2010年02月09日

システムの科学 第3版

ハーバート・サイモン著
パーソナルメディア社 2000円(税別)
初版: 1999年6月(原著3版は1996年、原著初版は1978年)

 

 

 
人工知能畑でも、認知心理学畑でも権威であり、しかもノーベル経済学賞受賞者というハーバート・サイモンの本です。システム屋(⊇コンピュータ屋)としては読むべき本と、ずっと思っていながら読んでいなかった本です。


社会、生物や人工物といったものをシステムとして見るということを述べています。例えば、脳は微視的レベルとしてニューロレベルで見ることもあれば、巨視的レベルで意識として見ることもあります。経済学や物理学においても、同様のレベルがあり、このようなシステムのレベル(階層性)について書かれています。


人間の認知限界から経済学や心理学への影響についてはよくまとまっている印象で、むしろシステムの科学といったものよりもこのような人間についての考察がおもしろかったです。


ただし、読むのに骨が折れる割には、最近ではよくいわれていることが多いので、サイモンの広さを知るという以上の本ではないかと思いました。


あと、個人的には固有名詞のほとんどが英語のまま載っていることと、参考文献の中で邦訳があるものが記載されていないことが残念でした。

posted by 山崎 真司 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2010年01月26日

銃・病原菌・鉄

ジャレド・ダイモンド著
草思社 1900円(税別) (上下とも)
初版: 2000年10月(原著は1997年)

 

 

 


サブタイトルが”1万3000年にわたる人類史の謎”となっています。

生理学の教授であり、現在は地理学の教授であるダイモンド氏が、ニューギニアで言われた「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という疑問に対する答えがこの本となります。


人類の歴史は、個別の事項としては偶然として片付けられるが、ある程度必然のものがあり、それを論じているのがこの本となります。

ポイントとしては、食料の生産性が(広い意味で)文化の向上をさせるということです。もちろん文化だけでなく、人口自体も増えます。


この食料の生産性のためには、狩猟採集生活から農耕生活へのシフトが必要となります。また、農耕生活をすることにより、定住を行うことになり、これも文化の向上につながります。また定住生活は同時に出産可能な子供数も増えることなります。


それでは、どのような条件が農耕生活に移行するために必要かというと、気候とそれにふさわしく生産性の高い作物が必要となります。この条件があっていたのが、ユーラシア大陸となります。

また、ユーラシア大陸のみが東西に広いため、他の大陸に比べて、文化の移動がしやすい(近い気候の地域が隣接しているため植物や動物が移動しやすい)ということになります。一方アフリカ大陸やアメリカ大陸では、ある農産物や馬や牛などの家畜は東西に拡がることができても、南北では気候が違うために拡がることができません。また、アフリカでは真ん中にサハラ砂漠があり、南北アメリカは中央が狭くなっており、また山岳地帯になっており、交通しづらいというデメリットがありました。もちろん、ニューギニアやハワイのような離島は、より多くのハンデを抱えていることになります。
歴史において、法則というものはほとんどないと思っていたのですが、この本を読むと歴史においても法則があるということに気付かされます。評判が高いのは知っていましたが、その理由がよく分かりました。
posted by 山崎 真司 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年11月12日

使える!経済学の考え方

小島 寛之著
ちくま新書 740円(税別)
初版: 2009年10月

 

 


経済学はあまり詳しくありませんが、この本は非常に興味深く読めました。著者の小島寛之氏は数学科卒業で経済学博士という経歴の方で、この本は数学を使いながら経済学について説明しています。

ちなみにここでの経済学というのは、多数の人間の幸福を目指すものです。では一体、”多数の人間の幸福”というのは何でしょうか。それをゲーム理論と様々な公理系から説明しています。


高校数学レベルの知識がないと読むのは厳しいですが、数学体系を使うことで主張の裏づけを行っているのが、私にとっては非常に斬新でした。

 
 
この本は経済学の本ですが、ゲーム理論を使うことで心理学を進めた「誘惑される意志」を思い出しました。このゲーム理論は経済学だけでなく、かなり広範な応用があることがはじめて分かりました。
 
社会科学全般に、ゲーム理論ブームが来そうです(もう来てる?)。
posted by 山崎 真司 at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年10月29日

数学で犯罪を解決する

キース・デブリン、ゲーリー・ローデン著
ダイアモンド社 1900円(税別)
初版: 2008年4月

 

 
アメリカの人気ドラマ"NUMB3RS"(邦題は"NUMBERS:天才数学者の事件ファイル”)の背景になっている数学の考え方を説明した本です。山形浩生の書いた”訳者解説”を読んでいるうちに読みたくなって買ってきました(←狙い通り?)


内容としてはイアン・エアーズの”その数学が戦略を決める”に一見近く、数学が犯罪解決にどのように使えるかを説明しています。ただし、”その数学が戦略を決める”が多変量解析の様々な応用を述べていたのに対して、こちらでは様々な数学アイデア(一部は数学というよりもテクノロジー)をどのように犯罪解決に応用するかということを述べています。


画像エンハンス、バースディパラドックス、指紋やDNAの数学などについて述べています。数学アイデアとしては目新しいものはほとんどありませんでしたが、それほど高度でない数学とデータが、様々な判断にどのように使えるかの洞察も得られます。実際の企業や日常では、データを集めることが大変そうですが...

 
 
他の方の書評を読んで:
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081210 

犯罪にかかる人間模様が面白いのは,まず統計確率の裁判所での応用を巡る難しさだ.アメリカは陪審制であり,(日本でもこれから裁判員制度が導入されるのだが)如何に普通の人々に確率として提示されている数字の意味をわかってもらうかというのは重要な問題になるだろう.また統計を利用して犯罪があったか無かったかを検定した実話(看護婦が受持患者に心臓発作を起こさせて自分が救出に活躍する)は結構衝撃的だし,このような検定というアイデアは発見されにくい繰り返される犯罪の感知手段として広範囲に有用だと思われる.

 
たしかに確率解釈はある程度の知識が必要です。データが多数あるところでは変化点検出やクラスタリングは役に立ちそうですが、他の人に詳細を説明するのは大変そうです...
 


http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51049326.html 


なにしろ本書が扱っているのは犯罪捜査、そして裁判という実学。数学の解説本は、教科書も含めどうしても「解説にあわせて問題を作る」ため「役に立った感」がどうしても弱くなるが、本書ではその「役に立ってる感」が実感できる。
 
設計やさまざまな分析を含めて様々なところで数学は役に立っていると思いますが。1つのネタ(犯罪捜査)にこのような様々なものが使えるという点では興味深いでした。言われたら分かる、という内容が多かったのが残念ですが...
 
あと、翻訳。訳者の山形浩生のサービス精神--またはその過剰--は、好みが別れるところだろう。よい点としては、コンテキストを一度きちんと消化した上で再構成しているので、原著をただ訳したものより理解しやすい。欠点としては、その過程で著者の言説と訳者の注釈を峻別しにくい。訳者が目立ちすぎてしまうのだ。本書に関しては、好みよりも山形節がちょっと強すぎたように思う。
 
山形氏の翻訳、いや解説には賛否両論あるでしょうが。あのノリが受け入れられるならば、山形翻訳(と解説)は中毒性があると思います。”訳者翻訳”を読んだら、思わず山形翻訳の本をまとめ買いしちゃいました....
posted by 山崎 真司 at 06:05| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会一般

2009年09月24日

地球全体を幸福にする経済学

ジェフリー・サックス著
早川書房  2300円
初版: 2009年7月 
 

 
原題は"Common Wealth : Economics for a Crowded Planet"です。
コロンビア大学地球研究所所長で、国連ミレニアム・プロジェクトのディレクターも勤めているジェフリー・サックスの著作です。
”エコ”や”グリーン”といった視点の本は多数書かれていますが、分析も含めて対策を書いている本は非常に少ないと思います。その点で、この本は対策まで記述した本です。
似た内容にトーマス・フリードマンの”グリーン革命”がありますが、”グリーン革命”は技術的な点に偏っており、アメリカ視点で国家レベルまでの対策までとなっていますが、この”地球全体を幸福にする経済学”は国際レベルでの対策となっており、まさに経済学という様相となっています。


所得格差は国内レベルのみでなく国際レベルで見ても社会システム全体を不安定にする要因というのは理解できますし、また持続可能な社会(地球環境へのダメージを防ぐ)という視点での地球環境を共有資源としてみると、これらの問題は経済学的視点で考えなければならないといえます。


所得格差の問題というのは主にアフリカにおいて、インフラが未整備(主に農業インフラ)であること、医療のレベルが低いこととがメインでしょうか。

また、持続可能な社会という視点では、化石燃料などによるCO2の排出の問題と、人口爆発によるエネルギー・水・食料ストレスの問題が中心でしょうか。


これらの問題について、国連ミレニアム・プロジェクトでは各種提言を行っていますが、サックスによると、これらの問題はそれぞれ解決可能で、この本で提言しているすべての問題を解決するには支援国のGNPの2.4%の予算が毎年あれば対策可能(もちろん永遠でなく、ある時点まで)としています。

