岩村暢子著
新潮社 1500円(税別)
初版: 2007年10月
モンスターペアレンツ
最近の若い者は...
深夜のゲーセンで子供をほっといてゲームする両親
果たして、この原因はなんなのでしょうか?
女性の社会進出の結果、男女平等が進んだせい?
制限する性である父性が、(父親の)威厳と共に低下した?
核家族化により、家族の個人化が進んだから?
その原因については分かりませんが、現象はこの本から痛いほどよく分かります。この本は、クリスマスと正月の食生活や飾りつけなどを223世帯へリサーチ(アンケートと聞き取り)した結果をまとめたものです。
帯には、養老孟司氏「S.キングよりも怖かった」、上野千鶴子氏「『飽食』の現実に仰天」とありますが、まさにそんな感じです。ともかく真実の積み重ねが、これまでボンヤリ気づいていた現実を直視させられます。
プロローグからしてイカしてます。
「クリスマスが近づくと、窓辺にツリーやサンタ人形をたくさん飾ることにしている」
こう語る主婦(44歳)がいる。サンタ人形が背負っている袋の中には、この家の子供たちが自分の欲しいものを書いた、サンタ宛の手紙が入っているそうだ。
素敵な話です。ちなみに子供の年齢は18歳と14歳だそうです...子供が本当に信じているかどうかはともかく、親が「子供が信じていて欲しい」と思っていることは間違っていません。
正月のおせち料理については、ちょろんと買ってきて子供に見せておくものと考えている母親が多いです。見せるというのは、「こういうものがあるんだ」と子供が感じてくれればオッケーで、かと言って食べさせるのは「強要になるからダメ」ということです。
クリスマス飾りや食事については「私が楽しい」、「私が楽」がキーワードになっているようです。
”お客様”と、「私は」視点というキーワードをしみじみ感じながら、この本の写真(元旦も普段通りに「うどん、パン、餡まん、おにぎり」の朝食等)を見ると、日本の将来と一方で(あるか分からない)自分の家庭に(暗澹たる)思いを馳せてしまいます。
他人の感想を読んで:
http://pub.ne.jp/sazanami22/?entry_id=1209683いつまでもお客様でいたい気持ち、自分中心の価値観。そして真実を正面から見据える勇気がなく、ノリで繋がる家族の姿が透けて見える。本当にノリで繋がる家族、という言葉が適切でしょうか。家族といっても他人である、とは理性では思っていますが、最終的には信じています、しかし、そういうものはとっくの昔に幻想になっているんですね。
http://mojopower.blog.so-net.ne.jp/2007-12-23
PS.amazonのカスタマーレビューでは軒並み最低の評価です。
彼らの意見も間違っているとは思いません。同じような感想は読み始めた時にボクも感じましたから。しかし、著者が社名を明確にしている以上、著者への批判がひいては会社への批判になりうるのは覚悟の上のはず。それでもあえてリスクを背負ってまでも導き出さねばならなかった結論だからこそ、恐ろしいのです。
amazonのカスタマーレビューは読んでませんでしたが。私も、この本は無理矢理、結論に持っていくような本ではないと思いました。まさに養老氏が書くようにスティーブン・キング的に怖さを示唆した本と思いました。
http://d.hatena.ne.jp/funarin/20080223/1203792043
読んでみて、「これはちょっと極端な例なのでは?」とここに登場する親たちの「やり方」に違和感を覚える一方で、自分も彼女たちと同じような「感覚」を確かに持っていると感じた。
しかし、同じような「感覚」を持っていても、同じような「行動」をするとは限らない。
なるほど。読みながら、実は同じ「感覚」については感じていました。うちの両親まではおせち料理を(家ではほとんど作らないですが)実家でみんなで作ってましたが、それ以降の世代ではおせち料理の作成にも加わらないし、それぞれについては一定の合理性を感じながら読んでいました。一方で、私はフナリンさんのように”同じような「行動」をするとは限らない”といえないところに、自分も含めた恐怖があるな、と感じました。
http://blog.tatsuru.com/2007/11/01_0936.php
こちらのページを読んで(って、内田樹先生のページですが)、岩村さんの他の本もとても読んでみたくなりました。
そして、
年収や学歴や特技など外形的・数値的なものしか記号的には役に立たない。
記号の条件は「誰が見てもすぐにそれとわかる」ということだからである。
「どこでも寝られる」とか「何でも食べられる」とか「誰ともすぐ友だちになれる」とか「相手の気持ちを配慮できる」というような資質は外形的には無徴候であるから、記号的には役に立たない。
だから、そのような能力の開発には現代の家族たちは誰も資源を投じない。
悲しい時代である。
相変わらず鋭い意見ですね(←私、何様)。なるほど、クリスマスの電飾については気になっていたのですが、電飾や「うちの子にはXXさせている」ということは外的なものへの資源配分ということなのですね...「モノより思い出」というのも、「やってあげた」ことと、「写真」という思い出をあげるということでしょうか。
posted by 山崎 真司 at 20:44|
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