2012年02月21日

ぼくたちが考えるに マスコラボレーションの時代




なかなか考えさせられる一冊でした。兄貴と話している時に、ソーシャルネットワークを考える一冊ってなんだろう?、という話になって、その流れで読みました。

山形浩生訳の本なので、例によっての役者解説があって、そこにはWeb2.0的なものをもうちょっと広くした本(つまり、”ウェブ進化論”の拡大版)といったことが書いてあるのですがその通りといった印象です(←ちなみに山形浩生とは思えないほど訳者解説があっさりしてた)


でも、ウェブの拡張じゃなくて、世界全体について語っているので、より広く考えさせられます。おかげで、いろいろとメモを綴ってしまいます。若干ですが、発展途上国のオープンイノベーション(や、オープンじゃないイノベーションの発展途上国への転用)といった話題もあり、こういったことの積み重ねが大事だな、と何やらどこにも向かない熱い思いにもとらわれましたが、きっとそれをビジネスにするのは難しそうです。実はフェアトレードとかなんとかいって、結局”罪悪感マーケティング”に頼って商売してる人たちよりも、オープンネスの方が遥かにインパクトを与えると感じさせられるのは、オープン文化に影響を受けているからでしょうか?

学生時代にストールマンの文章(Emacs本の最後か最初にあったGNU憲章?)読んで感動してたり。
posted by 山崎 真司 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年12月04日

メディア・バイアス

メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)
松永 和紀
光文社
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納豆が健康に効く、農薬について、遺伝子組換えについてなど、食品関係を中心としたメディアの無責任さについて説いた本です。

言うまでもなくメディアは刺激的なニュースや情報を流したがりますし、「**は危険!」のような情報を消費者が求めています。こういった情報は、「**の専門家***がこう言っています」という形で提供されます。もちろん分かりやすい情報じゃないといけませんので、そこには量や細かい条件などは消えていきます。


著者の非難は、自らの利益のために「**は危険」と主張する研究者(変な水や健康食品のメーカーに関係する人や、環境関係のNGOの人とか)でなく、それを無批判に受け入れる一般の人でなく、メディアに集中します。たしかに、メディアにとっては「分かりやすくないとウケない」、「**は安全というと後が怖いが、**が危険というのは問題がない」という非対称性があります。また、リスクを含めて正確に伝えるためには、メディア側にも知識が必要ですし、それを専門家に聞いても歯切れの良い答えはあまり返ってきません。その辺の(自称)専門家に聞けば、いくらでも消費者が言って欲しいような形で断言してくれます。


この本は、メディアのテキトーさ加減と、その背景を読むという本であると同時に、実際の問題についてのクリティカルシンキング(批判的思考)の練習本としても秀逸です。現実世界での、様々な報道をどのように受け取るかを考えるには一冊でした。
posted by 山崎 真司 at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年11月26日

16世紀文化革命1

一六世紀文化革命 1
一六世紀文化革命 1
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山本 義隆
みすず書房
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一六世紀文化革命 2
一六世紀文化革命 2
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山本 義隆
みすず書房
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僕が参加している読書会でとても人気のある本、”磁力と重力の発見”を書かれた山本義隆さんの本です。”磁力と重力の発見”番外編とでも言えるような本です。

この本はタイトルの通り16世紀でどのような革命的なことが起こって、そしてデカルト、ベーコン、ガリレオ、ケプラー、ニュートンらが活躍した17世紀の科学革命につながったかというのを述べる本です。


この本を読むと、16世紀というのは、グーテンベルクの後の時代で印刷技術が盛んになったことというのが一番大きな背景になるでしょうか?このような背景の下、デューラーのような精緻な版画作家の後の時代として、様々な書物が生まれていきます。

これまでグーテンベルクの印刷技術というのは、ラテン語でなく民衆のわかる言葉での聖書の発行により思想を発展させたことや、写本と違って出版コストを圧倒的に下げることで知識の拡散に影響を与えたものと思っていたのですが、この本を読むとポイントはそこでないということを思います。

つまり、図版を多用した本を出版することにより、これまで口伝でしか伝わらなかったことが文書化できるということです。これまで本を書いても、文字情報だけで伝えなければいけなかったものが、図と絵を使うことで容易に相手に伝えることができます。例えば、この本でも”メタリカ”という本の挿絵として、鉱山で使用するポンプの絵が出てきますがこれは挿絵と言葉で伝えるのとでは大きな違いです。

