2008年03月22日

かもめのジョナサン

リチャード・バック著
新潮文庫 476円
初版: 1977年5月

内容:
アメリカで1970年出版され、1972年にベストセラーになった「かもめのジョナサン」です。名前は有名で知っていたのですが、意外と最近の小説でした。

内容はカメモのジョナサン・リビングストンが、飛ぶことの歓びを求めて、他のカモメの群れから離れ、そしてまた群れに戻るという話です。


感想:
よくビジネス書で参照されているので読んでみました。読む前は、いわゆる「最初のペンギン」の物語か、「新しいチーズを探すネズミ」といった種類の物語と思っていたのですが...若干違いました。ビジネス書的な本というよりも、もう少し哲学的な感じの本でした。

イメージとして、速度の限界に挑戦する、夢を追う、人を導く、夢を託す、といった本でしょうか?
あまりうまい感想は書けませんが、さくっと読めて、なんとなく不思議な読後感がある本でした。ただ、騒ぐほどの本かどうかは微妙ですが...
 
 
蛇足ですが、”かもめのジョナサン”と聞くと、”スタートレック エンタープライズ”の”ジョナサン・アーチャー”と、トラック野郎シリーズでキンキン演じる寡の”ジョナサン”しか頭に浮かびません...
posted by 山崎 真司 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説

2008年03月16日

補給戦

マーチン・ファン・クレフェルト著
中公文庫 1429円(税別)
初版:2006年5月

内容:
原著は1977年で、元々は原書房から1980年に出ていたようですが、中公文庫で復刊したものです。著者は1946年オランダ生まれのユダヤ人で、1950年にイスラエルに移民して、その後、ヘブライ大学の歴史学教授になっています。

本書は戦争において、補給が与えた影響はとても大きいが、これまでの補給の分析は定性的なものが多く、定量的に補給を分析して戦略や戦争にどのような影響を与えたかを分析しています。内容は8章立てですが、ある期間ごとの戦闘において補給というものがどのような影響を与えたかを分析しています。主な章では、16〜17世紀、ナポレオンの時代、モルトケの時代、第二次世界大戦のヒットラー(ドイツ本土)、第二次世界大戦のロンメル(アフリカ戦役)、第二次世界大戦の連合軍、といったあたりの戦いを分析しています。


感想:
元々はゲイリー・ハメルの「経営の未来」で引用されていた「軍事革命とRMAの戦略史 軍事革命の史的変遷1300〜2050年」を読もうと思っていたのですが、その前に軍事史系の本を読んでおこうとして読んでみました。

ポイントとしては、16世紀頃から、戦争での動員人口が増えた(これ以降急激に増え続けている)、その結果として軍隊の食事が問題になってきた。初期は軍隊が動き続けて、現地徴発を続けることでなんとか軍隊が食べていくことができた。それ以降は1軍の規模を小さくしないと現地徴発だけでは食べていけない。これらのことが戦略自体を左右するようにもなる。
また、それ以降は軍隊が大きくなっていくごとにさらに補給自体の難しさが増していった。鉄道や自動車が出来てもその問題は解決するどころか、食糧だけでなく武器や弾薬の重要性が増して、補給による制限がますます大きくなってしまった。


結局、16世紀から補給が問題になり、理想的な、もしくは机上での最適な戦略と、実際に実行可能な戦略の間のギャップができていたが、このギャップは第二次世界大戦の時期までではますます大きくなっていた、といったところでしょうか。

特にこの本を読んで現実社会に使えるという知識はあまりありませんが、歴史を解釈する上で、技術力や農業生産力や戦略だけで考えずに、補給というものが戦略を束縛していることを踏まえて解釈しないといけないということが分かりました。
微妙にここにもメモを書いてます。


他人の書評を読んで:

http://bookguidebywingback.air-nifty.com/military/2006/06/post_c4fa.html
これらの結論が、可能な限り正確な資料を精査し、計算することによって証明される。個人的に印象に残るのは、駅や港湾の荷捌き能力に戦争そのものが強く制約されることだ。”兵站線”を守れても、大量の荷が捌けなければ意味がない。このへんの能力は、現代ではアメリカ4軍だけが実際の戦争を戦えるだけのものを持っているといえる。
言うまでもなく(?)システムはそのボトルネックに制約されます(TOC..制約理論を参照してください)。この本の中では、ウイングバックさんが書かれているように、駅や港湾の積み降ろし能力に制約されます。


