昨日は読書会関係の友人のおうちで忘年会でした。
名古屋アウトプット勉強会の次回の課題図書がマイケル・ポーターの競争戦略ということで、本があったのでチラ見したのですが...新鮮さがありません。まぁ、この手の本はよく読んでいるし、そもそもポーターの本もたいがい読んでるのであえてこの本を読む必要がないというのもあります...
そこで、他のメンバー何人かとこの本を読むことに関してお話をしてました。僕は以前は、この「マイケル・ポーターの競争戦略」のような解説書を読むならば、マイケル・ポーターの「競争の戦略」を読めばいいじゃん、と思っていたのですが、友人たちと話しているうちに少し意見が変わって来ました。たしかに、無理してポーターの本(原典)を読むよりは解説書でポイントだけを知って、そこからポーターの本を読むなり、もしくは読まないなりという選択をしたほうがいいと思うのです。
ちなみに「素直にポーター読んどけ」という意見に対して、友人の一人が「ポーター読むくらいなら、孫子を読んどけ」というツッコミに対して、別の友人が「ポーター読むような人は、孫子は読んでるに決まってる」というツッコミを入れたのがとても印象的でした。
たしかに、ポーターを読むような人は、ドラッカーもコトラーも孫子も読んでいそうです。ビジネス書をたくさん読んでいる人はやっぱり、こうなるんでしょうね..「新しい本読むのもいいけど、古典を読め」ということはよく言われますが、たしかにポーター読んでそうな人は古典も読んでいそうです。
僕の周りを見ていると、ビジネス書だけでなく他の分野の読者も同じようなことが言えそうです。「うわっ、この人読書家だなー」という人は、やっぱり、レヴィ・ストロースも読んでいれば三島由紀夫もルソーも読んでるという感じがします。
2012年12月10日
2012年10月19日
ノーカラーの時代
この記事は書評ではありません。
最近、人と「どうして仕事は面白くないのか?」という答えのない問いかけをしてました。別に僕が仕事面白くないというわけではないです。しかし、なぜお金をもらわないと土日出勤しないのか仕組みがわからなくていろいろ考えてました。また、ワーク・シフトを読んでいてふと思ったことをまとめてみました。お前、ティモシー・フェリスの影響受けすぎだろ、というツッコミは甘んじて受けます..^^;;
◯ブルーカラーの時代
およそ産業革命から1970年くらい(ベビーブーマーが社会人になるまで)まででしょうか?
第二次産業の生産手段としての人ということですね。社会化されたことが大事で、時間通りに会社に来て、言われた通りのことをきちんとすること。いわゆる超高機能産業用ロボット(と書くと身も蓋もないけど、超高機能なんで許して)としての役割を求められます。
右向け右や、前へならえを小学校で練習するのはなんのためでしょうか?現代の日本では、このブルーカラーとしての能力が訓練によって養われるというイメージがないかもしれませんが、これは社会システムの中にブルーカラー訓練が完全に組み込まれているというためです。
時間通りにキッチリ場所に来る、言われたことをとりあえず繰り返す、権力に従う、といったことをキッチリ行えるというのは、近代社会の市民としてあるべき姿と言えます(上から見て)
参考文献:
ミシェル・フーコー「監獄の誕生」
◯ホワイトカラーの時代
およそ1970年代からはじまって今もまだ続いています。
これはドラッカーの「マネジメント」や「経営者の条件」で述べられているような企業人をイメージしています。他人から指示されなくても自分で仕事を創りだす人、自分で(作業でなく)判断をする人のことです。
ただし、先進国ではほとんどの人がホワイトカラーになった結果として、以前のような生産的な仕事をする人というわけではなく、普通の仕事をする人になった。つまり、ホワイトカラー自体は競争優位の源泉でもなんでもなくなってしまったということがあります。普通の判断なら、先進国の企業人のほとんどが判断できるようになってしまったんですね。逆にブルーカラーの人にもこのホワイトカラー的能力が求められるようになったというのはトヨタ生産方式に代表されるようなモデルでありますが、これは別の話。
そういえば、日本の学校教育が詰め込み式と言われたり、優秀な人が頭を使えない(例えば、正しいことを書いても、その学年で習ってないとバツにするとか)が何故かという話がありますが。これは東大を頂点とした「言われたことを素早くこなす官僚を育てる」というホワイトカラーが目的となっているからと考えられます。ある枠内で、自分で考えて、素早く判断をこなすというものがこのホワイトカラーの特徴です。日本の教育が「どうしてこうなってるの?」と理解できない人は、「言われたことを素早く判断する官僚を育てるのが目的で、頭のいい人を育てたりみんなの頭をよくすることが目的じゃないから」と考えると納得できるんじゃないでしょうか?