これを支えるように、プトレマイオスの本の再発見とその応用により、15世紀に遠近法の基礎が確立していたのです。


また、鉱山のポンプと同様のことは医学にも大きな影響を与えます。人体の精緻な挿絵は、それまでのガレノス、アヴィセンナ、アヴェロエスといった古代ローマ、イスラムからの思弁的な医学を、実践的な医学へと進めていきます。この医学を進める原因には、さらに火薬の発展により戦争形態の変化もあります。


他にもいくつかの論点から16世紀の文化革命について述べていますが、基本的には”文書化”ということがすべての背景にあるようです。この本は、1つの事柄を様々な領域での事柄から論証していくという重厚な論の進め方をしています。こういう本は私の好みなのですが、あまり日本では見受けられません。ちなみに、日本のビジネス書が薄っぺらい印象なのもこのせいだと思ってます。

”銃・病原菌・鉄”に目頭を熱くした皆様にオススメの一冊です:->


ちなみに同時にこの本も読むと楽しめます。

数量化革命
数量化革命
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アルフレッド・W・クロスビー
紀伊国屋書店
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こちらは本当に面白いです。あらゆる人に読んでもらいたい本です。

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世
山本 義隆
みすず書房
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磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス
山本 義隆
みすず書房
売り上げランキング: 60651


磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり
山本 義隆
みすず書房
売り上げランキング: 137795


posted by 山崎 真司 at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年10月25日

十二世紀ルネッサンス

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)
伊東 俊太郎
講談社
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西洋のギリシア文化(科学と哲学)の発見の話です。私はこのギリシア文化の発見は十字軍とスペインでの失地回復(レコンキスタ)で行われたと思っていたのですが、実際にはそれに加えてイタリアのシチリアからも行われていたということです。

ちなみにギリシア文化はキリスト教の異端のネストリウス派と単性論者(Monophysite)が、西洋から逃げてきてシリアに住み着いたがベースになります。これがアッバース朝の第2代カリフ、アル・マンスールが762年にバグダードを首都にした時に、ネストリウス派などの学者を招くところからイスラームでのギリシア文化の再発見が始まります。そして様々な文献が、ギリシア語からアラビア語への翻訳が行われていきました。

このイスラームでのギリシア文化が十二世紀になって、西洋に輸入されていきます。輸入は、最初はアラビア語から、その後はギリシア語からラテン語に翻訳されていきます。


こうやって書くと一瞬の話ですが、この流れを丹念に述べたのが本書です。ルネッサンスが十二世紀からはじまったというのは納得です。これまで十二世紀の重要さというのは認識していませんでしたが、ここが西洋の転換点だったのがよく分かる一冊でした。
posted by 山崎 真司 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年10月23日

マホメット

マホメット (講談社学術文庫)
井筒 俊彦
講談社
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東洋思想、イスラム哲学を専門とする井筒俊彦の書いた小編です。

イスラームの成立当時の時代背景とマホメットを描いていますが。中心はベドウィン的世界観と、ベドウィン的な倫理観がどのようなものであったのかを描いている部分でしょう。

このベドウィン的世界観は、私の感覚では、昔ながらの血縁関係による”外と内”を中心としたもので、さらに血で血を洗う任侠的世界観とも見えます。このような民族としてのまとまりでなく、氏族としてのまとまりしかない時代に、旧約聖書的な”警告”をもって布教したのがマホメットです。

これを読むと、あるところから、マホメットが旧約聖書的な”警告”から、新約聖書的な”導き”へ転換をしたというのも興味深いです。


私はコーランを読んだことがないのですが、この本にあるようにコーランの節と、マホメットがそれを唱えた時代を分けて読むとなかなか面白そうだな、と思いました。
posted by 山崎 真司 at 20:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年09月05日

不合理だからすべてがうまくいく

不合理だからすべてがうまくいく―行動経済学で「人を動かす」
ダン アリエリー Dan Ariely
早川書房
売り上げランキング: 9284



行動経済学者として有名なダン・アリエリーの本です。行動経済学というと、何やら経済学っぽいですが、ほぼ社会心理学の本と思ってもらっていいです。

と、同じ出だしになりましたが、先日書いた、『予想どおりに不合理』の続編です。

・職場での理屈に合わない不合理な行動
・家庭での理屈に合わない不合理な行動

という2部構成でまとめられていますが、基本的には前著の『予想どおりに不合理』と同様に様々な実験から、人の心理バイアスを解き明かしています。


特に前半の職場の話は、高すぎる報酬を提示するとパフォーマンスが落ちることをインドの村で実際に高い報酬を出して実験したことということや、働くことの意味の実験のためにレゴを使って1回ごとに壊した場合とそうでない場合にどのくらいレゴを作るかといった実験などが載っています。

