできない。
 

性善説について、今の世の中では”自己責任”でということになると思います。
”自己責任”という言葉の下で、自らのリスクを最小化していき一見個々のリスクがなくなっていると思います。
”部分最適”については”自己責任”と”製造者責任”が一つの解決ですが、ソフトについては”フリー”な製品やそれに類する安価な製品が多く”製造者責任”は重過ぎます。
結局、解決法はソフトなどについては個々のモジュールの独立性が高い構造のOSというのが唯一でしょうか...

 
 
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070608/126892/
このページは無料ですが、会員登録が必要でした...
posted by 山崎 真司 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年07月28日

言語 2009年8月

大修館書店 933円(税別)
 

たまには雑誌について書いてみます。この雑誌はタイトルの通り”言語”の専門誌です。
今回は特集が”手話学の現在”ということで買ってみました。手話というのは、普通の言語(?)と違って、指示するもの(たとえば”りんご”という言葉)と指示されるもの(りんごそのもの)の関係性が強いという特徴があり、非常に特殊な言語です。
一方、通常の言語(たとえば日本語や英語)では、”りんご”と”りんごそのもの”や”apple”と”りんごそのもの”にはなんら相関がありません。
つまり、手話というのはひとつの言語としてみると、まったく特殊なものとしてみなければならないことになります。

今号では、手話についての概要を知ることができます。


まず一番意外だったのが、手話使用者の少なさでしょうか。国内では聴覚障害者が厚生労働省の統計で約30万人ですが、手話人口は推定で35,000人〜54,000人程度です。印象としては非常に少ないと感じました。障害者数との比率でも12〜18%程度と、それほど手話が使われていないことが分かります。
また、手話については”手型”、”位置”、”動き”の変化と”表情”で単語をあらわします。これは手話の音韻論というものになります。

 
手話以外では、インドの最古の文法書についての記事が興味深かったです。
”パーニニのサンスクリット文典と古典期の諸文献”という記事では、パーニニというBC380頃にインドで活躍した文法学者が4000弱からなる「アシュターデャーイー」という文法規定を策定したという話が載っています。
文を命令文や疑問文に分けたギリシアのソフィストゴルギアスよりも、わずか50〜100年後に時制や文や語幹などを体系的にまとめた学者がいたというのが驚きです。実際に「アシュターデャーイー」が引用されているわけではないので、どの程度のものか分かりませんが、文法規定が4000というのはかなりのボリュームであることは分かります。
この記事ではこのような文法規定があった文化的背景が、コンピュータ産業におけるインド出身者の活躍の基盤であると指摘されているとも書いています。その真偽はともかくとして、約2400年前に細かい文法書が出ていたというのは驚きです。
posted by 山崎 真司 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年07月22日

流線形シンドローム


 

原克著
紀伊国屋書店 2400円(税別)
初版: 2008年2月


サブタイトルは”速度と身体の大衆文化誌”とあります。
この本は1910年代〜1930年代において、世界で”流線形”がどのようなものとして捉えられていたかということを述べています。

ただし、”流線形”を分析していますが、美術史やデザイン史といった観点でも工業技術史といった観点ではありません。
”流線形”の実際の機能と社会での認知のギャップを、雑誌の記事(主にポピュラーサイエンス誌)を通して説明しています。


著者が本文中で
「かつてロラン・バルトは言った。神話は語りの形式であり、内容の問題ではない。神話の形式には限界があるが、内容には限界がない。どんな内容であっても、神話的な語り口をもってすれば、すべて神話になるのであると。」
というように

 
 
「神話作用」の引用をしていますが、
この本で上げられているのはまさに”流線形の語り”です。


当初は技術として取り上げられていた”流線形”はその形体や機能を離れていき、やがて”イメージ”として語られるようになっていきます。


また、アメリカでは”先端科学”のはずの”流線形”が大衆化していくのに対して、ナチス・ドイツでは”科学”としての文脈に抑えられ、ナチス・ドイツの科学力という国家主義の象徴として”流線形”が用いられます。


このようにわずか30年間における”流線形”という言葉の使い方だけでも、多くのことが分析できます。
実際にこの本では、30年間の言葉の使い方の変化と国の違いという縦糸と、車や女性の服といった応用の差異である横糸を丁寧に使って、”流線形の語り”という布を織り込んだといった印象でした。

特に何かを得るといった本ではありませんが、よくまとまった文化史だと思いました。


他の方の感想を読んで:

http://d.hatena.ne.jp/shippopo/20080407/1207559753
最終章で語られる日本は、そのモダンなスタイルにだけ注目した「殺人流線型」(要は連続殺人)とか
「流線型あべっく」(要領の良いデートコースの紹介記事)とか、妙になごめるフレーズがビシバシ。
最後がこんなに軽くて良いのか…とも思ってしまうけど、その辺が日本人らしいってことだろうか。
バルトとか持ち出されると、つい納得してしまう。


最終章では「記号の帝国」というタイトル(普通は「表徴の帝国」)でロラン・バルトの日本論が書かれていますが、「実はここが書きたかったのか」と納得しながら読んでました。一方で「日本編は蛇足だろ!」とも思いながら...

 
posted by 山崎 真司 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年06月21日

カリスマ入門


古谷雄作著
太田出版 1300円(税別)
初版: 2009年5月

カリスマ性というのはいったいなんでしょうか?
カリスマに狙ってなることはできるのでしょうか?