参考文献:
ピーター・ドラッカー「経営者の条件」
◯ノーカラーの時代
いつからメジャーになるのか不明ですが。グローバル化(の結果)とコンピュータの進化が、ホワイトカラーの価値を急速に毀損しつつあるので、既にノーカラーの重要性が高まっているでしょう。
ホワイトカラーというのは既存の枠内で判断する人という意味ですが、ノーカラーは自分で仕事の枠を作って、自分がいなくても周るようにすることが出来る人です。仕事自体の消去、自動化、ルーチン化が図れる人です。こう書くと「いやいや、ドラッカーが表現してるのはまさにそういう人」というかもしれませんが、今の実際のホワイトカラーとの差は明確じゃないでしょうか?
このことは、仕事に対する内発的動機づけや仕事に対する自己効力感といったこととも関係してきます。自分が主体的に仕事をコントロールできることで、モチベーションやメンタル的にも有効で、より生産的な仕事を作っていくことが可能です。ただし、これまでのルールとの対立が起こりやすいので、可能な組織と不可能な組織がありますね。
ちなみにノーカラーのイメージは、「僕はいなくても、とりあえず仕事回るようにしといたから」といって、何か緊急の時だけ電話をもらうといってTシャツ姿(=襟なし)で外で遊んでるといった感じですね。外で遊んでいるというのは極端な例ですが、これを目指した仕組み作りの能力とその発揮がノーカラーのポイントです。
「そんなの夢だろ」、「みんながそれを出来るわけない」という批判については、後者だけ受け付けます。しかし、今後の働き方は、このノーカラー能力をどれだけ身に付けることができるかが、企業人としての競争優位につながるのではないかと考えています。
参考文献:
ティモシー・フェリス「”週4時間”だけ働く。」
リンダ・グラットン「ワーク・シフト」
最近、人と「どうして仕事は面白くないのか?」という答えのない問いかけをしてました。別に僕が仕事面白くないというわけではないです。しかし、なぜお金をもらわないと土日出勤しないのか仕組みがわからなくていろいろ考えてました。また、ワーク・シフトを読んでいてふと思ったことをまとめてみました。お前、ティモシー・フェリスの影響受けすぎだろ、というツッコミは甘んじて受けます..^^;;
◯ブルーカラーの時代
およそ産業革命から1970年くらい(ベビーブーマーが社会人になるまで)まででしょうか?
第二次産業の生産手段としての人ということですね。社会化されたことが大事で、時間通りに会社に来て、言われた通りのことをきちんとすること。いわゆる超高機能産業用ロボット(と書くと身も蓋もないけど、超高機能なんで許して)としての役割を求められます。
右向け右や、前へならえを小学校で練習するのはなんのためでしょうか?現代の日本では、このブルーカラーとしての能力が訓練によって養われるというイメージがないかもしれませんが、これは社会システムの中にブルーカラー訓練が完全に組み込まれているというためです。
時間通りにキッチリ場所に来る、言われたことをとりあえず繰り返す、権力に従う、といったことをキッチリ行えるというのは、近代社会の市民としてあるべき姿と言えます(上から見て)
参考文献:
ミシェル・フーコー「監獄の誕生」
◯ホワイトカラーの時代
およそ1970年代からはじまって今もまだ続いています。
これはドラッカーの「マネジメント」や「経営者の条件」で述べられているような企業人をイメージしています。他人から指示されなくても自分で仕事を創りだす人、自分で(作業でなく)判断をする人のことです。
ただし、先進国ではほとんどの人がホワイトカラーになった結果として、以前のような生産的な仕事をする人というわけではなく、普通の仕事をする人になった。つまり、ホワイトカラー自体は競争優位の源泉でもなんでもなくなってしまったということがあります。普通の判断なら、先進国の企業人のほとんどが判断できるようになってしまったんですね。逆にブルーカラーの人にもこのホワイトカラー的能力が求められるようになったというのはトヨタ生産方式に代表されるようなモデルでありますが、これは別の話。
そういえば、日本の学校教育が詰め込み式と言われたり、優秀な人が頭を使えない(例えば、正しいことを書いても、その学年で習ってないとバツにするとか)が何故かという話がありますが。これは東大を頂点とした「言われたことを素早くこなす官僚を育てる」というホワイトカラーが目的となっているからと考えられます。ある枠内で、自分で考えて、素早く判断をこなすというものがこのホワイトカラーの特徴です。日本の教育が「どうしてこうなってるの?」と理解できない人は、「言われたことを素早く判断する官僚を育てるのが目的で、頭のいい人を育てたりみんなの頭をよくすることが目的じゃないから」と考えると納得できるんじゃないでしょうか?
