2012年11月26日

なぜ科学を語ってすれ違うのか



ソーカル事件という有名な事件があります。これは適当な内容(ほぼ無内容)の擬似論文が現代思想の査読付き論文に載った後で、「あれはデタラメだったし、無内容だ」ということをバラしたというものです。



このソーカル事件は、衒学的な言葉で読者を惑わすような現代思想を批判し、またその査読の体系を批判したものです。このソーカル事件の後に、ソーカルとブリクモンは「知の欺瞞」という本を出版し、そのような現代思想家のおかしさと、そしてまた相対主義批判をしています。

※量子力学や相対性理論を使って、自分たちの理論の正当性を示したり、高尚なもののように見せるということは、現代思想に限らず今でも行われていて、一部業界では常套手段になってますね。最近では(本物でない)心理学業界などで、神経科学のキーワードを散りばめることで、凄そうに思わせるという手段も流行ってます。


この「なぜ科学を語ってすれ違うのか」は、この「知の欺瞞」の延長として、科学における社会構成主義との戦いについての本です。社会構成主義というのは、知識というものが特定の社会によるものという考え方です。例えば「牛を殺すのは悪いこと」という命題については、社会によっては真にも偽にもなるでしょう。一方で、「一般相対性理論は正しい」という命題については、社会によって真にも偽にもなると考える人もいますが、社会や人の考え方に関わらず正しいと考えている人もいます(私は後者)

もちろん、「一般相対性理論が正しい」というのは暫定的なもので、これが修正される可能性はあります。このような理論の修正や訂正や棄却についても様々な考え方があります。これは科学哲学といわれる分野の話になり、トーマス・クーンのパラダイム論や、ポパーの反証主義といった言葉は有名で、この本でも取り扱われています。

#ちなみにクーンの「科学革命の構造」は”Googleが選ぶ20世紀の名著100選”の第一位にも選ばれるほどの人気っぷりです。



この本は科学はどのように理解されているか、それに対してどのような反論があるかを様々な科学哲学の考え方を紹介しながら述べており、社会構成主義者と科学者の戦いの戦場を描き、同時に科学哲学の入門書になっています。

私の考え方では例えば「水はH2Oである」ことは疑い得ないのですが、これも現代の科学の枠組みがそのような臆見(ドクサ)を生み出しただけであるという考え方もあります。ただ1つの科学でなく、たくさんある理論体系から1つ(今の科学)を選び出したという考え方にはとても違和感を感じるのですが、そう思わない人との議論の際の論点の整理に程よい本だと思います。


科学については、その体系自体についても、また”科学は善であるか”といったことについても、人と話す機会はしばしばあります。自分の立場の整理にも、他人との議論の整理にもオススメの一冊です。

posted by 山崎 真司 at 10:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 哲学、人生論