言うまでもなく、人口爆発についても、地球温暖化についても、これらの対策については放置すればするだけ対策コストは増大していきます。


こういった問題を認識しながら、これらの問題を放置するのは世代間の所得移転といえると思います。

アフリカの問題は彼らの問題という視点でなく、世界の問題は我々の未来の問題であると思いました。


グリーン革命がテクノロジーに寄りすぎていた分、こちらの方が納得感がありました。


他の方の書評を読んで:

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51270486.html
500ページ近い大著であるが、原題の"Common Wealth"をおさえながら読めば、あっという魔によめてしまう。著者の提案は簡単だ。「Their problems ではなく、Our problems として扱え」。
その点に関して、米国は正しい選択をした。原著が上梓されたのは2008年3月。次の大統領はまだ決まっていなかった。彼らが選んだのは、かたくなにまで"they"を避け、"we"を掲げる人だった。


TheirとOurという視点は面白いです。このTheirは、”アフリカや他の国”でもあり、同時に”わが国の未来”でもあると思います。

 

http://d.hatena.ne.jp/lackofxx/20090818/1250628158
地球交響曲のテーマもそうだけど、まずは問題意識を持つこと。そしてそれを自分にも貢献できる課題だと理解すること。そこがスタートライン。
その後はみんな、自分の意見もあるだろうから、よく考えて行動すればいいと思うが…。とはいえ、いまの単純な選挙モデルだとなかなか上手くいかないところがあるのも確か。バザールモデル、もう少し何とかいかないものかね。


ある程度の税金があり、それ以外は寄付というシステムになっていればバザールモデルといったシステムも成り立つ可能性がありますが。現状の民主主義のシステムにおいて、このような共有地問題を解決するのは難しいと思いました。やはり国連というシステムが大事なポイントということだと思います。

posted by 山崎 真司 at 21:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月19日

生命とは何か

エルヴィン・シュレディンガー著
岩波書店 600円(税別)
初版: 2008年5月(1951年版、1975年版がベースの文庫版)

 

 
 
原著は1944年ですが、もともとは1943年の講演にしたものです。


量子物理学者であり”シュレディンガー方程式”や”シュレディンガーの猫”で知られるエルヴィン・シュレディンガーが、生物学について述べたものです。


さすが一流の物理学者だけあって、論理がしっかりしており、分からないことは触れないといった感じでしょうか。

いくつかのポイントとしては、ブラウン運動があるために、生命体はある一定の大きさでなければならないということがあります。たしかにある程度の大きさがないと、温度の高い所ではブラウン運動の影響を受けます。
(また、非常に小さいと、不確定性原理の影響が遺伝子のデコードに影響を与えそうですが、それはまた別の話?)


また、ここでは生体エントロピーといった概念を述べています。通常、エントロピーというと、熱力学的なエントロピーか、情報理論でのエントロピーといったものを意味しますが、この生体エントロピーはほぼ熱力学的なエントロピーに近い概念です。

これはイメージ的には生命は常に崩壊の方向にある(ほっとくと熱力学的なエネルギーに勝てない)ので、負のエントロピーと称されるエネルギー(化学エネルギー)を体に取り込んで、自己再組織化をし続けなければならないということになります。


この本は、今の先端を述べているわけじゃないのですが、分子生物学という1ジャンルがどのようにして起こったのかというのを追体験できるという点で、この本自体が科学史であるともいえます。また科学において、ある分野の人が、他の分野についてどのように分析するかといった点でも興味深かったです。

posted by 山崎 真司 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月17日

天才!

マルコム・グラッドウェル著
講談社 1700円(税別)
初版: 2009年5月

 


「天才!」とありますが。原題は”Outlier”(外れ値)です。内容としてはタイトルのように”天才”や”才能に恵まれる環境”についての本です。 全体的に”天才”というテーマはありますが、若干統一感がないのが残念です。また、グラッドウェルは、”ブリンク”や”ティッピング・ポイント”のようにキャッチーな命名が上手いですが、今回の”アウトライアー”はいまいちだと思いました。


本題としては、天才は作られるものか、天才として生まれるものか、という点について、努力や環境を含めて天才は作られるものであるという視点で語れています。

非常に高いIQを持つ人でも成功するとは限らないという話や、1万時間の練習をすることである種の才能が開花するといった話などが書かれていますが。


時代(戦争や技術の谷間の世代では成功)や環境(自分の権利を主張する文化の人は成功しやすい、我慢強い文化の人は成功しやすい)といった話は興味深かったです。


ただし、この本は”天才”や”才能”に必要な要素の確認にはなりますが、この本を読んでもあまり気づきはないかと思いました。うーん、グラッドウェルの新刊ということで期待もしていただけに残念でした。

posted by 山崎 真司 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月07日

ニッポンの思想

佐々木敦著
講談社現代新書 800円(税別)
初版: 2009年7月

 


この本は80年代のいわゆるニューアカブームから2000年代(ゼロ年代)にかけて、日本の現代思想を概説した本です。

浅田彰、中沢新一、蓮見重彦、柄谷行人といった人たちから東浩紀までの現代思想の人たちの思想を解説しています。


ただ、私にとっては、1,2冊しか本を読んだことない著者や読んだこともない著者たちも多く、そのまま現代思想の跡を追うといった読み方は出来ませんでした。


一方、読みながら思ったのは「現代思想とは何か」ということです。

 
これが正解なのか分かりませんが、私の解釈としては、「(ポップなものを中心とした)現代の事象を、一般に普及していない(主に海外の)思想や学問などを通じて解説すること」でしょうか。逆に「現代の事象を解説することで、学問などを解説する」ともいえます。


本来は現代思想という軸でこれを読み解くのが正しいのですが、せっかくだから、これをビジネス書という軸の上で解釈してみます。


(これ以下は書評でもなんでもないです...)


ビジネス書というものを”現代思想”という軸で考えると、主に3つの種類の本があります。

1.外部の思想や学問を使ってビジネスを解説した、新しい考え方を解説したもの
2.その分野でのこれまでの考えを進めたり、より深くしたもの
3.優しく言い換えただけのどこかの焼き直しや、自分の体験談や成功事例をまとめたもの

といったところでしょうか。


 

このうち、1が”現代思想”的なものです。


ちなみにビジネス書というものが、未知の状況においての選択を行う際の予測の精度を高めるためのものである、と考えると、

 

1.は様々な場面に応用できる新しい予測のための方法やシステムやフレームワークを提供します。
2.は特定の場面に適用できる、予測の精度をさらに高めるためのシステムやフレームワークを提供します。
3.については新しいものを主張していないか、検証が抜けているものです。適用の範囲によっては、予測の精度を高めることができるかもしれません。

 
となります。残念ながら1.に分類されるような”現代思想”的なビジネス書はあまり多くありません。


私の認識では、このような著者としては、「天才!」や「急に売れ始めるにはワケがある(ティッピングポイント)」で知られるマルコム・グラッドウェルが代表でしょうか。

また、コンピュータテクノロジに若干偏りますが、「ロングテール」や「フリー」で知られるクリス・アンダーソンと「フラット化する世界」や「グリーン革命」で知られるトーマス・フリードマンがいます。
「まぐれ」や「ブラック・スワン」のナシーム・タレブもここに含まれそうです。引き出しの広さという視点では微妙かもしれませんが...
 
 
 
”本物の現代思想家”は日本にもいますが、”ビジネス書の現代思想家”があまりいないのは残念でなりません。
 
他分野の専門家や、海外のビジネス思想を輸入するようなビジネス思想家(そして著者)がもっといれば、もっとビジネス書も楽しめるのですが....
posted by 山崎 真司 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月06日

論争と「詭弁」

香西秀信著
丸善ライブラリー 720円(税別)
初版: 1999年7月

 

 
 

レトリックに関して多数の著作がある香西氏の本です。
この本では「プラトンの”パイドロス”」、「ローマのレトリック教室」、「フロイス、ロレンソと日乗上人の議論」、「リチャード・ウェイトリーとヒュームについて」といった4つのテーマを元にレトリックを解説しています。


タイトルから想像されるような詭弁の本ではなく議論術についての本ですが、残念ながら香西氏の他の著作のような切れ味がないというのが正直な印象です。


うーん残念。


唯一、よかったところは「フロイス、ロレンソと日乗上人の議論」です。
議論の手法として、あくまでも自分からは答えず質問に徹する立場に固執することと、想定問答という概念でしょうか。思わず、特定内容についての想定問答集を作ってみました。

posted by 山崎 真司 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年09月04日

世界は「べき乗則」で動く

マーク・ブキャナン著
ハヤカワ文庫NF 840円(税別)
初版: 2009年8月

 

 
 
今年読んだ中で最高の一冊でした。
 
元々は「歴史の方程式 −科学は大事件を予知できるか」という名前で単行本になっていたものですが、改題して文庫になったものです。
著者のマーク・ブキャナンは元”ネイチャー”、”ニュー・サイエンティスト”の編集者で、いわゆるサイエンスライターです。
他に「複雑な世界、単純な法則」、「人は原子、世界は物理法則で動く」といった共に複雑系の本があり、他の著作と同様にこの本も複雑系の本で、物理現象をモチーフにして歴史の見方を説明したものです。