http://koppa.blog.ocn.ne.jp/koppaoukoku/2006/10/post_9d8b.html

しかし、これを読むと、軍事的なかがやかし戦果というものが、結構危ういものだったり、それゆえにその戦果は指揮官の天性によるものだなというこを思い知りました。
軍事的な戦果が指揮官の天性によるものか、というのは分かりませんが、補給というものが常に非常に危うく、しかもほぼ常に軽視されてますので...それが戦争自体を左右しそうです。


http://www.specialprovidence.net/books/logistics_war.html

実際にはアメリカ南北戦争のはずで、北軍はバリバリ鉄道を建設しながら進撃していった歴史があります。また日露戦争もロシア側は単線のシベリア鉄道に補給を頼って、ついには業を煮やして全ロシアから貨車をかき集めて片道輸送(満州に着いた貨車は補給物資を下ろした後線路際に放り出して投棄)により輸送力を上げるなどというとんでもない手段に出る一方、日本側は大連に陸揚げした補給物資を運ぶために物凄い勢いで南満州鉄道の改軌(ロシアゲージから日本狭軌へ、戦後標準軌に再改軌)をするなど、鉄道輸送が死命を制した戦いとして知られています。そうした点についても触れて欲しかったものですが、それでも第2次世界大戦以前の補給の実情について詳しく書かれている珍しい本なので価値があるでしょう。
南北戦争や日露戦争については全く知らないのですが..本書中でも線路のゲージの話がありましたが、実際に防御面ではゲージの差異ということすら影響を与えるということですよね...
posted by 山崎 真司 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦略論

2008年03月04日

急に売れ始めるにはワケがある

マルコム・グラッドウェル著
SB文庫 780円(税別)
初版:2007年6月

内容:
サブタイトルは”ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則”となっています。原題は”The Tipping Point”(ティッピングポイント)となっています。このティッピングポイントというのはある地点を過ぎると急速に広がるという爆発的感染が始まる点のことです。例えば、あるメーカーの鞄があったとして、最初はごく一部の人しか知らない(持っていない)のですが、ある時点から急速にみんな知って持ち始めるといった点のことです。このティッピングポイントについての話題を中心として、雑誌のライターであるグラッドウェルが書いています。

このティッピングポイントについての3原則として
1.少数者の法則 (ごく一部の人が周りを”感染”させる)
2.粘りの要素 (繰り返しによって認知させる)
3.背景の力 (人の性格などでなく、状況などが影響を与える)

といったことを述べてます。


感想:
少数者の法則の中で述べている、コネクターという概念がよかったです。

生まれつき多くの人と繋がるタイプの人がいて、こういう人が情報を急速に伝達するということを述べています。そういえば、知人の中でもいろんなコミュニティに所属していて、休日はびっしりいろんな知人と会う予定を入れていて、ランチもいろんな人と食べるというタイプの人がいました。
こういう人に「**というイベントをしたいけど、協力してくれそうな人を紹介して、もしくは紹介してくれそうな人を紹介して」といったことを頼むと、それっぽい人を紹介してもらえる、と。
会社の中ではこういう人がいることを認識してますが、個人的に巨大なネットワークを作ってる人がいるということは忘れてました。
粘りの法則は、ティッピングポイントの話というより感応度分析(感性工学?)の話です。セサミストリートが細かい分析とフィードバックを伴って作られたという話です。感応度分析の話自体は何度か読んだことがあったので、あまり面白くありませんでした、うーん。
背景の力では、有名な窓割れの理論が述べられてます。これも何度も読んだニューヨークの改革の話の触りが述べられており、また「商品はどのようにして感染するのか?」という魅惑的なタイトルでは、ジェフリー・ムーアのキャズム理論の触りが述べられているだけでかなり期待はずれでした。


と、こんな感じで、ティッピングポイントを中心に述べていますが、若干ズレている周辺分野の記述(しかも有名な話が多い)ところもあり、思ったほどでもありませんでした。まぁ、全体を俯瞰するにはいいのですが、やはりティッピングポイントという話題からの関連の薄さを感じてしまう話が多かったかな、というのが正直な感想です。


他人の書評を読んで:
http://zarathustra.blog55.fc2.com/blog-entry-216.html
本書の締めくくりの言葉である。「正しい場所を押してやれば、傾く」というメッセージは非常に重みがある。「ティッピング・ポイント」というのは、希望を与えうる言葉であるわけだ。

