論理哲学論考については、以前書いたのですが、改めて読書感想文形式で書いてみました。
ウィトゲンシュタイン
岩波書店
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私もご多分にもれず、子供の頃はゲーム好きでした。そのせいか大学時代に読んだ柄谷行人の本の中にあった「言語ゲーム」という言葉には不思議な魅力を感じていました。
「言語ゲーム」というのはオーストリアの哲学者ヴィトゲンシュタインの提唱したものです。この「言語ゲーム」という言葉のひっかかりのせいか、学生時代からヴィトゲンシュタインには興味を持っていて、本も1冊持っていました。ですが、学生時代を終え社会人になって、10年以上たっても、その著作を読了することはありませんでした。結局、その本を読む前に手をつけたのが、このヴィトゲンシュタインの初期の著作”論理哲学論考”です。
この”論理哲学論考”を買ったのは5年ほど前です。買った後も、しばらく放置してたまに読む、しばらく放置してたまに読む、ということを繰り返していました。
この放置して読むという行為を繰り返すのは、この本の形式による読みにくさが原因です。しかし、この本の形式こそが同時にこの本の魅力でもあります。この本の最初の3行は以下のように始まります、
1 世界は成立していることがらの総体である。 1・1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。 1・11 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。 このように節ごとの論理構造を明確にしてあり、その分だけ文章が削ぎこまれています。
この削ぎこまれた文章は、哲学の本というよりむしろコンピュータのプログラムに投入する”世界のことがら”のデータといった印象ではないでしょうか?
”論理哲学論考”を読み進めると、上の例文のようにあくまでも厳密に”世界が何であるのか”を表現・分析しながら進んでいきます。論理記号などを駆使しながら、世界がなんであるのか語っています。この本を読み進めていく行為は小説や他の本を読むことなどと全く異なります。その行為は読んでいくというよりも、直に論理を読み取っていくような読書体験を生みます。そして、そのミニマルな文章の美しさと、論理展開の明瞭さに惹かれます。
その行為の心地よさと、一方で形式による読みにくさに苦しみながら進めていくと、この本は6.41で大胆な転回が起こります。
「世界の意義は世界の外になければならない」という指摘です。
このゲーデルの不完全性定理を思い起こさせる一文に、哲学的な説得力があるかどうかは疑問があります。しかし、このダイナミックな転回が、この本の一番の見所です。世界の分析をしていたはずが、この6.41から主題が一気に”哲学とはなにであるのか”と変わって行き、最後の有名な一文である
「7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」へと向かいます。
しかし、この有名な結論よりも、そこへ至る精緻な論理と大胆な転回という読書体験こそがこの本の価値です。知識を得るためでなく、まさに読書のための本というのが本書の最大の魅力なのです。
posted by 山崎 真司 at 06:52|
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哲学、人生論