”温厚な上司の怒らせ方”などで知られる古谷氏は、カリスマは習得可能な技術であると言っています。

この本では、世の中のカリスマ達が活用しているテクニックや自己演出を分析し、解説しています。

カリスマになるためには
・先取りをアピール
・あえる (あえてxx)
・表記にこだわる
・周りから言われる

といったことが必要となります(この本ではポイントを16に分類しています)。
そしてこの本のポイントは、雑誌のインタビューなどからカリスマの言葉を引いていることでしょうか..


先取りアピールは非常に一般的です、

収集癖があるんですよ、私。ずっと集め続けてるのが、「アン・バレリー」というアーティストのぬいぐるみ。ちょっと前まではすぐに手に入ってたのに、最近は人気が出てしまい、購入しづらくなっちゃって……。うれしい反面、すごく複雑な気持ちです(笑)


といったことです。
「Perfumeなんて秋葉の道路で歌ってただけなのね」とか、「あー、宙のまにまにアニメ化されちゃったんだー。まー、世界天文年だし仕方ないか。ぼくは雑誌で初回から連載読んでるけど」とかよくあるパターンですよね。

 


”あえ”はいわゆる”あえてXX”です。ファッションだとハズシとか言われてるアレですよね。

自分のヴィジョンが固まるまでは、あえて、女性とは距離を置く。
そういう哲学があってもいいんじゃないかな

といったパターンです。
アンティークテイストの部屋なのにモダンな机を置いておいて、突っ込まれたくてウズウズしてるとか、ぜんぜんあえてじゃないのに、”あえて”と言ってみるとか。

 
 

表記にこだわるというのもよくあるパターンで、
GLAYというのは

「白(ポップス)でも黒(ロック)でもない」
「他の誰でもない自分だけのグレー」を意味するもの

だそうです。ふーん、へー。普通の灰色はgrayなんだけど、特別なものらしいです。

そういえば、ハンドル名で名前の最後や途中に☆がついてたり(らき☆すた とか、ほのか☆とか)、
名前の0(オー)が0(ゼロ)になってたり、
Akikoの代わりにAquicoと書くとかもよくありますね。

 
 周りから言われるというのもよくあるパターンで、

創造のパワーはどこからくるのかって、よく聞かれるんですよ。
でも、こればかりは説明がつかないんですよね。
何かこう自分の中に噴出してくるものがあって……
出さずにいられないんです。
それを提示しないのは、罪のような気さえする。
そのくらいの恐怖観念がありますね

みたいに使われます。
上の発言なんかは、もうカリスマとしか言いようがないレベルです。(ちなみに石井竜也氏の発言)

本当は違うんだけど、他人に言われて迷惑してるんですよ、
といったことをうまく表現してます。

ちなみに石井さんは、別の章で

ホント、困っちゃうんですよね。去年僕が『サアカス少年団』って、サーカスとライブを合体させたコンサートをやったら、今年はYU…さんがサーカス使ってるし、
自分の個展に『EXPO』ってタイトルをつけたらGL…ってバンドがEXPOってタイトルでコンサートとイベントをやるって言うしね(苦笑)

のように先取り(というか真似され)迷惑もうまく表現してます。
カリスマすげー。

実際はカリスマ性の向上だけでなく、ポップ心理学としても読めます。
NLPみたいなもんでしょうか。


ちなみにDVDも出てますねー。
posted by 山崎 真司 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年06月18日

ツバル 地球温暖化に沈む国


神保哲生著
春秋社 2000円(税別)
初版: 2004年2月(増補版2007年7月)

グリーン・ニューディールスマートグリッド

いくつかの明るい話題はありますが、地球温暖化については悲観的に状況を捉えないといけません。
この本はツバルという国を通して、数字でなくストーリーとして地球温暖化を理解できる本で、ジャーナリストの神保氏が2002年と2005年のツバルのレポートをしています。


ツバルというのは南海の孤島というイメージではありましたが、想像以上ののどかさでした。


しかし、人口の8割以上が貨幣を使っていない(というか、自給自足)という国には、
今、地球温暖化の影響が確実にあります。

私は、地球温暖化によって海面の上昇で海岸線が削られていき島が沈んでいくのかと思っていましたが、、
実際にはそれだけでなく、地面から海水が湧き出すことの影響が大きいです。

定期的に地面から湧き出す水によって、農作物が海水にやられていき、自給自足の生活が崩れていきます。


これは島が沈む前に、ツバルの人々が自給自足から資本主義経済への移行を強要されるということになります。


また、増補版では2005年のツバルの現状が追記されていますが、ここではグローバリゼーションの悪影響が述べられています。

ツバルの人々が永らく続けてきた食生活の中にジャンクフードが入ることによって、
栄養の問題が出てきています。
これまでは食事のバランスなど気にしなくてよかったですが、
一部の出稼ぎなどの外貨で買うジャンクフードが食生活のバランスを崩しています。


これまで自分たちが永らく続けてきた生活が先進国により破壊されつつあり、
一方で島から出ようと外貨を獲得した人たちも都市生活のスキルがないために苦しんでいます。


地球温暖化は、数字でなくリアルであり、人間の生活を破壊しているというのを
リアルに感じさせられ、考えさせられる一冊でした。

posted by 山崎 真司 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般