 
じゃあ、どこを押すのか?という疑問がどうにも出てしまうのです。もちろん、この本の説明でいうコネクターや情報通のメイブンといった人を上手く使ってとなるのでしょうが...もっとも、こういう構造があるということを知らなければ、その正しい場所探しがもっと難しくなる、ということなんでしょうが...


http://right-left.tea-nifty.com/blog/2007/07/post_5892.html
同じ情報を持っていて他の人に影響を与える人と与えない人の違い、人の感情に影響を与える背景・方法などが面白い。商売だけでなく教育にも深く関係する技術です。

 
私の読みは、趣味や仕事の上ということをイメージしながら読んだのですが、教育という点では非常に有用かもしれません。実際に子供においては、まさにこの本のようなネットワークになっているでしょうし。教育という視点は全くありませんでした、さすがです。


http://d.hatena.ne.jp/mixa59/20071204
こちらの方の読書メモ帳がとてもキレイにまとまっていて良かったです。ほんとに読みやすい。

 
「水を飲むような読書」を目指していましたが、この本は、売り飛ばしたりせず保管書籍の仲間入りです。
 
私との読書傾向の違いなのかもしれませんが、こういう部分が感じ取れませんでした。たしかに具体的なことが書いてあるし、ある範囲での相関は感じたのですが...ううむ...もう一度読まないと....ううん、どうしよう?


 

posted by 山崎 真司 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティングの本

2008年03月02日

経営の未来

ゲイリー・ハメル、ビル・ブリーン著
日本経済新聞出版社 2200円(税別)
初版: 2008年2月

内容:
サブタイトルは「マネジメントをイノベーションせよ」となっています。原著は2007年で「コア・コンピタンス経営」の著者として知られるゲイリー・ハメルの新作です。「コア・コンピタンス経営」は比較的どこの企業でも適用できる内容でしたが、こちらは...どうでしょうか?

内容としては「マネジメントをイノベーションせよ」といって思いつくマネジメントの改善の方法でなく、「そもそもマネジメントはこういうものという既成概念があるのをパラダイムシフトしましょう」ということになります。小売業のホールフーズ、製造業のW・L・ゴア、IT企業のグーグルの3社の組織の解説と、現在のマネジメントの課題を述べてます。


感想:
ハメルの新作なので戦略論というものだと思ってたのですが、どちらかというと組織論でしょうか?組織論といっても組織の縦横とかクロスファンクショナルグループとかでなく、「そもそも、その組織形態がベストなの?」という疑問をあげています。

つまり、社長がいて、事業部長がいて、部長がいて、課長がいて...というよくあるパターンの会社の組織というのは果たしてベストなのだろうか、ということです。実際に私がリアルに知っている会社はすべてこのパターンで、自由度こそ多少違いますが全ての指揮系統や意思決定パターンが同じです。
こんなそもそも論に疑問を持ったことがなかったので、この疑問提起が大衝撃でした。


最も顧客志向な会社や、最も製品の品質が高い会社でなくて、最も適応力のある会社が生き残るという考え方があると思いますが。その手段として、下位の階層やミドルの知を上にあげたり、情報を社内で回すシステムといったことはよく言われいますが。

そもそもその社長→〜〜→平社員という組織でいいんでしょうか、と。


他に、読んでて面白かったいくつかの点として、
・(ホールフーズの評価について)各店舗は年に10回、本社の幹部と地域リーダーによって評価される。
基本的に会社の運営については(実は会社だけでないけど)、いかに頻繁にフィードバックを正確にフィードバックするか、ということだと思っているのですが、年10回というのは驚きでした。是非、真似します。


・デジタル技術が創造のツールを急速に民主化し、人間の想像力を自由に羽ばたかせている。〜〜(省略)〜〜そこで質問だ。あなたの会社は、これらの創造の才に富む人びとが十分権限を与えられたビジネス・イノベーターになる手助けをするために、どのようなことを行ってきたか。
個人のブログとか、ニコニコ動画とか見てると本当にスゴイことになっています。マーケティングツールとして、こういう能力者の力を使いたいなー、というのはよく考えますが......
昔は個人でやってるデザイナーの方に(プログラムの)ウィンドウやボタンのデザインを頼んでたりしました。でも、こういうのもベンチャー企業などでは出来ても、普通の企業では難しそうですね。書かないといけない申請書の数と社内調整を考えたら憂鬱(もしくはただの鬱)になりそうです。

