ジュリアン・バジーニ、ジェレミー・スタンルーム編
春秋社 3200円(税別)
初版: 2006年5月(原著は2003年)
雑誌に掲載された様々な哲学者達へのインタビュー集です。哲学者達というのは、E.O.ウィルソン、リチャード・ドーキンスやアラン・ソーカルなどの非哲学者を含むからです。
この本の冒頭でも述べられていますが、本来哲学者に限らず専門家というのは大した根拠もないことを言わないものですが、このインタビューという形式によって、そのようなより”生の思想”に近いものがこの本では出てきます。
章立てとしては、「ダーウィンの遺産」、「科学」、「宗教」、「哲学と社会」、「形而上学」、「言語」というまとまりになっており、それぞれ3〜5人のインタビューからなっています。ひとつづつのインタビューは20ページ前後と読みやすく、それぞれがある課題を提出しています。
ロジャー・スクルートンの”芸術の価値”と題されたインタビューが面白かったです。スクルートンは感傷性について、「外部の対象に向かって発せられているように見えながら、実際には、それは見せかけにすぎず、その関心の真の焦点は、ほんとうは観察者自身にある、という点に存している」と述べており、これは「『なんて悲しいんでしょう』という対象に対する思考ではなく、むしろ『この対象について「なんて悲しいんでしょう」と感じているこの私の感覚は、なんて洗練された胸を打つものなんでしょう』というたぐいの[自分自身に向けられた]思考なのです」としています。
もちろん作品の鑑賞の仕方に正解はありませんが、作品を鑑賞する際に”作品に向けているはずの眼差し”が、『”作品に向けている眼差し”を織り込んだ自分』に向いているという視点は斬新でした。たしかに、メタ的な解釈を要求する作品では、このような”解釈する自分”を踏まえて解釈することがありますが、一般的な作品に”胸を打たれる”時にこのような自分への眼差しは気づきませんでした。
また、キリスト教哲学者のリチャード・スウィンバーンの”自由と悪(イービル)”については新しい気づきがありました。そもそも、神学や倫理学についてはほとんど考えたことがなかったのですが、”悪”が必要である場合がある(いわゆる”必要悪”というのでなく)ということです。これは”悪”が我々の”善”を発揮するために必要ということになります。
もともと”悪”というのは、神学において”神がいるならば、何故、悪(例えば戦争で子供が死ぬこと)があるのか”という問いに対して回答する必要があります。たしかに、”悪”とは何なのか?”悪”は必要なのか、ということに対して考えることは、”戦争”について考えることでもあります。これまで”悪”や”善”について考えたことなどありませんでしたし、”思考の焦点”として活用できそうな内容でした。