これは相関関係が強いシステムの因果関係と、臨界状態というキーワードから様々な事象の説明を読み解いています。

 
この本のたとえでは、ランダムに砂粒を落とすという例を挙げています。砂粒を落とすことをしていると、次第に砂山ができていきます。さらにこの砂山に砂を落としていくと、いつか砂山が崩れるということが起こります。
 
この砂山が崩れる場合に、どれくらいの規模で山が崩れるかとその頻度はべき乗則にしたがっているということです。べき乗則にしたがっているとどうなるかというと、

1.特異点がないということなので、砂山が崩れる代表的な大きさがないということ。
2.どこが大きく砂山が崩れるかという傾向がないため、実際に砂山が大きく崩れそうというのが分からず、崩れはじめてからどのくらいの規模で崩れるか分かる。
3.最初のうちはあまり崩れないが一定以上の時間が経ってからは、どこも砂山が崩れる直前である。

ということになります。


実際に砂山のアナロジーと同様にべき乗則に従うであろう場所は多く、この本で述べているような歴史物理学という歴史観はアリだと思います。

これは歴史学というものを科学的に見ることができる可能性があります。


たしかに、「たまたま銃撃が当たったら」、「ある将軍が馬に蹴られなければ」、「ある教皇がハト派だったら」、歴史はまったく変わっていたはずです。

この歴史物理学的史観は、このように歴史が大きく(もしくはある一定確率で小さく)動くことは必然であるということを示します。そして、このような歴史の動き自体は必然だが、その大きさは結果からしか分からないということになります。


対数(ログ)について知らないと読むのが難しいと思いますが、逆に対数の概念を知っていれば非常に読みやすい本です。

posted by 山崎 真司 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年08月30日

詐欺師入門

デヴィッド・W・モラー著
光文社 1800円(税別)
初版: 1999年9月

 

 
 
原題は"The Big Con"です。ビッグ・コンというのは大掛かりな仕掛けで大金を狙う詐欺のことです。原著は1940年の本で、”スティング”のネタ本とあります。
ビッグ・コンというのは”おとり”が捕まえた”カモ”を、特定の場所(架空の賭場や取引所など)に連れて行き、そこで複数人での大がかりな仕掛けで詐欺を働きます。


この本をビジネス書として読むならば、2点の違和感について言及しなければならないです。


まず、一点目としては、ビジネスの進化についてです。

この本を読んでいくと、ショート・コン(ちょっとした詐欺)からビッグ・コンへ、そしてビッグ・コン内での詐欺の進化・巧妙化といったものを読むことができます。これは一見すると、ビジネスの直線的進化として読み取れてしまい、この理想的なビジネス進化観には実際とのギャップを感じます。
ただし、これは著者が言語学者であり、この本もビッグ・コンの歴史を後ろから見たものであるということを考えると(聞き出した相手が詐欺師だとすると失敗をいちいち説明していないと思われる)、このような書かれ方をするのも仕方ないと思います。


もう一点は、すべてをコントロールできるという万能観です。

ビッグ・コンは一店舗を一時的に作成し、また一回の詐欺に一ヶ月以上かけることもあるような大掛かりなものです。帯にあるように”ただ一人の観客のために上演される現実と見紛うほど綿密な演劇”なのです。
しかし、実際にこのような大掛かりなことをしようとすると、非常に何度も調整が必要となります。この本からは、このような調整はなくそもそもの予定通りにいったかのように書かれています。リアルなビジネスを念頭に置くと、このような調整の記述の不在に違和感を感じます。
 


このような詐欺は現在は行われいない(はず)ですが、このような詐欺のポイントは「詐欺自体は不正行為を行うと持ちかけていること」です。

ビッグ・コンでは、競馬やボクシングの八百長や株の仕手などを題材に大儲けできるといってその種銭を用意させる、というのが基本的な形です。
つまり詐欺にひっかかるのは非合法だけど確実に儲かるというエサに食いつくことが必要なのです。なにやら、福本伸行の漫画っぽいですが...
 


逆にこれがビッグ・コンにひっかからないポイントなのです。

posted by 山崎 真司 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2009年08月09日

イノベーション 悪意なき嘘

名和小太郎著
岩波書店 1100円(税別)
初版: 2007年1月

 

 


タイトルの通り”イノベーション”礼賛に対して待ったをかける本です。


一つの観点としては現在技術から一足飛びをする”イノベーション”に対して、現在技術の”ファイン・チューン”とでも言うべき品質管理・保守も大事ではないか、という点です。


次に、”イノベーション”は市場原理からなるので、”部分最適”となってしまうという点です。
背景として、技術の細分化(ハードウェアとソフトウェアが同一だったものが細分化し、製品が小さくモジュール化していること)が考えられます。
また、製品が小さくなるに従って(またオープン化や”フリー”な世界になっているので)作成者も、国家単位→企業単位→個人単位と小さくなってきていて、これも”部分最適”を進めています。

このように”細かい技術要素”と市場原理により”部分最適”に走っていくことがあります。


もちろん、”ファイン・チューン”が”イノベーション”よりも常に価値があるわけではないですし、”部分最適”でなく”全体最適”を目指すために市場原理の逆を行くべきであるとは思いませんが、手放しに”イノベーション”礼賛するのでなく、一度思考することが大事だということです。

様々なものがソフトベースになってきていて世界が小さくなってきている今、"部分最適”に惑わされないデザインが必要なんでしょうか?


以前、エジソン時代の電気自動車を見たときに車の現在との差異に驚いた記憶がありますが、しかしコンピュータについては10年前のものでも性能だけでなく応用も含めて文字通り桁違いの差があります。

そういえば”進化”という言葉が一般的には”前向き”に進んでいくことをイメージしますが、実際にはある環境への”適応”です。現在の技術が進歩しているとして、かつてないまでの速度で広範に進歩しているのが現状だと認識すると、たしかに進化の方向を御する必要がある時期にきているのかもしれません。


他の方の書評より:

http://ameblo.jp/hustler/entry-10030229259.html


1.新しい技術の導入によって、社会に危害をおよぼすことが、だれからも補足されない、不特定多数の一員によっても可能になった。この技術の偏在性にどう対応すべきなのか。性善説に与(くみ)することはできない。
 

性善説について、今の世の中では”自己責任”でということになると思います。
”自己責任”という言葉の下で、自らのリスクを最小化していき一見個々のリスクがなくなっていると思います。
”部分最適”については”自己責任”と”製造者責任”が一つの解決ですが、ソフトについては”フリー”な製品やそれに類する安価な製品が多く”製造者責任”は重過ぎます。
結局、解決法はソフトなどについては個々のモジュールの独立性が高い構造のOSというのが唯一でしょうか...

 
 
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070608/126892/
このページは無料ですが、会員登録が必要でした...
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2009年07月28日

言語 2009年8月

大修館書店 933円(税別)
 

たまには雑誌について書いてみます。この雑誌はタイトルの通り”言語”の専門誌です。
今回は特集が”手話学の現在”ということで買ってみました。手話というのは、普通の言語(?)と違って、指示するもの(たとえば”りんご”という言葉)と指示されるもの(りんごそのもの)の関係性が強いという特徴があり、非常に特殊な言語です。
一方、通常の言語(たとえば日本語や英語)では、”りんご”と”りんごそのもの”や”apple”と”りんごそのもの”にはなんら相関がありません。
つまり、手話というのはひとつの言語としてみると、まったく特殊なものとしてみなければならないことになります。

今号では、手話についての概要を知ることができます。


まず一番意外だったのが、手話使用者の少なさでしょうか。国内では聴覚障害者が厚生労働省の統計で約30万人ですが、手話人口は推定で35,000人〜54,000人程度です。印象としては非常に少ないと感じました。障害者数との比率でも12〜18%程度と、それほど手話が使われていないことが分かります。
また、手話については”手型”、”位置”、”動き”の変化と”表情”で単語をあらわします。これは手話の音韻論というものになります。

 
手話以外では、インドの最古の文法書についての記事が興味深かったです。
”パーニニのサンスクリット文典と古典期の諸文献”という記事では、パーニニというBC380頃にインドで活躍した文法学者が4000弱からなる「アシュターデャーイー」という文法規定を策定したという話が載っています。
文を命令文や疑問文に分けたギリシアのソフィストゴルギアスよりも、わずか50〜100年後に時制や文や語幹などを体系的にまとめた学者がいたというのが驚きです。実際に「アシュターデャーイー」が引用されているわけではないので、どの程度のものか分かりませんが、文法規定が4000というのはかなりのボリュームであることは分かります。
この記事ではこのような文法規定があった文化的背景が、コンピュータ産業におけるインド出身者の活躍の基盤であると指摘されているとも書いています。その真偽はともかくとして、約2400年前に細かい文法書が出ていたというのは驚きです。
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2009年07月22日

流線形シンドローム


 

原克著
紀伊国屋書店 2400円(税別)
初版: 2008年2月


サブタイトルは”速度と身体の大衆文化誌”とあります。
この本は1910年代〜1930年代において、世界で”流線形”がどのようなものとして捉えられていたかということを述べています。

ただし、”流線形”を分析していますが、美術史やデザイン史といった観点でも工業技術史といった観点ではありません。
”流線形”の実際の機能と社会での認知のギャップを、雑誌の記事(主にポピュラーサイエンス誌)を通して説明しています。