それぞれの結論は人は完全に理性的という見方からすると予想外の、そして人間には様々なバイアスがあるという見方からすると予想通りの結論になっていますが。それでも、実際の数字と共に結論を出されると、企業でのインセンティブの与え方などに多くの示唆やアイデアを与えてくれます。


個別の結論や実験内容は有名なのでどこかで読んだものも多いのですが、ともかく高密度にこれでもか、と実験が載っています。そして、読んでいて思うのは、本当にダン・アリエリーは実験が好きなんだなー、ということです。普段、自分も心理学のニュース記事を読んでいると、様々な実験がしたくなります。残念ながら、実験を思いついても個人ではやる場所や機会がないんですが…

予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー Dan Ariely
早川書房
売り上げランキング: 8501

posted by 山崎 真司 at 22:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年09月02日

予想どおりに不合理

予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー Dan Ariely
早川書房
売り上げランキング: 9612



行動経済学者として有名なダン・アリエリーの本です。行動経済学というと、何やら経済学っぽいですが、ほぼ社会心理学の本と思ってもらっていいです。

ヒレカツ定食 900円
トンカツ定食 750円
チキンカツ定食 650円
とあると、真ん中のトンカツ定食が一番売れるというのは有名な話です。

一方、中古車屋さんで、

走行距離の多いA社の車
走行距離の普通のA社の車
走行距離の普通のB社の車

とあると、比較しやすいため走行距離の普通のA社の車が選ばれます。この本ではこのような事例がいろいろと書かれています。


例えば、アンカリングの実験として、学生に様々な商品を買ってもいいと思う値段を紙に書いて入札をしてもらいますが、一番上に学生番号の下2桁を書いてもらいます。すると、その学生番号の数字にひっぱられて入札金額が変わってしまいます。コードレストラックボールの平均入札金額は、学生番号の下2桁が00から19の人が8.6ドルなのに対して、学生番号の下2桁が80から99の人では26.2ドルと、約3倍になってしまいました。


また、保有効果の実験として、大学で稀少なバスケットボールの試合のチケットが当選した人に対して「チケットをいくらなら売りますか?」と質問して、外れた人に対して「チケットをいくらなら買いますか?」と質問をすると、この回答の値段は大きくことなります。

売る側は平均2400ドル、買う側は平均175ドルと10倍以上の差になっています。これはチケットに当選した人は、保有効果が働いてチケットにより高い価値を見出すからです。この実験の場合は通常の商品やチケットのように参照する価格がないというもポイントになると思います。


このように様々な実験を行って、その結果どうなったのかが書かれているわけですが。それぞれが、人間は合理的な生き物である、という直感に反する結果になっています。もちろん、これらの合理的でない部分を認識しておくことで、間違った判断をする罠にかかりにくくなるとは思います。

値段もほど良い値段ですし、意外とページ数はありますが面白い実験がたくさん載っているのであっという間に読んでしまう本だと思います。
posted by 山崎 真司 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年08月01日

怠けてなんかない! ディスレクシア-読む・書く・記憶するのが困難なLDの子どもたち



トム・クルーズで有名な(?)ディスレクシア(読字障害)についての本です。アスペルガー症候群やADHDなどの本は読んだことがあるのですが、このディスレクシアもなかなかに厳しいものです。

通常の発達障害と違って、文字の読み書きのみで問題があるので、人一倍勉強しても、「怠けてる」、「まじめにやらない」とみなされることが多いようです。また、完全にできないのでなく、困難なだけなことも多いので、1つの漢字を何千回も書いて覚えたり、そしてそれでも間違えたりといったことがあります。また小学校の国語の時間に教科書を読まされるので、教科書を丸暗記したりといった努力をしていたりします。しかし、その上でも学校の先生に「やる気がない」や「もっとしっかりやれ」といった指導(?)を受けたりします。