参考文献:
ピーター・ドラッカー「経営者の条件」
◯ノーカラーの時代
いつからメジャーになるのか不明ですが。グローバル化(の結果)とコンピュータの進化が、ホワイトカラーの価値を急速に毀損しつつあるので、既にノーカラーの重要性が高まっているでしょう。
ホワイトカラーというのは既存の枠内で判断する人という意味ですが、ノーカラーは自分で仕事の枠を作って、自分がいなくても周るようにすることが出来る人です。仕事自体の消去、自動化、ルーチン化が図れる人です。こう書くと「いやいや、ドラッカーが表現してるのはまさにそういう人」というかもしれませんが、今の実際のホワイトカラーとの差は明確じゃないでしょうか?
このことは、仕事に対する内発的動機づけや仕事に対する自己効力感といったこととも関係してきます。自分が主体的に仕事をコントロールできることで、モチベーションやメンタル的にも有効で、より生産的な仕事を作っていくことが可能です。ただし、これまでのルールとの対立が起こりやすいので、可能な組織と不可能な組織がありますね。
ちなみにノーカラーのイメージは、「僕はいなくても、とりあえず仕事回るようにしといたから」といって、何か緊急の時だけ電話をもらうといってTシャツ姿(=襟なし)で外で遊んでるといった感じですね。外で遊んでいるというのは極端な例ですが、これを目指した仕組み作りの能力とその発揮がノーカラーのポイントです。
「そんなの夢だろ」、「みんながそれを出来るわけない」という批判については、後者だけ受け付けます。しかし、今後の働き方は、このノーカラー能力をどれだけ身に付けることができるかが、企業人としての競争優位につながるのではないかと考えています。
参考文献:
ティモシー・フェリス「”週4時間”だけ働く。」
リンダ・グラットン「ワーク・シフト」
2012年03月16日
悪いけどカント読破してるんでw
先程、友人宅に言って話してたネタがこれです。
流行ってますね^^;; 元は「村上春樹は易しい」という理由にあげたのが、この
「悪いけどカント読破してるんでw」
です。
これは、ネタとも言えますが、一方で僕にはかなり高い評価です。カントを読破なんて..
ちなみに東野圭吾を読破してるとか、ローダン・シリーズを全部読んでるなんてのは別に評価も何もしないのですが、カント全集を読破とか、ヘーゲル全集を読破してるとか、アリストテレス全集を読破しているというと、ちょっと尋常じゃない印象があります。
「悪いけどカント読破してるんでw」
に対して、「読破っていっても理解してないよね」という批判はありますが....たとえ理解できずに一読しただけでも、カントを読破してるというのには、何か狂気のようなものが必要だと思ってます。
私自身は読了した全集は何もないのですが、大思想家の全集を読了するという人はやはり高く評価しないといけないんじゃないかと思ってます。
#あ、でもプラトン全集なら楽しんで読了できると思うので、プラトン全集を読んでも高く評価しません^^;;
流行ってますね^^;; 元は「村上春樹は易しい」という理由にあげたのが、この
「悪いけどカント読破してるんでw」
です。
これは、ネタとも言えますが、一方で僕にはかなり高い評価です。カントを読破なんて..