著者が本文中で
「かつてロラン・バルトは言った。神話は語りの形式であり、内容の問題ではない。神話の形式には限界があるが、内容には限界がない。どんな内容であっても、神話的な語り口をもってすれば、すべて神話になるのであると。」
というように

 
 
「神話作用」の引用をしていますが、
この本で上げられているのはまさに”流線形の語り”です。


当初は技術として取り上げられていた”流線形”はその形体や機能を離れていき、やがて”イメージ”として語られるようになっていきます。


また、アメリカでは”先端科学”のはずの”流線形”が大衆化していくのに対して、ナチス・ドイツでは”科学”としての文脈に抑えられ、ナチス・ドイツの科学力という国家主義の象徴として”流線形”が用いられます。


このようにわずか30年間における”流線形”という言葉の使い方だけでも、多くのことが分析できます。
実際にこの本では、30年間の言葉の使い方の変化と国の違いという縦糸と、車や女性の服といった応用の差異である横糸を丁寧に使って、”流線形の語り”という布を織り込んだといった印象でした。

特に何かを得るといった本ではありませんが、よくまとまった文化史だと思いました。


他の方の感想を読んで:

http://d.hatena.ne.jp/shippopo/20080407/1207559753
最終章で語られる日本は、そのモダンなスタイルにだけ注目した「殺人流線型」(要は連続殺人)とか
「流線型あべっく」(要領の良いデートコースの紹介記事)とか、妙になごめるフレーズがビシバシ。
最後がこんなに軽くて良いのか…とも思ってしまうけど、その辺が日本人らしいってことだろうか。
バルトとか持ち出されると、つい納得してしまう。


最終章では「記号の帝国」というタイトル(普通は「表徴の帝国」)でロラン・バルトの日本論が書かれていますが、「実はここが書きたかったのか」と納得しながら読んでました。一方で「日本編は蛇足だろ!」とも思いながら...

 
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2009年06月21日

カリスマ入門


古谷雄作著
太田出版 1300円(税別)
初版: 2009年5月

カリスマ性というのはいったいなんでしょうか?
カリスマに狙ってなることはできるのでしょうか?


”温厚な上司の怒らせ方”などで知られる古谷氏は、カリスマは習得可能な技術であると言っています。

この本では、世の中のカリスマ達が活用しているテクニックや自己演出を分析し、解説しています。

カリスマになるためには
・先取りをアピール
・あえる (あえてxx)
・表記にこだわる
・周りから言われる

といったことが必要となります(この本ではポイントを16に分類しています)。
そしてこの本のポイントは、雑誌のインタビューなどからカリスマの言葉を引いていることでしょうか..


先取りアピールは非常に一般的です、

収集癖があるんですよ、私。ずっと集め続けてるのが、「アン・バレリー」というアーティストのぬいぐるみ。ちょっと前まではすぐに手に入ってたのに、最近は人気が出てしまい、購入しづらくなっちゃって……。うれしい反面、すごく複雑な気持ちです(笑)


といったことです。
「Perfumeなんて秋葉の道路で歌ってただけなのね」とか、「あー、宙のまにまにアニメ化されちゃったんだー。まー、世界天文年だし仕方ないか。ぼくは雑誌で初回から連載読んでるけど」とかよくあるパターンですよね。

 


”あえ”はいわゆる”あえてXX”です。ファッションだとハズシとか言われてるアレですよね。

自分のヴィジョンが固まるまでは、あえて、女性とは距離を置く。
そういう哲学があってもいいんじゃないかな

といったパターンです。
アンティークテイストの部屋なのにモダンな机を置いておいて、突っ込まれたくてウズウズしてるとか、ぜんぜんあえてじゃないのに、”あえて”と言ってみるとか。

 
 

表記にこだわるというのもよくあるパターンで、
GLAYというのは

「白(ポップス)でも黒(ロック)でもない」
「他の誰でもない自分だけのグレー」を意味するもの

だそうです。ふーん、へー。普通の灰色はgrayなんだけど、特別なものらしいです。

そういえば、ハンドル名で名前の最後や途中に☆がついてたり(らき☆すた とか、ほのか☆とか)、
名前の0(オー)が0(ゼロ)になってたり、
Akikoの代わりにAquicoと書くとかもよくありますね。

 
 周りから言われるというのもよくあるパターンで、

創造のパワーはどこからくるのかって、よく聞かれるんですよ。
でも、こればかりは説明がつかないんですよね。
何かこう自分の中に噴出してくるものがあって……
出さずにいられないんです。
それを提示しないのは、罪のような気さえする。
そのくらいの恐怖観念がありますね

みたいに使われます。
上の発言なんかは、もうカリスマとしか言いようがないレベルです。(ちなみに石井竜也氏の発言)

本当は違うんだけど、他人に言われて迷惑してるんですよ、
といったことをうまく表現してます。

ちなみに石井さんは、別の章で

ホント、困っちゃうんですよね。去年僕が『サアカス少年団』って、サーカスとライブを合体させたコンサートをやったら、今年はYU…さんがサーカス使ってるし、
自分の個展に『EXPO』ってタイトルをつけたらGL…ってバンドがEXPOってタイトルでコンサートとイベントをやるって言うしね(苦笑)

のように先取り(というか真似され)迷惑もうまく表現してます。
カリスマすげー。

実際はカリスマ性の向上だけでなく、ポップ心理学としても読めます。
NLPみたいなもんでしょうか。


ちなみにDVDも出てますねー。
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2009年06月18日

ツバル 地球温暖化に沈む国


神保哲生著
春秋社 2000円(税別)
初版: 2004年2月(増補版2007年7月)

グリーン・ニューディールスマートグリッド

いくつかの明るい話題はありますが、地球温暖化については悲観的に状況を捉えないといけません。
この本はツバルという国を通して、数字でなくストーリーとして地球温暖化を理解できる本で、ジャーナリストの神保氏が2002年と2005年のツバルのレポートをしています。


ツバルというのは南海の孤島というイメージではありましたが、想像以上ののどかさでした。


しかし、人口の8割以上が貨幣を使っていない(というか、自給自足)という国には、
今、地球温暖化の影響が確実にあります。

私は、地球温暖化によって海面の上昇で海岸線が削られていき島が沈んでいくのかと思っていましたが、、
実際にはそれだけでなく、地面から海水が湧き出すことの影響が大きいです。

定期的に地面から湧き出す水によって、農作物が海水にやられていき、自給自足の生活が崩れていきます。


これは島が沈む前に、ツバルの人々が自給自足から資本主義経済への移行を強要されるということになります。


また、増補版では2005年のツバルの現状が追記されていますが、ここではグローバリゼーションの悪影響が述べられています。

ツバルの人々が永らく続けてきた食生活の中にジャンクフードが入ることによって、
栄養の問題が出てきています。
これまでは食事のバランスなど気にしなくてよかったですが、
一部の出稼ぎなどの外貨で買うジャンクフードが食生活のバランスを崩しています。


これまで自分たちが永らく続けてきた生活が先進国により破壊されつつあり、
一方で島から出ようと外貨を獲得した人たちも都市生活のスキルがないために苦しんでいます。


地球温暖化は、数字でなくリアルであり、人間の生活を破壊しているというのを
リアルに感じさせられ、考えさせられる一冊でした。

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2009年06月01日

誘惑される意志

ジョージ・エインズリー著
NTT出版 2800円(税別)
初版: 2006年9月

 

デネットの”自由は進化する”の中で解説されていた本です。
一見すると、経済学的観点を持ち込んだ心理学の本ですが、


この本では”双曲割引”という概念を使うことで、人間の行動(意思の弱さ)を説明しています。


なぜ、「明日の朝早く起きたらやろう」という勉強は行われないのか、
なぜ、グズグズしてしまうのか、
こういった問題をモデルを使って説明しています。


この本では人間の意思決定というのが異時点間の交渉であり、
その報酬性が双曲的に割り引かれるというモデルを提示しています。


一般的な経済学では(そして直感的には)未来の報酬性の割引は指数割引(DCF)といったモデル化をしますが、
実際の人間はこのような理想的な割引は行っておらず、
双曲線としてモデル化すると非常に現実の感覚に整合するのではないかという提案をこの本ではして、
このモデルを下に、さまざまな状況での意思決定について考察をしています。


この双曲割引による異時点交渉モデルというのは、非常にシンプルで分かりやすいモデルなのですが、
実際に例を読んだり、自分の経験に照らし合わせると非常に高い整合性を持っている印象があります。


P.S.翻訳が山形浩生氏なので、解説がいつもの山形節でした...

