2012年11月27日
アイデンティティ経済学
”レモン市場”で知られるノーベル経済学者のジョージ・アカロフと、その弟子で現在はデューク大学教授のレイチェル・クラントンが、アイデンティティという視点を経済に導入しようという本です。
ジョージ・アカロフの本は”アニマルスピリット”以来でしたが、このアイデンティティ経済学も前著と同様に、経済学の効用関数に入れるべき非合理的なもの(少なくとも以前の理論では)に関するものです。
人間が判断をする時の効用関数を、
効用関数f(x)= 従来の関数 + アイデンティティ関数
としましょう、というのが主な主張です。
非常にシンプルな主張ですが、たしかに説得力があります。例えば、海兵隊員が命をかけて戦場に向かうという時には、どのような判断をしていると考えればいいのでしょうか?
また、17歳の悪ぶった高校生がタバコを吸うことは合理的ではなさそうですが、このようなアイデンティティ関数を考慮して、不良グループの行動規範という効用を考えれば理解できます。
この本は本来は経済学の本ですが、理論はそれほど厳密ではありません。むしろ社会学の本を多く引用して、”語り”によってアイデンティティを浮き上がらせているという印象です。
「あるグループ内の行動規範(コード)が行動に影響を与えています」というと非常にシンプルな主張です。こういった視点はあまり持ってなかったので、行動のインセンティブ構造を理解する時に、グループの行動規範とイングループ・アウトグループということを考慮するということは参考になりました。逆に、この点さえ抑えておけば、本としては冗長かな、という気もします。
2012年11月26日
なぜ科学を語ってすれ違うのか
ソーカル事件という有名な事件があります。これは適当な内容(ほぼ無内容)の擬似論文が現代思想の査読付き論文に載った後で、「あれはデタラメだったし、無内容だ」ということをバラしたというものです。
このソーカル事件は、衒学的な言葉で読者を惑わすような現代思想を批判し、またその査読の体系を批判したものです。このソーカル事件の後に、ソーカルとブリクモンは「知の欺瞞」という本を出版し、そのような現代思想家のおかしさと、そしてまた相対主義批判をしています。
※量子力学や相対性理論を使って、自分たちの理論の正当性を示したり、高尚なもののように見せるということは、現代思想に限らず今でも行われていて、一部業界では常套手段になってますね。最近では(本物でない)心理学業界などで、神経科学のキーワードを散りばめることで、凄そうに思わせるという手段も流行ってます。
この「なぜ科学を語ってすれ違うのか」は、この「知の欺瞞」の延長として、科学における社会構成主義との戦いについての本です。社会構成主義というのは、知識というものが特定の社会によるものという考え方です。例えば「牛を殺すのは悪いこと」という命題については、社会によっては真にも偽にもなるでしょう。一方で、「一般相対性理論は正しい」という命題については、社会によって真にも偽にもなると考える人もいますが、社会や人の考え方に関わらず正しいと考えている人もいます(私は後者)
もちろん、「一般相対性理論が正しい」というのは暫定的なもので、これが修正される可能性はあります。このような理論の修正や訂正や棄却についても様々な考え方があります。これは科学哲学といわれる分野の話になり、トーマス・クーンのパラダイム論や、ポパーの反証主義といった言葉は有名で、この本でも取り扱われています。
#ちなみにクーンの「科学革命の構造」は”Googleが選ぶ20世紀の名著100選”の第一位にも選ばれるほどの人気っぷりです。
この本は科学はどのように理解されているか、それに対してどのような反論があるかを様々な科学哲学の考え方を紹介しながら述べており、社会構成主義者と科学者の戦いの戦場を描き、同時に科学哲学の入門書になっています。
私の考え方では例えば「水はH2Oである」ことは疑い得ないのですが、これも現代の科学の枠組みがそのような臆見(ドクサ)を生み出しただけであるという考え方もあります。ただ1つの科学でなく、たくさんある理論体系から1つ(今の科学)を選び出したという考え方にはとても違和感を感じるのですが、そう思わない人との議論の際の論点の整理に程よい本だと思います。
科学については、その体系自体についても、また”科学は善であるか”といったことについても、人と話す機会はしばしばあります。自分の立場の整理にも、他人との議論の整理にもオススメの一冊です。
2012年11月24日
レクサスとオリーブの木
”フラット化する世界”や”グリーン革命”で有名なトーマス・フリードマンの出世作です。そういえば、最近また”かつての超大国アメリカ”という新作も出ましたね。こちらは購入しましたが、未読です。
この”レクサスとオリーブの木”というのは1999年の作品で、ここから”フラット化する世界”へつながる背景が書かれているというものです。ここでのレクサスはグローバル化の象徴、オリーブの木は伝統的なローカルの象徴です。
この本では、「あらゆる国が”黄金の拘束服”を着てグローバル化に進まなければならない」ということが繰り返し語られます。そして、このグローバル化の行末には「勝者総取り」のような世界が待っているが、我々にはそれを止める術がないということを述べています。
この背景としては、冷戦時代には米ソ2大国がドミノ理論という1つの国が共産主義(資本主義)になればそこから近隣諸国が次々と共産主義になっていくという理論の下に、様々な国を援助していたものが、現在はそのような経済の”ゲタ”(やある種の囲い込み)がなくなってしまい自由な競争になってしまったからというものです。
この本はこのような”黄金の拘束服”を着てグローバル化の波に乗るためには、ある程度の条件が必要ということを述べています。それは、社長や官僚が横領などをしないということや、インサイダー取引が行われていないということがないと、海外からの投資が逃げてしまうということです。先進国の次は東南アジア諸国の第2グループが賃金の安さなどを活かして急速にトップへ近づいてくると考えられていますが、例えば東南アジアの多くの国では外国人には値段をふっかけるということは現在も行われています。このようなリテラシーは最終的には海外からの投資を最大化しないということはありそうなことです。
この本は今から13年前の本ですが、この本で語られていることは現在進行形で進んでいます。そこから急速にフラット化しているのかというとそれほどではないと思うのですが、それでもこの本の射程はまだまだ有効だと思います。
もし、フラット化する世界を読んでない方がいらっしゃれば是非とも読んで下さい。そして、わたしたちは6年後の世界に住んでいるのです...
ワークシフトはとても興奮させられる一冊でした。特にサラリーマンの方はこちらも是非どうぞ。