ちなみに東野圭吾を読破してるとか、ローダン・シリーズを全部読んでるなんてのは別に評価も何もしないのですが、カント全集を読破とか、ヘーゲル全集を読破してるとか、アリストテレス全集を読破しているというと、ちょっと尋常じゃない印象があります。
「悪いけどカント読破してるんでw」
に対して、「読破っていっても理解してないよね」という批判はありますが....たとえ理解できずに一読しただけでも、カントを読破してるというのには、何か狂気のようなものが必要だと思ってます。
私自身は読了した全集は何もないのですが、大思想家の全集を読了するという人はやはり高く評価しないといけないんじゃないかと思ってます。
#あ、でもプラトン全集なら楽しんで読了できると思うので、プラトン全集を読んでも高く評価しません^^;;
2012年02月29日
アイデアについて
これまで書評だけを書いていたのですが、これからは考えのメモなどもここに書いていこうと思います。よろしくお願いします。
アイデアや想像性というテーマはいろいろな視点があります。
その1.
スウェーデン式アイデア・ブックという本を読んでいたら、アイデアとして出てきた最初の3つくらいは誰もが最初に思いつくということが描いてありました。たしかに、新しいものを考えるというテーマで、何かを発想しようとすると最初の3つや5つくらいはありがちなものになります。一方で、自分のアイデアに人間は固執しがちなので最初に出したものに引っ張られないように注意。
その2.
プロジェクト・ランウェイ見てたら、テーマを選ぶというものがありました。西部劇というテーマが最後に残ってました。「みんな西部劇はいやー」といっていたので残りました。そして、実際に西部劇を選んだ(というかクジで選ぶ順番が最後になった)二人は、相当考え込んでいました。しかし、実際に見ると十分なクリエイティビティのある服でした。やはり、自分がイメージしていなかったテーマなので、考えこむし難しいが、クリエイティブにならざるを得ないテーマだったようです。
その3.
「素敵な服を作ってください」
「ライトを使って何か発明をしてください」
といったことを言われてもなかなかいいアイデアは思いつきません。
ところが、
「どこかカッコ悪いところのある素敵な服を作ってください」
「ライトを使って、少し使い勝手の悪いものを発明してください」
といった形で指示をするとよりクリエイティブになります(アンビバレントが創造性を生むという論文もある)
クリエイティブになるには制約条件が必要ということはよく言われますが、アンビバレントを使うというのは非常に大きなポイントだと思います。その1のようにたくさん出さないといけない場合は、自分で制約条件をつけて、相反する形の条件にして考えます。
アイデアや想像性というテーマはいろいろな視点があります。
その1.
スウェーデン式アイデア・ブックという本を読んでいたら、アイデアとして出てきた最初の3つくらいは誰もが最初に思いつくということが描いてありました。たしかに、新しいものを考えるというテーマで、何かを発想しようとすると最初の3つや5つくらいはありがちなものになります。一方で、自分のアイデアに人間は固執しがちなので最初に出したものに引っ張られないように注意。
その2.
プロジェクト・ランウェイ見てたら、テーマを選ぶというものがありました。西部劇というテーマが最後に残ってました。「みんな西部劇はいやー」といっていたので残りました。そして、実際に西部劇を選んだ(というかクジで選ぶ順番が最後になった)二人は、相当考え込んでいました。しかし、実際に見ると十分なクリエイティビティのある服でした。やはり、自分がイメージしていなかったテーマなので、考えこむし難しいが、クリエイティブにならざるを得ないテーマだったようです。
その3.
「素敵な服を作ってください」
「ライトを使って何か発明をしてください」
といったことを言われてもなかなかいいアイデアは思いつきません。
ところが、
「どこかカッコ悪いところのある素敵な服を作ってください」
「ライトを使って、少し使い勝手の悪いものを発明してください」
といった形で指示をするとよりクリエイティブになります(アンビバレントが創造性を生むという論文もある)
クリエイティブになるには制約条件が必要ということはよく言われますが、アンビバレントを使うというのは非常に大きなポイントだと思います。その1のようにたくさん出さないといけない場合は、自分で制約条件をつけて、相反する形の条件にして考えます。