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2009年04月08日

服従の心理

スタンレー・ミルグラム著(山形浩生訳)
河出書房新社 3200円(税別)
初版: 2008年11月(原著は1974年初版)

この本はアイヒマン実験としても知られるミルグラムの服従実験(ここに解説があります)についての本で、
一冊まるごと1つの実験についての説明と分析になっています。
ちなみにミルグラムは有名なスモールワールド現象(6人の隔たりがあればあらゆる人につながるという現象)の実験も行った心理学者です。


さて、この本では人間の道徳が権威に対してどのように働くのかということを実験した上で検証と考察をしています。

序章に、

権威の下で行動している人は、良心の基準に違反した行動を実行するが、その人が道徳感覚を喪失すると言っては誤りになる。
むしろ、道徳感覚の焦点がまるっきりちがってくると言うべきだ。

という言葉がありますが、まさにこのように権威の下では、道徳観念と一般に言われたものが麻痺します。
(実際には道徳観念が麻痺するというよりも、自責の念にかられながらも行動を止められなかったりもしますが)


また、この本では実験の結果を数値としてのみでなく、生々しくそしてかなり主観的に書かれているのが印象的です。


この本で一番印象的なのはミルグラムの実験の周到さでしょうか。
単なる服従実験の実験だけでもよく練られたものなのですが、実際には本当にさまざまなバリエーションで念入りに実験が行われています。
1つの実験を微妙に違った角度から何度も行い、より正しい姿を浮かびだしているのは本当に”素晴らしい実験者”だったんだと思いました。


ミルグラムはこの服従実験を通しては、権威の言いなりでなく、自分の道徳に従う意思を持つことを語りかけていると思います。
実際には、この”権威”を、”言い訳”や”惰性”と捉えると、普段自分たちが行っていることとまったく同じことを実験しただけかもしれない、と思いつつ。
一方で、権威というのは何気なく(≒自分達が気づかない間に)影響を与えているという怖さも感じました。

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2009年03月26日

教育×破壊的イノベーション

クレイトン・クリステンセン、マイケル・ホーン、カーティス・ジョンソン著
翔泳社 2200円(税込)
初版: 2008年11月

 

イノベーション関係の著作で知られるクレイトン・クリステンセンの新作です。
こちらのホームページを見て、思わず買ってしまいました。

この本はアメリカの教育界に関する提言と今後の予測をしている本なのですが、ビジネス書的な話を加えながら書かれており教育界についてよく知らなくともそのまま読める本でした。
また、ザ・チョイスを読んだ時も思ったのですが、ある種のフレームワークの適用というものは、ビジネスだろうが他のジャンルにだろうが適用できるということでしょうか。

この本では破壊的イノベーションというものを軸に教育を読み解いています。
破壊的イノベーションというのは、内部でなく外部から起こるもので(内部者は基本的に、システムを破壊するメリットがないですので)、無消費層(≒ないよりマシという視点で、これまで使ってなかったものを消費する層)をターゲットにしたところから起こります。
たとえば、出た当時のパソコン(当時はマイコンと呼んでましたが)はミニコンと比べると性能ははるかに劣りますが、価格も十分に安く、それがやがてミニコンの市場を破壊しました。

このような破壊的イノベーションが、現在教育の場で起ころうとしていることを読み解いています。
これは教育費への予算不足と、一方でIT技術の進化に教師がついていっていないことやITが生徒ごとの教育を支援できることがこのような破壊的イノベーションを起こしえます。
たとえばビデオ授業があれば、いわゆるロングテールっぽくニッチな授業を受講することができます。
中学教師の授業より、大学の先生が話すのを聞くほうが有効な場面は多いとは思いますし。
テストという評価軸を考慮しなければ学校で習うこと(暗記すること?)が、社会に出てからどう活かすかということを考えると、教育というのは改善する余地がたしかに多いと思います。

ただし、このようなイノベーションも、”勉強ができる”ことで官僚になった人や、その官僚が選んだ人間がある意味内部からイノベーションを起こせるかというと起こせないといった構造になっています。


実際にクリステンセンの読みでは、このようなIT技術の進化による破壊的イノベーションは起こる予兆がすでにあり、アメリカでは2012年くらいからオンライン授業というのが普及しはじめると書いています。この波は、同様に日本でも起こるはずです。

 

他の方の書評を読んで:
http://ameblo.jp/lifeislovely/entry-10170966868.html

ある意味これは、破壊的イノベーションを学ぶための、イノベーションへの解とは別の、優れた方法の一つにもなっている。
最も印象に残ったのは、「多くの教育研究(そして経営研究)を、相関関係を見出すにとどまっていて、因果関係を分析できていない(だから使えない!)」という一節。
おお。言い切ってるwww

相関関係と因果関係についての分析・分離というのは、社会学者の大きなテーマでしょうか。
クリステンセンは、教育界への疑問を相関関係と因果関係の誤読というところからスタートさせて、イノベーションというツールを使ってソリューションを読み解いており、このストーリーはなかなか刺激的でした。


http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2008/11/post-d205.html

クリステンセンと言えば、ご存知の通りイノベーション研究の第一人者。著書『イノベーションのジレンマ』を繰り返し読まれた方も多いでしょう。
その彼が教育問題に関する本を書いた、しかも「破壊的イノベーション」の考え方を使って、と聞けばビックリされるのではないでしょうか。
僕も最初は「イノベーションの理論で教育問題を考えられるのか?」と懐疑的だったのですが、結論から言うと、本書は「破壊的イノベーション理論」の非常に優れた応用例になっていると思います。

私も小林さんと同様で、(教育の)素人がおいおい、とか少し思ってたのですが、ここまでスッポリはまるとは。
そして、これを読むと、まったく同様のことが日本でも起こる気がします...


http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/e/0b00378584ad5aa62bf68457cbb5bfb5

生徒中心の教室で学習を個別化するにはコンピューターを活用するしかない!という80年代初頭のCAIのうたい文句をベースに、「ユーザー生成コンテンツの制作を支援するプラットフォームの出現」というコンシュマー・ジェネレイテッド・メディアなスパイスを効かせ、「オンラインコースが高校の全履修課程の25%のシェアを獲得するのは2014年頃」という大胆な予想までしています。

そういえば、以前(ぼくは小〜中学生でしたが)CAIというキーワードがもてはやされていて、コンピュータでみんな学習するようになる、なんてことを夢見てた時代がありました。
これも、AV機器とコンピュータの統合化などのインフラとしてのコンピュータの性能のアップが背景にあって、今ならばクリステンセンがいうような世界がきても不思議ではないと思ってしまいます...
もしかして、私が夢をみがちなコンピュータ屋だからかもしれませんが...

 



 

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2009年02月12日

利己的な遺伝子

リチャード・ドーキンス著
紀伊国屋書店 2940円(税込)
初版: 2006年5月


非常に有名な本で原著は1976年です。かなり多くの人から勧められ、また、いまだに大きな書店で平積みになっているこの本は、それだけの内容の本と思いました。私が読んだ版は30周年記念ということで、前書きだけでもかなりの分量がありますが、この利己的な遺伝子はドーキンスの文章力のためか分厚いにも関わらずスラスラ読める良書でした。


利己的な遺伝子というと、タイトルから個人は遺伝子によって動かされているといった内容の本かという印象がありましたが、まったくそういう本ではありません。

ここから読んだポイントとしては
・自由意志(遺伝子によって動かされているか?)という件については、ドーキンスは人間の意志の力を信じている。
・遺伝子の複製力と自然淘汰という見方で生き残っている説明ができるが、これは遺伝子が人間の目的を決めるわけでなく、”単に生き残った”条件が説明できる。
・遺伝子という自己複製子という視点を持つことで、各生物の個体ごとの進化が説明できるが、1個体内での各細胞の協調についても同様に説明が出来る。
・胚発生ということにより、より自然淘汰の可能性が増えるシステムが作れる。

といったことを様々な遺伝子という視点と、様々な動物の特性から読み解いて解説しています。
宇宙の最初(ビッグバン?インフレーション?)というのも気になりますが、この本を読むと生物の発生の最初(スープ?)というのもとても気になります。
この本は今の地球上の生物というシステムがどのようなものなのかを説明していますが、これだけのシステムが自然淘汰というものだけで作られたというのはすごいことだと思います。
また、最近読んでいるかなり多くの本(分野は様々)で進化論について述べられています、やはり進化論というものは現代科学についてはかなり深く根を下ろしているということでしょうか。その点でもオススメです。
 
posted by 山崎 真司 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年12月15日

生と死の極限心理

広瀬弘忠著
講談社 1500円(税別)
初版: 2006年11月

 
サブタイトルが「サバイバルの限界を考察する」となっています。何故、リスクを好む人びとの説明を軽くしてから。
 
アムンゼン、スコット、シャクルトンといった南極探検家の比較、そしてアメリカのダナー隊の説明が行われています。いずれも、まさに生と死の極限状態にあった、もしくはスコット隊のように全滅した人達の話です。内容については、広瀬氏の研究内容は分かりませんが、二次創作的な著作という印象を感じました。
ちなみにダナー隊というのは1846年にカリフォルニアへ向かった途中で遭難し、多くが死に、また一部の人達は人肉を食べて生き延びたという話で、アメリカではかなりメジャーな話だそうです。
タイトルでは、極限の考察となっていますが、実際には様々なサバイバルでの事象を解説しているだけで、そこでの考察やサバイバルでの対応といった所にはあまり踏み込まれていない印象でした。
普段はローリスクローリターンな行動が、極限状態ではハイリスクノーリターンになってしまうため、果敢にリスクを取る(ハイリスクローリターン行動を行う)ことが理性的になることがあるのが極限状態でのポイントでしょうか。また、こういう状態で理性的に振舞えること(スピード重視や体力を残しておくこと)ができればより生き残ることが出来そうです。