この本はそのようなディスレクシアを本人へのインタビュー、家族へのインタビュー、教育機関などへのインタビューと3つの視点で書いています。どこを読んでも一番の感想としては、このディスレクシアがもっと知られていればここまでひどくなかったのにということです。また、先生などが、「教育のプロ」である前提が間違っているということを思い知らされます。
(ちなみにどのプロもそうですが、それらのプロはお金をもらっていることと、それまでの経験があったことに対して知識を持っているということのみを意味して、新しいことに対して理解力があることとは全く別)


もし、文字の読み書きが困難な子供(や大人)が周りにいたら、一度この本を読んでみてください。
posted by 山崎 真司 at 12:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年07月28日

創造的破壊

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業
タイラー・コーエン
作品社
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コーエンの前作”インセンティブ”はグラッドウェル的なイメージのただようコラムの本でしたが、こちらはかなり重厚な社会についての本という印象です。

コーエンはこういう人だったんですねー。文化という視点を経済から切り取っています。貿易をすることで、それぞれの国は富む(リカード的に)というのは直観にあうのですが、文化的な多様性も貿易によって高まるというのがこの本での主張です。

これは、文化内部での多様性と文化間での多様性の2つの軸から語っています。

例えば、先進国から技術が入ってくることで文化的な均質化が起こりますが、一方で輸出によってその伝統文化が進むといったことがあります。また、そもそも貿易によって国が富まないと、国内の伝統文化があってもそれはごくごく一部の富裕層だけのものということもあります。つまり、海外からの文化の流入が、国内文化を破壊するだけというわけではなく破壊と同時に内部的に想像を促しているのです。


これまで私が読んだ本で、経済学を使って社会全体の仕組みについて語っている本というのは主に歴史的な方向(通時的)から世界を見ている本が多かったのですが、このように現在のみの視点(共時的)に世界を見て、社会の仕組みを語っている本というのは珍しいと思いました。前作”インセンティブ”の印象からポップで面白い経済学コラムを期待していたのですが、意外と壮大な世界観を持った本で大満足でした。



インセンティブ 自分と世界をうまく動かす
タイラー・コーエン
日経BP社
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posted by 山崎 真司 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2011年07月24日

ホモ・ルーデンス

ホモ・ルーデンス (中公文庫)
ホイジンガ
中央公論新社
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”中世の秋”もそうですが、この”ホモ・ルーデンス”も非常に秀逸なタイトルで、タイトルを聞くだけで読みたくさせる本です。実際に、このタイトルから期待していたような本ではありませんでしたが、読みながら”遊び”ってなんだろうと考えさせられます。

この本はデュルケムやモースに続くような本で、様々な時代・地域での”遊び”について語りながら、”遊び”とは何かを明らかにしています。こういった様々な事例を出しながら、1つのことを語るという重厚長大な本というのは西洋独特な印象があります。なぜか、日本の本は、サラっとポイントだけ述べて終わってしまう本が多いと思います。ジャレド・ダイアモンドの”銃・病原菌・鉄”は梅棹忠夫の”文明の生態史観”と同じモチーフの本だと思いますが、ダイアモンドの方が非常に多面的で詳細な論をしています。


ちなみに、このホモ・ルーデンスの中での”遊び”のポイントは

・反復性
・遊びには場がある(時間的・空間的に限られた中で行われる)

ということです。他人とのゲーム(チェスやトランプ)にしろ、演劇にしろ、それが行われる場があり、ある種の反復性があります。また、”遊び”は何かのために行うものでない(定言的)という特徴もあります。

食事を食べるために行う労働や家事、家を建てるために木を切りに行く、といったことではなく、より内発的な動機によって”遊び”は行われます。むしろ、”遊び”は遊び自身のために行われるものと定義することができるかもしれません。


ちなみにホモ・ルーデンスの中ではそこまで明確に遊びを定義しているわけではないので意外とアバウトなところもあります。そのため、「あれ?それ遊びに含むの??」というところもあるかもしれません。ただし、そもそも”遊び”というものは演繹的に定義できるものではないし、”遊び”にまつわる様々な考察から、”遊び”とその周辺について考えを深めていくことがこの本の射程なんだと思います。


なお、著者のホイジンガは”中世の秋”で知られる歴史学者ですが、非常に引き出しが多いため、この本では東洋と西洋、古代から現代と様々な例が縦横無尽に繰り出されます。これが例が恣意的という印象もあるかもしれませんが、むしろホイジンガの引き出しの広さには心うたれるのではないでしょうか?

posted by 山崎 真司 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般