・(ミドルアウトで会社を変革する時に)政治的リスクを最小限にしよう
会社で誰かの評価や給与に関係するようなものを変えようとするな、という警句です。危ないです。別件で考えていたことがあったのですが、思わずやってしまうところでした。危ない危ない。経営の未来、とはあまり関係ないですね。


他人の書評を読んで:
http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/640cae1b081f20d9f56d74d66f8e7434
いつも超楽しみにしてるメルマガです(この本はメルマガ読む前に店頭で即買いしましたが)。

今読まずしていつ読もう。ここ2、3年で読んだ中でも最高傑作のうちの一つです。
と書かれています。そこまでベストかというと疑問もありますが、読む前に想像していた企業戦略レベルでなくて、そもそもの所を
われわれの「常識」にメスを入れています。
といった所は素敵でした。

http://ameblo.jp/adman/entry-10074873606.html
自分の今の仕事にトレースしやすい、イメージしやすい論の展開はさすが。

え”ーーーーっ。自分の今の仕事にトレースしやすい...ですか....うーーん。もちろん、そもそも会社でのポジションが違うのでしょうが、この本を読んでそこまでブレイクダウンしたイメージができませんでした。ううむ。想像力不足....ですよね... X_X)
読み直しの時にはもちょっとブレイクダウンできるように努力します。


 

posted by 山崎 真司 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦略論

夜と霧

V・E・フランクル著
みすず書房 600円(1971年当時)
初版: 1961年3月

内容:
心理学者であり、フロイト、アドラーの流れを汲むフランクルが、ユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に連れられ、奇跡的に生還した際のことを記述したもので、1947年刊行の本です。

ちなみに本書中に記述がありますが、大戦中にアウシュビッツ収容所では300万人の命が失われたそうです(他にも収容所がありました)。ちなみに同じ大戦中に日本での死者行方不明者は260万人だそうです。この数字だけでもどれだけ壮絶な状態だったか想像できるかと思います。
なお内容としては、心理学者として、ギリギリの状態で、人がどのように振る舞い、どのように感じるのかというのは、主観的に記述したものです。ただし、心理学者の本らしく一方的に誰かを糾弾するというものでなく、人はどうであるのか、というのを考察しながら書いています。


感想:
フランクルの本というのは、彼の著作である『「生きる意味」を求めて』と『意味への意思』を読んだことがあったのですが、最も有名なこの本は読んだことがなかったので、読んでみました。

知識としてはある程度分かっていたアウシュビッツ収容所というものについて生の声を読むと本当に辛く、またある状況下に陥ると(多数の)人というのは恐ろしくなれるというのを本当に感じました。
ただ、ナチスの酷さというものだけでなく、この本では”生きる”ということと、極限状態での経験を通して、ある種の心理学的な実験環境(この言い回しは倫理的には不適切かもしれませんが、イメージにあう他の言葉がみつかりません)でどのように人間が振舞うかということを書いています。
ただし、フランクルの他の本と同様のテーマとなりますが。背景には冷徹なことを個人のせいにしない他者に対するやさしい眼差しといったものと、「ある態度をとることができる」という自由な意志がある、という2つの観点で収容所での生活を述べています。
この収容所の記述は単なる経験で「こういう恐ろしいことがあった。だから戦争は駄目」という視点でなく、特殊な経験で得た「人間とは何であるか」の考察をひたすらに書いています。


他人の書評を読んで:
http://www.1book-day.com/blog/2004/06/17/200211.html
●この本を読んでから、食事がおいしく感じるようになりました。食事が食べられるというのはなんと幸せなんだろうと思えるのです。

 
この方の感想のこの一文を読んでたら、本の内容を思い出して少し涙が出てきました。本当に率直に感動できる本でした。


http://polylogos.org/books/frankl9.html
改めて読んでみると、「何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。言い人は帰ってこなかった、と」(5)という事実と、生き延びる意志をもちつづけることのあいだの曲芸のような営みのうちで、生者と死者が決まることがよくわかる。

 
私は正者と死者の本というものでなく、ひたすらに生きる話として読み。また、実は読みながら、凄惨な生は感じながら、死というのをあまり感じませんでした。あまりにも私の現実から離れているせいかもしれません。この本で死というのは生を引き立たせる対照としてしか感じなかったのは、現実でも同じだからでしょうか。


http://ameblo.jp/tohshindai/entry-10073050203.html
悲しみの涙なのか、感動の涙なのか。

 
この一言が、この本を端的にあらわしていると言っていいでしょう。


 

posted by 山崎 真司 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学、人生論