他人の書評を読んで:
http://hoptimisti.exblog.jp/5301383


やっぱり何事も楽観的に行かなきゃいかんね。


ですよねー。ちなみにシャクルトン的には、勇気は5番目の要素だそうです。

posted by 山崎 真司 at 20:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年12月05日

耐震サラリーマン

佐藤 訓行著
中日新聞社 1143円(税別)
初版: 2005年1月

 
阪神淡路大震災の際の綜合警備保障の神戸支社長が書いたもので、副題が「震災復興の心得」とあります。実際には心得やマニュアルというよりも、大震災の頃を振り返った主観的な記録の本です。
地震の場合は、被害が局地的なので2,3日生き残ればあとはなんとかなると言われてると思いますが、実際に生き残れたとしてその後どうなるのか、実際にどうするかというのは想像もしてませんでした。
まずは著者ですが震災初日から、会社に行ってました...そういうものなんですね。普通は行く的なことを書いていましたが、たしかに家にいたところで何もすることがないので、何か会社に行くということになるのでしょう。


必要なものとしては食糧はなんとか買えるので、そのお金が必要ということ(うちの会社小口現金ないけど大丈夫かなー)。また、飲料水については1日2リットルくらいでいいけど(ただしこれは冬の前提でしょう)、トイレの水が節約しても1回7リットル程度必要(水で流さないとトイレが詰まるので)で、1日15〜20リットルくらい必要ということ。つまり、飲食については飲料水よりもトイレの水の確保が大事になります。このためには、自転車やスクーターとポリタンクが必要になります(名古屋の場合は海が近いし...あとおそらく小牧基地や守山基地も水配布の場所になりそう)。

また買えるものがあったら買えるときに買うが基本となります。値段の多少や(買えないよりマシ)決裁なんかはぶっとばして買っておくということになります。会社ではこういうのをごちゃごちゃ言う人がいそうですが、非常時には現場判断できるようにしておく必要がありそうです。
また、ガムテープは使えそうなので、いくつかまとめ買う必要がありそうです。

というわけでこの本を読んだ上で防災グッズとしては
・現金(ATMは使えない前提で)
・ポリタンク
・自転車の鍵(自転車は盗まれやすいので二重、三重ロックにする)
・笛(カバンに懐中電灯は常に入ってますが、笛も入れとこう)
・ガムテープx何個か

といったところかなー、と思いました。


他人の書評を読んで:
残念ながら見つかりませんでした...

posted by 山崎 真司 at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年12月02日

21世紀の歴史

ジャック・アタリ著
作品社 2400円(税別)
初版: 2008年8月(原著は2006年)

技術および社会の動きから、21世紀の歴史を予想した本です。これがアタリ氏の想像する未来の歴史の可能性の中心なのか、それとも一つの歴史なのかは分かりませんが。
まずこれまでの歴史を中心都市を軸に俯瞰し、その後、未来を予測しています。
ポイントとしては、ノマド(遊牧民)の重要性と、クリエーター層の重要性でしょうか。このクリエーター層については、他の本でも書かれていることですが...
未来の歴史としては、超帝国の発生、超紛争の発生、超民主主義の発生という流れが述べられています。これが未来の可能性の中心とは思いませんが、1つの未来としては十分にありうる未来です。


未来の予測というのは実際の予測はともかくとして、未来を予測してそれに対して対応を考慮するというのは大事なことかと思います。実際に個人レベルで何が出来るのか、ということはありますが、それでも未来を考えることは大事だと思います。

この本の未来の歴史は少し極端ですが...ただし、ナノテクノロジーやクローン技術などの科学から21世紀に行われることの予測は興味深かったです。クラークの法則を思い出しました。


他人の書評を読んで:

http://urag.exblog.jp/7567538/
日本ではこんにち、「個人主義ではだめなのではないか」という議論が高まりつつあるくらいに「個人主義が蔓延している」かのように受け止められているのに、アタリにとってはそれでも日本には個人主義や自由が足りないように見えるらしい。『事典』において「個人主義」は「西洋文明、誌上、そして民主主義の基本原理」(171頁)と説明されています。日本の個人主義は中途半端であり、日本の民主主義は未熟である、とアタリは見ているのでしょう。


個人主義というのが何かによりますが、現代型の個人主義は非常に進んできつつあると思います。また、個人主義がダメというのはコンセンサスがあったとしても、新しいスキームはまだ見つかっていない以上、あまり意味がないでしょう。一方、民主主義は官僚主義の強さのせいか、たしかに未熟ですね。歴史的もしくは思想的なアジアの政治形態の弱点でしょうか。人口が多いために、官僚機構が大きくなってしまうということが背景にあるのでしょうか?


http://www.toyokeizai.net/life/review/detail/AC/8cb393f2c028f135e2a7c4059675deea/

 歴史の法則を見出すのが前半だとすると、後半は、それらを基にした未来の予測であり、独特の概念が次々と登場する。先端的な専門能力を持ち、国境を超えて活動するクリエーター階級とも呼ばれる「超ノマド」という人々、そのノマドたちが愛好するノマド・オブジェの氾濫、さらには、個人のプライバシーが消滅するような超監視体制や自己監視体制の登場。G・オーウェルの『1984年』の21世紀版というところだろうか。そして、こうして国家の機能が市場のメカニズムに代替された後には、超帝国が登場し、さらにはそれが破裂して超紛争が生じるというシナリオである。この超紛争に代わって、超民主主義という新たな仕組みと哲学で、グローバルな世界が統治されるようにならないといけない、と結ばれている

そうそう読みながら、1984年のことが頭によぎりました(1984年は20年来のツンドクですが)、超民主主義が適切なことかどうかは分かりませんし21世紀の歴史について我々がどれだけのことをコミットしなければいけないかは分かりませんが、国境の意味の低下と各国が優秀な人材を多く受け入れようとする(マーケット化?)するというのはありそうな歴史です。実際にこの兆しはすでにいくつかの国の制度に見られますし。
posted by 山崎 真司 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年11月20日

自閉症者が語る人間関係と性

グニラ・ガーランド著
東京書籍 1800円(税別)
初版: 2007年7月(原著は2004年)


タイトルの通り、自閉症者の友情や家族関係、セクシャリティについての本です。

これまで自閉症者と会ったことはないので、なんとなく読んで見たという本ですが。
そもそも、自分はたまたま偶然に何かが出来ているだけで、ちょっとしたバランスでいろんなことができなくなったり、認識できなくなる危険性をはらんでいるとおもっています。例えば人前で自慰をすることが社会的によくないということを認識していない人も世の中にはいますが、そういう人と自分は紙一重の差ではないでしょうか。このような危うさを感じながらこの本を読みました。


一方、自閉症者というのがどのような人達かは分かりませんが、そういう人達にとって他者と関わったり、またセクシャリティにどう向き合うか、という問題を、自分にとってもリアルな、そして実はオブラートにつつまれていない分ピュアな形で提示された気がします。具体的には、他人とどう向き合うか、セクシャリティとは何か、という問題を正面から考えることができました。

またそれを考えることで、自閉症者と違う社会的な暗黙の縛り(性による振る舞いの暗黙の期待?)を強く感じることになりました。


 

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愚者の道

中村うさぎ著
角川文庫 438円(税別)
初版: 2008年2月(単行本は2005年12月)


買い物の女王として知られる(元?)ライトノベル作家でエッセイストの中村うさぎのエッセイです。買い物依存症→ホストにハマる→美容整形→デリヘル体験といった経験をして、またゲイの旦那と結婚といった経験をしているらしいですが、それらを笑い飛ばすというよりも、その裏にある苦しさというのを書き綴ったものです。


ナルシシズムというのは、決して満たされることのない穴のあいたバケツに水を注ぐこと。そして水を注いでも満たされないのはバケツに穴があるせいでなく、自分に欠落があるのだと考え、さらに狂おしく水を注ぐ、ということだそうです。

このナルシシズム論というのは同意はできませんが、なかなか興味深かったです。


また、他者からの”赦し”という視点で、いわゆる承認欲求を捉えています。普通の人は、ここまで度を越した”赦し”への渇望はないでしょうが、女性故の苦しさでしょうか。


書いている多くのことに同意ができず、谷底に落ちてしまった感満載の独白の本でしたが、背景にある想いについては共感できることも多く自分も(そしておそらくほとんどの人が)崖っぷちにいるんだなぁ、と感じる本でした。

 
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2008年10月22日

消費伝染病「アフルエンザ」 なぜそんなに「物」を買うのか

ジョン・デ・グラーフ他著
日本教文社 1905円(税別)
初版: 2004年11月

いわゆるアメリカの大量消費社会に対する警鐘の本です。読んでいると、ブランドなんか、いらないを若干思い出します。
要は「持続可能な生活ではない、過剰消費はダメでしょ?考え直しませんか」という一言で言うことができます。
モノを買う→モノが多い→広い家→労働が増える
といった”生活レベルを維持する”労働と、その背景にある大量消費(実際には消費じゃなくて購入ですが)は、果たして幸せになったのか、といった問いかけをしています。
いわゆる、「買い物が楽しい」、「ムダにショッピングモールに行く」といった私のような生活スタイルを改めて、「持つこと」でなく「知ること」や「信じること」に価値を置き、より持続可能な生活を目指す必要があります。
この「持つこと」の背景には刺激的生活を求めるということでしょうか。実際には刺激的生活でなく、社会に対して何かを行うことを重視しましょう、といったことがポイントでしょうか。


