2009年11月29日

脳はいかに美を感じるか

セミール・ゼキ著
日本経済新聞社 3500円
初版: 2002年2月

 


著者はロンドンの神経生物学者(今風には脳科学者)で、視覚と脳の研究では第一人者だそうです。この本は海外では1999年に出たもので、その点では最新のものではありません。

内容は、タイトルの通りで、美術の解釈を脳がいかに行っているかというのを述べたものです。絵ひとつをとっても、解釈するためには、見て、感じて、考える、といった要素が必要になってきますが、この本では見る、感じるといったことがどのように行われているかを、脳のモジュールの機能を解説しながら述べています。


人間の目の解像度などを考えると、見るというのは能動的な行動であるというのはいえますが、実際にどのような順でどのように行っているのでしょうか?この本では、V1〜V5という視覚野によって、それぞれ”見ること”、”動いているものを見ること”、”色の把握”などが別々のモジュールであることが述べられています。

また、直線に反応する神経や、その直線も斜めの線や水平の線に反応する神経があるといったことが述べられます。


この本は認知心理学でもコンピュータサイエンスの本でもありませんが、実際に読んでいると絵を見ることを通して、人間はどのように見るのかということを考えさせられるものです。たとえば、印象派のピサロやルノワールなどのエッジが点描になっていて曖昧な絵を見ながら人間は対象をどのように区別するのか、モネのチャリングクロス橋やルーアン大聖堂のように対象がほとんど埋もれたようなコントラストのものをどのように認識するか、これらは無意識でやっていますが、たとえばコンピュータにやらせようとすると至難です。

これはいったいどのように行っているのでしょうか?また、このような曖昧に絵を描くことが美とどのようにかかわるのでしょうか?残念ながら本には答えはありませんが、このような曖昧さは、脳には直線を感じる神経があることから、美を感じることに関係がありそうなことについては言えそうです。


また、絵を解釈する時もたとえば、マグリットの絵の不自然さ(←これはこの本でも解析できていない)やピカソのキュービズム的な絵はどのような理解をしているのか(高次の解釈でなく、視覚野というレベルで)といったことや、モダンアートやキネティックアートが特定の視覚野にのみ訴えるミニマリズム的なアートであるということが脳の機能から述べることもできます。


他の方の書評を読んで:

 
http://summerycolors.blog64.fc2.com/blog-entry-170.html

けれども、この受信情報から、どう感じるかにいたるところはまだわかっていません。
それでも、私は全く理解ができずにいた芸術について、受信情報の点からヒントをもらうことができたのがおもしろかったです。


この本を読んだきっかけが某所の読書会の課題本だったということもあるので、ある意味戦友の方のブログです。
 
この感想はまったくおなじで、この本は答えを述べているのでなく一緒に考えさせられるという本です。また、芸術の見方というのは、たくさん見ることである時から”見える”ようになると思っているのですが、どのように行われているかが少しだけ理解することができました。ほんの少しですが。


http://norikoosum.exblog.jp/9279231/


さて、本書第4章で、ゼキ博士はフェルメールの絵画の持つ不思議な「心理学的な力」に着目している。『ヴァージナルの前に立つ女性』『楽譜を持つ紳士と少女』『音楽のレッスン』など、鑑賞者は誰かの部屋を覗き見しているような感覚に陥る。題材自体は、レンブラントなどにも扱われた日常生活であり、フェルメール独自のものではない。にもかかわらず、「心理的な力」があったからこそ、フェルメールの絵画は「人を惹きつけ、人の感情をかきたてる」とゼキ博士は考える。

では、そのような「心理的な力」とはどのようにして生まれているのか? ゼキ博士はその答えを、「曖昧さから生まれる恒常性」に求めている。『音楽のレッスン』には、ヴァージナルを弾いているらしい後ろ姿の女性の横に、男性がたたずんでいる。「この二人の間に何らかの関係があることは否定できない。しかしながら、男性は女性の夫なのか恋人なのか求婚者なのか友人なのか」、その二人の間でどんな会話が交わされているのか、鑑賞者の心にさまざまな可能性が浮かぶ。つまり、「フェルメールの作品には、脳の中に蓄積されている過去の出来事の記憶の中から多くのものを呼び起こす力が含まれている」のである。
 
