2012年10月19日

ノーカラーの時代

この記事は書評ではありません。

最近、人と「どうして仕事は面白くないのか?」という答えのない問いかけをしてました。別に僕が仕事面白くないというわけではないです。しかし、なぜお金をもらわないと土日出勤しないのか仕組みがわからなくていろいろ考えてました。また、ワーク・シフトを読んでいてふと思ったことをまとめてみました。お前、ティモシー・フェリスの影響受けすぎだろ、というツッコミは甘んじて受けます..^^;;


◯ブルーカラーの時代
およそ産業革命から1970年くらい(ベビーブーマーが社会人になるまで)まででしょうか?
第二次産業の生産手段としての人ということですね。社会化されたことが大事で、時間通りに会社に来て、言われた通りのことをきちんとすること。いわゆる超高機能産業用ロボット(と書くと身も蓋もないけど、超高機能なんで許して)としての役割を求められます。
右向け右や、前へならえを小学校で練習するのはなんのためでしょうか?現代の日本では、このブルーカラーとしての能力が訓練によって養われるというイメージがないかもしれませんが、これは社会システムの中にブルーカラー訓練が完全に組み込まれているというためです。
時間通りにキッチリ場所に来る、言われたことをとりあえず繰り返す、権力に従う、といったことをキッチリ行えるというのは、近代社会の市民としてあるべき姿と言えます(上から見て)

参考文献:
ミシェル・フーコー「監獄の誕生」




◯ホワイトカラーの時代
およそ1970年代からはじまって今もまだ続いています。
これはドラッカーの「マネジメント」や「経営者の条件」で述べられているような企業人をイメージしています。他人から指示されなくても自分で仕事を創りだす人、自分で(作業でなく)判断をする人のことです。
ただし、先進国ではほとんどの人がホワイトカラーになった結果として、以前のような生産的な仕事をする人というわけではなく、普通の仕事をする人になった。つまり、ホワイトカラー自体は競争優位の源泉でもなんでもなくなってしまったということがあります。普通の判断なら、先進国の企業人のほとんどが判断できるようになってしまったんですね。逆にブルーカラーの人にもこのホワイトカラー的能力が求められるようになったというのはトヨタ生産方式に代表されるようなモデルでありますが、これは別の話。

そういえば、日本の学校教育が詰め込み式と言われたり、優秀な人が頭を使えない(例えば、正しいことを書いても、その学年で習ってないとバツにするとか)が何故かという話がありますが。これは東大を頂点とした「言われたことを素早くこなす官僚を育てる」というホワイトカラーが目的となっているからと考えられます。ある枠内で、自分で考えて、素早く判断をこなすというものがこのホワイトカラーの特徴です。日本の教育が「どうしてこうなってるの?」と理解できない人は、「言われたことを素早く判断する官僚を育てるのが目的で、頭のいい人を育てたりみんなの頭をよくすることが目的じゃないから」と考えると納得できるんじゃないでしょうか?

参考文献:
ピーター・ドラッカー「経営者の条件」




◯ノーカラーの時代
いつからメジャーになるのか不明ですが。グローバル化(の結果)とコンピュータの進化が、ホワイトカラーの価値を急速に毀損しつつあるので、既にノーカラーの重要性が高まっているでしょう。
ホワイトカラーというのは既存の枠内で判断する人という意味ですが、ノーカラーは自分で仕事の枠を作って、自分がいなくても周るようにすることが出来る人です。仕事自体の消去、自動化、ルーチン化が図れる人です。こう書くと「いやいや、ドラッカーが表現してるのはまさにそういう人」というかもしれませんが、今の実際のホワイトカラーとの差は明確じゃないでしょうか?
このことは、仕事に対する内発的動機づけや仕事に対する自己効力感といったこととも関係してきます。自分が主体的に仕事をコントロールできることで、モチベーションやメンタル的にも有効で、より生産的な仕事を作っていくことが可能です。ただし、これまでのルールとの対立が起こりやすいので、可能な組織と不可能な組織がありますね。
ちなみにノーカラーのイメージは、「僕はいなくても、とりあえず仕事回るようにしといたから」といって、何か緊急の時だけ電話をもらうといってTシャツ姿(=襟なし)で外で遊んでるといった感じですね。外で遊んでいるというのは極端な例ですが、これを目指した仕組み作りの能力とその発揮がノーカラーのポイントです。
「そんなの夢だろ」、「みんながそれを出来るわけない」という批判については、後者だけ受け付けます。しかし、今後の働き方は、このノーカラー能力をどれだけ身に付けることができるかが、企業人としての競争優位につながるのではないかと考えています。


参考文献:
ティモシー・フェリス「”週4時間”だけ働く。」


リンダ・グラットン「ワーク・シフト」

posted by 山崎 真司 at 07:08| Comment(1) | TrackBack(0) | メモ