名和小太郎著
岩波書店 1100円(税別)
初版: 2007年1月
タイトルの通り”イノベーション”礼賛に対して待ったをかける本です。
一つの観点としては現在技術から一足飛びをする”イノベーション”に対して、現在技術の”ファイン・チューン”とでも言うべき品質管理・保守も大事ではないか、という点です。
次に、”イノベーション”は市場原理からなるので、”部分最適”となってしまうという点です。
背景として、技術の細分化(ハードウェアとソフトウェアが同一だったものが細分化し、製品が小さくモジュール化していること)が考えられます。
また、製品が小さくなるに従って(またオープン化や”フリー”な世界になっているので)作成者も、国家単位→企業単位→個人単位と小さくなってきていて、これも”部分最適”を進めています。
もちろん、”ファイン・チューン”が”イノベーション”よりも常に価値があるわけではないですし、”部分最適”でなく”全体最適”を目指すために市場原理の逆を行くべきであるとは思いませんが、手放しに”イノベーション”礼賛するのでなく、一度思考することが大事だということです。
以前、エジソン時代の電気自動車を見たときに車の現在との差異に驚いた記憶がありますが、しかしコンピュータについては10年前のものでも性能だけでなく応用も含めて文字通り桁違いの差があります。
他の方の書評より:
1.新しい技術の導入によって、社会に危害をおよぼすことが、だれからも補足されない、不特定多数の一員によっても可能になった。この技術の偏在性にどう対応すべきなのか。性善説に与(くみ)することはできない。
性善説について、今の世の中では”自己責任”でということになると思います。
”自己責任”という言葉の下で、自らのリスクを最小化していき一見個々のリスクがなくなっていると思います。
”部分最適”については”自己責任”と”製造者責任”が一つの解決ですが、ソフトについては”フリー”な製品やそれに類する安価な製品が多く”製造者責任”は重過ぎます。
結局、解決法はソフトなどについては個々のモジュールの独立性が高い構造のOSというのが唯一でしょうか...
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070608/126892/
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