なんというか、とても私向き(病気なので)な本でした。


ちょっとしたリンク:

http://www.kyobunsha.co.jp/shopping/books/ISBN4-531-08141-2.html
こんな本です。メーカーさんのサイトですね。


他人の感想を読んで:

http://blog.livedoor.jp/takohan_takumi/archives/50877392.html
注意。この本は自分自身の消費行動にある程度の哲学を持っている人でないと理解できない内容になっています。一ヶ月に収入の10%以上の使途不明金がある方は、消費行動を考え直した上で読むことをおススメします。

哲学は要らないと思いますが(むしろ消費哲学持ってていいの?)、消費行動は考え直します。実際にはその表層でなく、「持つこと」から「知ること」や「信じること」へのシフトや、「買う行動」から「社会への行動」へのシフトが必要であると読みました。


http://kaichou0.blog8.fc2.com/blog-entry-29.html

人はどうして物をどんどん買ってしまうのかとか、アメリカのショッピング事情とか、それを放送した特集番組の内容などが書いてありました。自分にも当てはまる例などがあったりしてびっくりしたし。まさかアメリカはこれほどすごいのかと思いました。日本よりはすごいとは思ってたけれど。まだ、されっとしか読んでないですけど、これはぜひ読むべきだと思います。
すごく素直な感想でこの通りな本だと思います。他人事(「アメリカすごいよ!!」)という気持ちと、反省の気持ちと合い半ばしながら読む本といったところでしょうか。
posted by 山崎 真司 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年09月21日

ファッションの文化社会学

ジョアン・フィンケルシュタイン著
せりか書房 2400円(税別)
初版: 2007年9月(原書は1966年)

この本はファッション史でなく、ファッション論です。原題は”After a Fashion”です。”ファッションの向こうに”といった意味と、”どうにかこうにか”という慣用句のダブルミーニング(ひっかけ)となっています。
ファッション史は以前読んだことがあるんですが、ファッション論なんて初めてです。


というわけで、読んだ結果、思ったことです。ちなみに、これは書いてあることそのままではなくて、そこから考えたことも少しだけ含みます。よって書評ではないです。


私が読んだところで、装飾というのはファッションの一形態(表面)としては
・他人からの賞賛
・他人に対する優越感
・他人からの欲望や嫉妬されること
といったことを目的としています。

ちなみにファッションというのは
・広告イメージ(空想や理想)と服そのもの(現実)
・身体を隠しつつも、目立ちたい
・流行に乗るという同質化を図りながら、他人との差異化を図る
といった背反的なバランスを取るもので、このバランスを取るサイクルがファッションといえます。

また、記号としてファッションを見ると、ファッションは分かる人だけが分かるという記号体系です。これによって、ファッションはこの記号空間を共有しているかどうかを見分けたり、一方で同じ記号空間を共有していない人を排除するといったものとなります。
これは機能的には社会的なコミュニティ間の壁になると言えます。つまり、ファッションは、所属しているコミュニティ(=記号空間)を主張する言語である、といえます。そうやって考えると、”ファッションの向こうに”あるものは、ファッションとは、装飾や服装だけでなく、所属階級や喋り方やタバコの吸い方や聴く音楽も全て含んだものであるということでしょうか。
そういえば「服はなぜ音楽を必要とするのか?」といったタイトルの本がありましたが、このタイトルについては、自明ということになるでしょうか。


(ちなみに著者名のフィンケルシュタインを見ると、ダーマ&グレッグがどうにも頭に...)


他人の書評を読んで:

http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-830.html
これ、書評ではありませんが...
 私たちは自己満足がほしい存在である。賞賛や評価はなおさら与えてほしい。もしだれも与えてくれないとしても、ファッション雑誌が称賛し評価する服やファッションで着飾れば、私も評価され称賛された存在になれる。私は賞賛や評価を、ファッションという代替物で補給するのである。
 私たちはなぜこうも社会や世間から賞賛され、評価されなければならないのだろう。いったいだれが仕組んだんだろう。いったいだれが仕掛け人なのか。
賞賛が欲しいというのは、ファッションに限らないとは思いますが。ファッション自体は変化を求めるもので、これが無間地獄となります。この背景は、拡大を基本とする資本主義の呪縛なのでしょうか、変化を求める動物の性なのでしょうか。
この本によると、社会移動性が高まったために、
ファッションに誘惑されやすい人は「不安定な階級」、とりわけ経済的に自立する手段を奪われた女性たちだった。彼女たちがよりよいと思う人々のファッションやスタイルを模倣するのも、不安定な状況からぬけ出したいからだということになる。
ということです。


 

posted by 山崎 真司 at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年06月23日

戦術と指揮

松村劭著
PHP文庫 705円(税別)
初版: 2006年3月(元は1995年5月)

オペレーショナル・インテリジェンス 意思決定のための作戦情報理論を書いた松村氏の本です。サブタイトルが「命令の与え方・集団の動かし方」となっています。


この本のタイトルとサブタイトルから想像される内容は、戦略と戦術の差異や、ビジネスにおける指揮といったところでしょうか。


さて、本を読んだ感想ですが....「これ、ビジネス書としては読めない」といったところでしょうか。実際に軍隊の戦術レベル(作戦レベル?)の原則が、本の1/3位を占めていて、2/3くらいは、戦闘のシミュレーションです。昔流行ったゲームブックの戦争版といったところでしょうか?ただ、それぞれの局面での回答については松村氏が勝手に書いたもので、真実というよりも、松村氏の想いがぶつけられたものといった印象です。


ところどころでビジネスへの応用的な記述がありますが、取ってつけた感があります。


うーん、この本はビジネス書として読むよりも、シミュレーションゲームマニア向けの本なんでしょうか...


アンダーラインを引いたところを書くと、

命令について
・第一は、指針は指揮官みずからの責任・哲学において一方的に決定するものであるから、自分の個性に合わないことをのべないことである。
・第二は、形容詞、副詞をつかわないことである。これは参謀活動に、その解釈をめぐって混乱をきたす元凶になる。
・第三は、指針を決定するにあたって背景となった、指揮官の状況認識を、正確に説明することである。
(以下略)


およそ戦場において、いかに任務のためとはいえ、部下の危急を見すごした指揮官は二度と戦闘できない。つぎの戦闘から部下は積極的に行動しなくなる。見すてられる恐怖がつねにつきまとうからだ。同様に、部下の遺体も、大切にしなくてはならない。


ロンメルの言葉
「作戦はあくまで大胆なるべし、ただし、ばくちと大胆な作戦とは異なる。大胆な作戦とは、最悪の事態において対処できる予備をもつか、代替案があることである」

他人の書評を読んで:
http://namuraya.hp.infoseek.co.jp/dokusho70.html#0346
そもそも軍隊と企業では組織の形態が全く異なっているため、企業において本書に書かれてあることを実践するのは難しいと感じたのである。

このあたりは完全に同意です。


また、

軍隊といえば、私が入社した頃の社長が、印象深い話をしていたのを思い出した。その先代の社長は軍隊出身だったのだが、戦場では言われたことをいちいちメモをとる時間などなく、とにかく徹底して暗記しなければならなかったとのこと。そのせいか、とにかく記憶力がよく、部下が提出した数字などを部下以上によく覚えていたそうである。よく「忘れる為にメモを取る」というメモ術のことを耳にするが、忘れていいことはメモに残しておき、本当に必要なことはその場で覚えてしまうというのが真髄であろう。要は、覚えるべきこととメモにするべきことを、使い分けなければならないということである。
なるほど。この視点は参考になります。私は記憶力が悪い(昔は良かったと思う)ので、なんでもメモしまくるのですが、戦場と考えたら無理ですね...なるほど。


http://wallbreak.at.webry.info/200604/article_4.html


この一番、具体的な戦術の入門書ですが、
 類書がほとんどありません。
 シミュレーションは川の渡り方など非常に具体的です。
 そして、ここにも大原則がしっかりとありました。
 一問一答形式の後、
 実際の戦争の仮想シミュレーションになりますが、
 こちらはさらに情報量が多くなって、難問ぞろいという感じです。

たしかにその通りですが...純粋に戦闘にしか使えない気がします。昔のボードゲームのシミュレーションゲームのデザインには参考になるんでしょうが...


http://www.teamrenzan.com/archives/writer/alacarte/matsumuraphp.html

それは「罠と反撃の原則」である。時間と空間を使うのが戦いであるならば時間を使って罠(落とし穴や決壊用のダム)を使えば戦力が劣る場合でも敵を撃滅する事が出来る。時間と空間の戦いの場合、時間がより重要である。空間は後に奪回できるが時間は取り戻せない。しかし、罠を準備する事によって時間の貯蓄≠ェ可能となる。反撃の訓練を併せて行えば更に効果は上がるだろう。ただ、在庫が尽きればこの方法は使えない。
こちらの方のブログはいわゆるビジネス書系の方ではないのでしょうが。その分、この主張は面白いです。時間と空間の関係と、時間の方が大事というのは理解していますが、罠を使って時間を稼ぐというのは気づきませんでした。
また、こちらのブログでは、”戦術と指揮”で主張している戦術のエッセンスを分かりやすく解説しています。戦術好きは、是非ご一読を。