個人的にフェルメールは奇麗だがレンブラントやターナーと同様であり、そこから突き抜けてはいないと思っていましたが、読書会で話している時に上で書かれているような曖昧さや”人を描いている”点や”さまざまな謎”がフェルメールの魅力を支えているという指摘を受けました。
そして、このような曖昧さは、いったい美にとってどのような意味があるのか、ということを考えさせられました。残念ながら、曖昧さが関係しているということ以上のことは分かりませんが。
 
http://octacore.egoism.jp/blog/2005/02/post_69.html

というようなことを考えて初めて、作品や作家に賦与された意味や意図と無関係な一般化可能な「脳の機能」の話に辿り着くのである。しかし、ゼキの論にはこういったお話は出てこない。全く飛ばされている。これはゼキが全くの鑑賞者であり、神経学者であるから、つい一般化可能な「脳の機能」のお話を優先して考えてしまうということに起因するのだろう。なぜなら神経学者であるところのゼキにすれば、視覚刺激としての作品が一般化可能な「脳の機能」を刺激して初めて意味や意図のお話に移行するという順序であることは生物の構造上、自明であるのかもしれないから、必ずしも手落ちとも言えない。


しかし、この本、実は「美をいかに感じるか」ということについては語っていない気もしないでもない。なぜなら、書かれていることといえば「モンドリアンの絵は色選択細胞を活性化させる」といったことである。これが感じるということなのかというと大きな疑問である。ただし、このツッコミも無効であるような気がする。なぜならこの本の原題は「INNER VISION: An Exploration of Art and the Brain」であり直訳すれば「内部のビジョン: 芸術の探究と脳」であり、「脳は美をいかに感じるか」という邦題はちょっとニュアンスが違う気がするからだ。
 
非常に面白い書評でした。個人的には、ゼキと同様に、テーマや意味というのは作者か作品か解釈者かどこにあるのか、といったことは、視覚よりもより高次の機能であるため、もっと先の話であり前提ではない、と思いますが。
それでもやはり、このような意図やテーマのような高次の解釈と視覚のような低次の解釈の間に説明の隙間が大きくあり、その点は語られていません。ゼキは科学者らしく、よく分からないことについては沈黙を守るという立場を守っているということでしょう。
 
このことがこの本の価値を高めていると思うのは、脳科学者と称する一群を見飽きたせいなのかもしれません。
posted by 山崎 真司 at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | その他、一般
この記事へのコメント
名古屋アウトプットおよび月曜会のこけっとです。

脳解析からの絵画認識は、心理学のアプローチ【色と感情のリンク】などに通じ、面白いです。

基本姿勢としては、絵は自分の内面に生じる考えや気持ちを味わうのが好きです。
その一方で、抽象画であっても作者の意図した情報(内容)を伝えられるのが不思議でしたので興味深い内容。
例)ロイ・リキテンシュタインの【After the thing】
16歳だった私にタイトル見る前にテーマが分かったのが大いなるなぞ
認識できるカツカツまで抽象化されたモチーフを色の持つイメージで補って、という作品でした。

この本のテーマは建築×心理学専門の友達に聞いてみるとさらに発見がありそうなんで、今度いじってみます!

どのみち高次に低次、頭の中がフル回転でいい訓練&運動☆
Posted by こけっと at 2010年02月06日 15:06
ども、こけっとさん、こんにちはー。遅くなりましたー。

解釈については、作品とは何かや指向性といった問題があるのでぼくには難しすぎです >_<

でも、科学から美術を解釈しようという姿勢は非常に興味深いです。他の本を読んでいても、ゼキの名前は何度か参照されているようで、やはりその筋の第一人者のようですし。

建築とか、心理学とかの絡みもまたぜひおしえてくださいねー。
Posted by 山崎真司 at 2010年02月09日 22:53
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