 

posted by 山崎 真司 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年06月03日

オペレーショナル・インテリジェンス 意思決定のための作戦情報理論

松村劭著
日本経済新聞社 1700円(税別)
初版: 2006年2月


ヒト・モノ・カネとか、ヒト・モノ・カネ・情報とかいいますが(個人的にはヒト・モノ・カネ・ジカンだと思ってます)、情報はこの中で最もコントロールしやすい割には一般的にはあまり考察されていないものではないでしょうか。


一般に情報というとインフォメーションでしょうか?日本語では、そのまま情報の方が通りがいいでしょうか。加工されていない生のものは、情報でなくデータというのが一般的だと思います。では、インテリジェンスとはなんでしょうか?どうやら、インテリジェンスというのは諜報や軍事といった文脈で使う言葉のようです。この本では、インフォメーションは生情報と、インテリジェンスは知識のような役に立つ情報というように定義してます。


この本の中のいくつかのポイントとしては、

・情報には「記録・伝達できるもの」と「記録・伝達できないもの」がある。
・現場の情報よりも権威のある間接的な情報を信じてしまう
・嫌な情報は聞きたくない

といったところでしょうか?例えば、現場にいる担当者の情報よりも、どこからか話を聞いてきた上司の情報を信じてしまったり、また現場の担当者が感じた”雰囲気”が明確でないという理由でその情報を取り上げなかったりといったことでしょうか。
蛇足かもしれませんが、ビリヤードをやっていると、ショット前に一瞬「これは外すかもしれない」という直感があることがあります。いつもと同じ手順で、フォームも正しいのに「外すかもしれない」という直感があるのです。「いや、いつも通りのフォームだし、このショットはイージーショットだ」など理性的に考えてこのままショットをすると、ほぼ外します。これなどは典型的な「記録・伝達できないもの」でしょうか。このような直感は意外と正しいのです。


また、ちょっと面白かったのは日本では「敵の出方」から動きを決めるという話です。いわゆる「柔よく剛を制す」と言いますが、これは相手に先を取らせてそこから対処をしていくという考え方です。そのことについて引用すると、

「うまい話はないか?」「隙間ビジネスの機会はどこか?」の発想は日本的なのに対し、欧米のビジネスマンの発想は、「自分のビジネス手法を受け入れさせるには、どこを突いてビジネス環境と競争相手を変化させるか?」と考えることに通じます。


ということです。よく言う、「先の先」や「後の先」といったどちらが先行するかという概念でなく、あくまでも「状況作り」をしてそこに相手を当てはめていくということでしょうか。


情報の話に戻りますと、個々の情報についてきちんと考えながら解釈を行うことは少なく、漠然と情報を扱ってしまうことがあります。また、その情報の出所を怪しいと直感的に分かっていながら、ついつい思考停止して精度の低い情報と精度の高い情報を同じように扱ってしまうことがあります。こういった思考停止することなく、情報を考えた上で使っていく、また曖昧な情報も明確な理由がないという理由で却下することなく合わせて使っていくことが必要なのでしょう。


http://bookguidebywingback.air-nifty.com/military/2006/07/post_9075.html

どんな手段で、どのようなことを意識するのか?そのインフォメーションをどのようなフィルターに通すのか?まさに作戦を立てるための理論であり、個人的には、ビジネスに生かすにはそのフローチャートは難しすぎるのでは?というのが正直なところ。それとも、1部上場企業はここまでやっているのだろうか。
いや、1部上場企業でもほとんどやってないと思いますが....というか、この本を読んで私はここまで”オペレーショナル・インテリジェンス”という体系としてそのまま学ぼうという意識がなかったです。そうやって考えると、作者の知識のインプットという点ではまだまだ甘い読みだったかもしれません。
 
 
posted by 山崎 真司 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般

2008年05月19日

普通の家族がいちばん怖い

岩村暢子著
新潮社 1500円(税別)
初版: 2007年10月

 

モンスターペアレンツ
最近の若い者は...
深夜のゲーセンで子供をほっといてゲームする両親

果たして、この原因はなんなのでしょうか?


女性の社会進出の結果、男女平等が進んだせい?
制限する性である父性が、(父親の)威厳と共に低下した?
核家族化により、家族の個人化が進んだから?


その原因については分かりませんが、現象はこの本から痛いほどよく分かります。この本は、クリスマスと正月の食生活や飾りつけなどを223世帯へリサーチ(アンケートと聞き取り)した結果をまとめたものです。

帯には、養老孟司氏「S.キングよりも怖かった」、上野千鶴子氏「『飽食』の現実に仰天」とありますが、まさにそんな感じです。ともかく真実の積み重ねが、これまでボンヤリ気づいていた現実を直視させられます。


プロローグからしてイカしてます。

「クリスマスが近づくと、窓辺にツリーやサンタ人形をたくさん飾ることにしている」
 こう語る主婦(44歳)がいる。サンタ人形が背負っている袋の中には、この家の子供たちが自分の欲しいものを書いた、サンタ宛の手紙が入っているそうだ。

素敵な話です。ちなみに子供の年齢は18歳と14歳だそうです...子供が本当に信じているかどうかはともかく、親が「子供が信じていて欲しい」と思っていることは間違っていません。


正月のおせち料理については、ちょろんと買ってきて子供に見せておくものと考えている母親が多いです。見せるというのは、「こういうものがあるんだ」と子供が感じてくれればオッケーで、かと言って食べさせるのは「強要になるからダメ」ということです。

クリスマス飾りや食事については「私が楽しい」、「私が楽」がキーワードになっているようです。


”お客様”と、「私は」視点というキーワードをしみじみ感じながら、この本の写真(元旦も普段通りに「うどん、パン、餡まん、おにぎり」の朝食等)を見ると、日本の将来と一方で(あるか分からない)自分の家庭に(暗澹たる)思いを馳せてしまいます。


他人の感想を読んで:

http://pub.ne.jp/sazanami22/?entry_id=1209683
いつまでもお客様でいたい気持ち、自分中心の価値観。そして真実を正面から見据える勇気がなく、ノリで繋がる家族の姿が透けて見える。
本当にノリで繋がる家族、という言葉が適切でしょうか。家族といっても他人である、とは理性では思っていますが、最終的には信じています、しかし、そういうものはとっくの昔に幻想になっているんですね。


http://mojopower.blog.so-net.ne.jp/2007-12-23

 PS.amazonのカスタマーレビューでは軒並み最低の評価です。
 彼らの意見も間違っているとは思いません。同じような感想は読み始めた時にボクも感じましたから。しかし、著者が社名を明確にしている以上、著者への批判がひいては会社への批判になりうるのは覚悟の上のはず。それでもあえてリスクを背負ってまでも導き出さねばならなかった結論だからこそ、恐ろしいのです。

amazonのカスタマーレビューは読んでませんでしたが。私も、この本は無理矢理、結論に持っていくような本ではないと思いました。まさに養老氏が書くようにスティーブン・キング的に怖さを示唆した本と思いました。


http://d.hatena.ne.jp/funarin/20080223/1203792043

読んでみて、「これはちょっと極端な例なのでは?」とここに登場する親たちの「やり方」に違和感を覚える一方で、自分も彼女たちと同じような「感覚」を確かに持っていると感じた。
しかし、同じような「感覚」を持っていても、同じような「行動」をするとは限らない。

なるほど。読みながら、実は同じ「感覚」については感じていました。うちの両親まではおせち料理を(家ではほとんど作らないですが)実家でみんなで作ってましたが、それ以降の世代ではおせち料理の作成にも加わらないし、それぞれについては一定の合理性を感じながら読んでいました。一方で、私はフナリンさんのように”同じような「行動」をするとは限らない”といえないところに、自分も含めた恐怖があるな、と感じました。


http://blog.tatsuru.com/2007/11/01_0936.php

こちらのページを読んで(って、内田樹先生のページですが)、岩村さんの他の本もとても読んでみたくなりました。
そして、

年収や学歴や特技など外形的・数値的なものしか記号的には役に立たない。
記号の条件は「誰が見てもすぐにそれとわかる」ということだからである。
「どこでも寝られる」とか「何でも食べられる」とか「誰ともすぐ友だちになれる」とか「相手の気持ちを配慮できる」というような資質は外形的には無徴候であるから、記号的には役に立たない。
だから、そのような能力の開発には現代の家族たちは誰も資源を投じない。
悲しい時代である。


相変わらず鋭い意見ですね(←私、何様)。なるほど、クリスマスの電飾については気になっていたのですが、電飾や「うちの子にはXXさせている」ということは外的なものへの資源配分ということなのですね...「モノより思い出」というのも、「やってあげた」ことと、「写真」という思い出をあげるということでしょうか。

posted by 山崎 真司 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会一般